団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

まだ使える、もう使えない。

2021年10月07日 | Weblog

 洗面所の戸棚に入っている歯磨きチューブ。妻はチューブの所かまわず押して中身を出す。結果チューブの形は、いびつになる。私はチューブの一番下から丁寧に指で押し上げる。チューブの形を常に綺麗に整えておきたい。性格の違いであろう。だからと言って、このことで言い争ったりはしない。しても無駄だと結婚してまもなく悟った。お互い育った環境が違う。私が気づかずにしていることで、妻が違和感を持っていることもあるだろう。いちいちそれにかまっていては、一緒に居られなくなってしまう。

 チューブのどこを押して中身を出しても、いつかは中身がなくなる。チューブに入った製品は、チューブが透明でないので中身が見えない。透明なガラス瓶やプラスチックに入った液体なら、ほぼ完全に中身を出し切れる。

  私が子供の頃に比べて今は物が溢れ、経済的にも楽になった。生活用品も買いだめしておくことができる。歯磨きチューブも使い切れば、戸棚から次の新しい歯磨きチューブを出せば済む。問題はいつ新しいチューブにするかである。歯磨きチューブは、中身が見えない。加えて、チューブの口まわりがネジ式になっていて固い。私は性格的に、また物のない時代に育ったせいか、何でも最後の最後まで使い切らないと気が済まない。そうすることが物を大事にしていることだと思い込んでいる。時には綿棒まで動員して、残った歯磨きをこそげ落とす。その点一回り年下の妻は、思い切りがよい。使い切ることにこだわりがないので、自分がコレ終わりと思えばポイポイ捨ててしまう。

  使い切れないのは、歯磨きチューブだけではない。電池も厄介な物である。一応電池の残量を計れる計測器を買ってある。しかし電池は、ある日突然使えなくなる。それも必ずそうなると困る時に起こる。以前から電池を取り替えたら、シールに日時を書いて貼ろうと何十年も前から思っているが、いまだに実行できずにいる。電池は完全に使い切ったのかどうかは、目で見られない。

  ロケット博士の糸川英夫さんは、外国へ行く時、必ず空港で電池が入っているものの、電池全てを取り替えたという。たとえそれが昨日取り替えた物であっても。電池が切れていて、大きな失敗したことがあって、それ以後、必ずそうするようになったという。

  作って売る側の都合で多くの製品は、消費者に届けられる。消費者の要望を聞き入れて、製品を製造していたら利益がなくなってしまうであろう。改善の余地は、まだまだ残されている。これから更に改善された商品が出て来ることを期待したい。

  小人、閑居して不善をなす。コロナで家に閉じ込められている。だから歯磨きチューブの形状にまで目が届いてしまう。コロナ以前、友人や家族を招いて、楽しい時間を過ごそうと企画・買い出し・調理に熱中できた。人の脳は、10%かそれ以下しか使われていないという。脳を使わないで、暇だやることがないとぼやいていれば、私のような小人は不善をしてしまいそう。100%使い切ることはできなくても、せいぜいもう少し使って不善をさせないようにしなくては。早く、細かいことを忘れて、忙しく何かに熱中できる日が戻って欲しい。


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