団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

文通

2021年08月12日 | Weblog

  小さな恋人たちから、日本語で書かれた手紙が届いた。その女の子達は、友人の孫である。普段は英語を話している。友人の娘が、カナダ人と結婚して、普段はカナダのトロントに住んでいる。母と子が毎年数か月を日本で過ごす。その間、彼女たちは日本の小学校と保育園に通う。しかし今回、コロナの所為で、滞在が長引いている。毎年、我が家に招いて一緒に時間を過ごしていた。今回はまだ一度も我が家に来てもらってない。せっかくはるばるカナダから来て、歩いて数十分のところに滞在していても会えない。そこで文通が始まった。こんな年寄りでも女の子から手紙が来るとメロメロになる。

 

 文通と言えば、小学校2年生でアメリカの小学校に移った私の長女との手紙のやり取りを思い出す。離婚した私は、長男は全寮制の学校へ、長女はアメリカへ行かせた。娘をアメリカの友人家族に預けるために渡米した時、別れる前に、私は娘に「パパは毎日手紙を書くから…」と言って約束した。小学校の夏休み、いつも最後の日に日記をまとめて書いていた私に毎日手紙が書けるわけがない。口から出まかせになるに決まっていた。でも違っていた。私は書いた。毎日書いた。一行だけでも書いた。後に娘が結婚式の日、私に「パパの手紙は私の宝…」と言ってくれた。それが何より嬉しかった。

 

 後に縁あって、オーストラリアへ留学する直前の今の妻に会うことができた。別れ際、私は彼女に私の住所を書いた航空便の封筒を渡した。正直、返事が来るとは思っていなかった。来た。オーストラリアからどこかで見た封筒が届いた。それから文通が始まった。毎日、アメリカへ、オーストラリアへ航空便を送った。娘はアメリカの大学を卒業して日本に戻り、結婚して母になった。妻はオーストラリアから一旦帰国して、また今度は英国へ留学した。留学を終えて帰国した妻と結婚した。

 

 手紙が好き。なぜならメールや電話では、味わえない、別次元の感情が湧く。ものぐさで何事も長続きさせられない私だが、娘へ、息子へ、妻への手紙はせっせと書き続けることができた。それも終わって、今、妻は毎日そばにいる。息子も娘も家庭を持っている。手紙を書く相手がいない。すべてメールで片づけている手紙の変りに私の死後、妻が読めるようにと日記を書き続けている。小学校の担任教師が知ったら、あのものぐさな子が!と驚くに違いない。長い時間がかかったが、ものぐさ太郎がこまめ太郎になれたかもしれない。

 

 鼻歌気分で小さな恋人たちへ返事を書いた。彼女たちは、カナダへ戻れるようになって帰国が決まった。手紙は、時間も距離も超越できる不思議な力を持つ。私はその不思議に包まれると、目じりが下がり、口角がゆるむ。

 


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