月曜日の朝6時48分だった。狭い川端の道路、妻を駅に送る途中だった。いつものように老女と白と茶色のぶちの犬が散歩していた。毎朝同じ時間ほぼ同じ場所ですれ違う。
妻と私が同時に「うっ」と言って体を前に出し目を凝らした。路上に棒状のモノ。動いているようにも見える。妻も私も老眼で近視だ。それが何にせよ私の車で轢きたくなかった。車を止めた。車内の私たちと同じく路上の老女もその棒状のモノに気がついている。犬は綱を放されていて老女より5,6メートル先で車をじっと避けている。時すでに遅し。止まった場所が悪い。ボンネットが邪魔で蛇かどうか確認できない。老女は声なき声を発したようだ。身をすくめ、後ずさりして、両手が顎の下に引き寄せられていた。まるで幼子のような仕草で恐怖を表していた。犬に何か言った。聞こえない。犬が老女に振り向く。犬は吠えもせず立ちすくんだ。恐がる様子もない。ただ老女を心配そうに見つめていた。
この犬に思い出がある。5,6年前のことである。バス停から歩いて家に戻る途中、川端の道路を家に向かって歩いていた。橋を渡って左に曲がると老婆がうつ伏せに倒れていた。2,3メートル先に犬が立ちすくんでいた。吠えるでもなくただ耳をピンと立てて老婆を見ていた。私は躊躇した。なぜなら犬は飼い主に危険が迫ると必死で飼い主を守ろうとする。私はよく犬に吠えられる。子どもの頃、何度も噛み付かれた。どんな犬も甘く見てはならない。しかし老婆は、顔色がなく、息をしているようにも見えなかった。覚悟して老婆に声をかけた。「どうしましたか?救急車呼びますか?」 動いた。顔をアスファルトにくっ付けたまま「大丈夫です。すみませんが起こしてください」と微かに言った。 声は震えているが、気は確かである。「犬は大丈夫ですか?私を攻撃しませんか?」「大丈夫です。おとなしい犬です」 恐る恐る私は老婆が起きるのを手伝った。小さいのに重かった。老婆のおでこに擦り傷があり血がにじんでいた。老婆は何もなかったように、服を掃うこともなく何度もお辞儀を繰り返して犬との散歩を続けた。犬のことが気なった。家に戻って早速犬図鑑で老婆の犬を調べた。パピヨンという犬種で、非常におとなしく、訓練のしやすいフランスの犬だそうだ。
その後、何年間も老婆とパピヨンとの散歩を見かけていた。歩いている時、出会ったこともある。しかし老婆は、私を認識している様子はまったくなかった。挨拶してもただ会釈を返すだけだった。ところが数年前から老婆から老女に代わった。推測するに老女は老婆の娘か嫁であろう。世代交代である。老女は推定70代前半、ということは老婆は90歳以上に違いない。見慣れたことに囲まれて安穏としていると、変化を受け入れがたくなってしまう。
蛇を目の前にして、少女のような仕草で立ちすくむ老女。もし老婆だったら、この場面でどのような反応をしただろう。パピヨンは、あの老婆が倒れた日と同じように、耳を立て騒ぐことも吠えることもなく立ち尽くしていた。パピヨンも歳をとったのだろうが、見かけは以前と変わらない。しばらく車を止めていたが、すでに蛇の横断は済んだだろうと発進させた。妻に蛇を轢いていないか確認するよう頼んだ。後ろを振り向いて妻は「何も轢いてもいないよ。轢かれた蛇もない」と言った。私は「もしや蛇は車体のどこかにへばりついて車庫で私に襲い掛かるのでは」の妄想に取り付かれた。老女はパピヨンに追いついて、何もなかったように並んでサイドミラーの中を私の車が進むのと反対方向に歩いて行った。
駅に妻を送り、家に戻った。駐車場に車を止め、車から降り、ダッシュして裏口玄関のドアに向かった。後ろを振り返りもせずオートロックのボタンを肩越しに押した。「カシャ カシャ」の音が何だか蛇の笑い声に聞こえた。私の頭に「キモイ」の3文字が一つずつゆっくりと力強く浮かんで消えた。