団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

警察からの封書

2021年10月15日 | Weblog

  年に一度は見舞われる腰痛が2週間前から始まった。常時痛むのなら注意のしようもあるが、痛みは不定期でそれは突然襲い掛かる。「イテテッ」が口をつき、腰砕けとなる。ベッドから起き上がる時、段差で着地した時、玄関で靴を履く時、急な方向転換する時、モノを取ろうと腰をかがめた時。妻は腰痛ベルトを巻くよう勧める。この腰痛ベルト20年前に心臓バイパス手術を受けた時使ったモノである。ベルトにはマジックで名前が書かれている。まだ十分使える。その腰痛ベルトを、相撲取りがマワシを弟子たちに巻いてもらうように妻は巻く。妻は力持ち。締め上げは、息ができなくなるくらい強い。そのお陰でやっと昨日から、ベルトなし杖なしで歩けるようになった。

 郵便物をとりに玄関ホールにある郵便受けに痛みもなく階段を降りた。どうせまたダイレクトメールや請求書ばかりだろうと暗証番号のダイヤルを廻した。5通あった。4通はダイレクトメール。「なんだ」と独り言。最後に取り出した封書の差出人を見て、固まった。「〇〇警察署」 私は警察という字面、音の響き、警察官の制服、パトカー、どれに対しても過剰な反応をしてしまう。臆病者なのだ。

 部屋に戻り、封書をペーパーナイフで開けた。手は震えていた。違反?逮捕状?召喚状?もしくは新手の詐欺?何か最近悪いことした?自分で知らないうちに何か罪を犯してしまったのか?恐る恐る中の書類を開ける。「あなたの社会保険証と思われる…」 社会保険証って何?私の保険証は健康保険証のはず。詐欺かもしれない。不安が入道雲のようにわいてくる。書類を読み進めた。この種の詐欺があるのかネットで調べた。ない。そこで警察署の住所をネットで確認した。保険証があるかどうかをみた。ない。疑いは私の邪推だったようだ。

 保険証を失くしたのが本当だと解ると、次に老人特有の物忘れや不注意の度合いが悪化してきているのだと、絶望感と悔しさが全身を締め上げた。深く落ち込む。自分がまず保険証一枚だけをどこでどうやって落とすのか。カード、運転免許証などは首から下げる定期入れ式ホルダーに入れている。ホルダーはある。そこまでしか推理が働かない。

 14日9時に指定された通り、返却を受ける前、電話で警察の会計課に電話した。遺失物番号を告げた。確認が取れた。取りに来てよいと言われた。以前交通違反の罰金を払いに行った。6年前のことだ。場所を覚えていない。ネットで地図を検索して印刷して持って行った。緊張していたせいか、行き過ぎたり、交差点を間違えて車を何度か方向転換させてやっと警察の駐車場に行けた。

 手続きは、運転免許証で本人確認して、受領書にサインしただけのこと。数分で終わった。「どこで保険証が拾われたか教えていただけますか?」「〇〇スーパー」 〇〇スーパー!どうして車で30分もかかる遠い警察署に届けられたのか。もう余計なことは考えないでおこう。スーパーで買い物カードに現金をチャージする際に、保険証と買い物カードが重なっていて、間違って保険証を落としたのかもしれない。

 私は、以前、拾うことがあっても、自分が落としたり、なくすことがなかった。還暦を過ぎて、失敗が多くなった。私よりひとまわり若い妻が言う。「防ぐ方法を一緒に考えよう」 今夜妻が帰宅したら、二人で対策を話し合う。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする