24日のNHK大河ドラマ『真田丸』を観た。天下を統一した秀吉が明らかな老化による異常な行動言動を小日向文世が熱演した。寝小便をしたり、味覚異常、同じことを繰り返し話す。極め付けは、死の恐怖を真田幸村に抱き着いて訴える場面だった。今回観ていて7月12日に亡くなった大橋巨泉さんの生き様が重なる。
私は大橋巨泉さんが苦手だった。しかし彼が死に対して大河ドラマ『真田丸』の中の秀吉のように恐怖におののいたことはなかったのではと私は推測する。それは私自身の経験からの推測である。
私は秀吉と大橋巨泉さんの二人の処死術を経験したと思っている。秀吉のように小学生のころから死に対して言い知れぬ恐怖を持った。夜、眠れずに柱時計のカチカチカチの音にいつかあの音を聞けなくなり永遠の無に帰すと恐怖を募らせた。大人になっても夜中に飛び起きて、床を手で叩きながら、「嫌だ嫌だ」と死の恐怖に屈していた。離婚して座禅をして必死に二人の子供を育てた。能力以上の過酷な生活を続けているうちに死の恐怖さえ遠のいていった。子どもたちが大学に入学して15年続いた男やもめに終止符を打って再婚できた。
再婚して得た夫婦関係は良好で先の過ちを繰り返さずにすんでいる。大橋巨泉さんも再婚したタレント浅野順子さんと40年間ずっと何をするにもどこへ行くにも一緒だったそうだ。私はまだ25年間ではあるが、ほぼそのように夫婦関係を維持することができている。2001年持病の糖尿病の合併症で心筋梗塞を発症した。当時チュニジアに住んでいた。ひとり帰国して心臓バイパス手術を受けた。手術を受ける前「辞世帳」なる遺言のようなものを大学ノート一冊に書き残した。どうしても伝えておきたいことのある人々には最後の手紙だと思って送った。
不思議なことにずっと持っていた秀吉がおちいった死におののくことはなかった。亡くなる前奥さん子どもたち孫に囲まれた巨泉さんは指で「3」と「9」をだしたという。おそらく「サンキュウ(ありがとう)」と伝えたのであろう。私も手術前愛する妻と子どもに手を握られて手術室に送られた。
手術を受けてからすでに15年たった。私はまだ生きている。再婚して以来夜中に飛び起きて床を叩いて「嫌だ嫌だ」と叫んだことは一度もない。
私は巨泉さんのようにお金も名声もジャズもわからず、競馬もやらず、ゴルフも下手である。巨泉さんの死生観がある。「生きることを前提に考えておくことが大事だ。だって人間は必ず死ぬんだから。死ぬんじゃないか、なんて不安を持つほうがおかしい。不安を持とうと持つまいと、人間は必ず死ぬ運命だ。だから生きて期待できるものについて、よりたくさん考えたほうがいい。… … …やれるものはみんなやる。これが巨泉流だ」
天下をとっても秀吉も死に関しては、真実はわからないが、どうやら普通の人のようだった。巨泉さんはやりたいことをやって「サンキュー」と指で伝えて逝った。私はどう「ありがとう」を伝えよう。