団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

香菜がない

2021年08月20日 | Weblog

  18日買い物に出た。いつものように買う物をメモした紙を持って出かけた。自粛中、買い物と散歩が、私を家から出す誘い水となる。

  コロナ感染の第5波の真っただ中だという。ワクチンを2回接種していても、感染の危険があるそうだ。次から次と出て来る“脅し”のような政府やマスコミの警告。私は、小心者。脅しに弱い。大きなものには、自ら巻かれに行く。コロナが始まって以来、出される宣言や措置を守ってきたと自負している。

  緊急事態宣言やまん延防止等重点措置とかいう役所の言葉遊びのような責任逃れが続く。それは最近の雨の災害で、避難勧告を出したとか、出さなかったとかで騒ぐマスコミ対策のように思える。勧告を出しておけば、何かがあっても責任が問われないとでも考えているのだろうか。あまりにもお役所的な行動に呆れ果てる。私たちが一番知りたいのは、コロナって何、どうすれば命を守れるのか、いつになったら以前の生活が戻って来るのかである。

  おどおどしながら買い物に出かけた。マスクにウイルス・除菌マスクスプレーを吹き付けた。店の入り口の消毒スプレーをたっぷり手に付けた。その濡れた手をワゴンの取っ手で拭き取るようにぐるっと回し擦った。メモを片手に買い物を進めた。最後に香菜(パクチー、コリアンダー)を探した。いつもの場所にない。私は、焦った。私は、冷蔵庫に香菜を常備している。私は、薬をたくさん服用している。薬だけに頼るのではなく、食べ物と運動にも気を遣う。医食同源として香菜を毎日摂る。近くにいた店員に尋ねた。アルバイトなのか香菜がどういうものなのかわからない。他に店員に聞きに行ってくれた。「入荷していません」 私はここであきらめない。会計を済ませて、他の店に向かった。

  私が住む町には、私がよく使う4軒のスーパーがある。4軒ぜんぶ回ったが香菜はどこの店にもなかった。無い理由は、すべて入荷がない、だった。このところの異常気象で農家も被害を受けているのであろう。何もかも、あって当たり前のような今までの生活のほうが、普通でなかったのかもしれない。罰当たりで感謝しらずの自分を恥じた。

  次の日、私は車で、隣の町の店に行ってみた。そこで香菜を見つけた。嬉しかった。砂漠でオアシスを見つけて、口に水をやっと含んだような気分になった。

  海外で暮らしていた時、ないないづくしの生活を強いられた。日本と同じ食生活は夢の夢だった。13年間の海外生活から日本に帰国した。溢れかえる欲しかったモノを簡単に手に入れられる生活にドップリと浸かって暮らした。晩年の満たされた生活が、想像もしていなかったコロナで台無しになった。一番つらいのが友人たちと会えない、孫や子供達に会えないことだ。そんな憂鬱を忘れさせてくれるのが、今は食べ物である。妻と二人で過ごす時間の中でも、二人で酒を飲み、好きな物を話しながら食べる。

  太平洋をヨットで往復している辛坊治郎さんが、衛星電話を使ったラジオ放送で「毎日、海を見ていて、人生はお金ではない、愛だとつくづく思う」と言った。

  コロナは、その愛さえ奪いかねない。負けてなるものか。健康でいるために努力する。香菜の入手と常備もその一つである


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