団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

居眠り・うたた寝

2020年12月15日 | Weblog

 私は子どもの頃から寝るのが好きだった。正月が近づく、といってもすでに10月頃から、「♪もういくつ寝ると お正月…♪」の態勢に入り、正月を特別な想いで待っていた。正月が来る日を待ちわびる想いが、まるで睡眠導入剤のように心地よい眠りを誘った。小学生高学年の時、テレビドラマ「人間灯篭」を観た夜から、私は死の恐怖にとらわれた。夜が恐くなり、柱時計の振り子の音がまるで、死へのカウントのように感じた。眠れぬ夜を半年ほど経験した。寝ることが死を連想させ、寝たら死んでしまうと恐れていた。そのことを仲が良かった宮原君に話した。「何言ってるの。僕たちの未来は、これからなのに、爺さんが考えるような事考えない方が良いよ。まだまだ死ぬなんて先の先の事だから」 明るい宮原君の意見に感心した。でもまもなく同級生の小松君が急死して、クラス全員で小松君の葬式に参列した。あの晩からまた寝るのが恐くなった。宮原君も相当参っていた。時間は、人を変える。そんな死への恐怖も、クラスの美津子ちゃんに対する恋心のようなものが芽生えると消えた。思春期の始まりだったらしい。寝る前に、美津子ちゃんに明日会った時、どう振舞うか考え、夢で逢えるよう願いながら寝たものだ。

 あれから中学、高校、大学と月日は流れ、結婚して二人の子供を授かった。しかし最初の結婚は離婚の結末となった。二人の子供を男手ひとつで育てた。子供は学校が終わると私の仕事場に来た。事務室で宿題をやっていた。私の仕事が終わるのが9時、車で自宅戻る途中、子供は後部座席に立って私のシートに手を巻き、持たれかかっていた。しばらくすると二人は立ったまま寝ていた。天使のように寝ていた。その寝顔が私に決断させた。このままなら全員がダメになる。長男は全寮制の高校へ、長女はアメリカの友人一家に預けることにした。すでに二人とも大学を卒業して、家庭を持っている。

 縁あって再婚した。妻はまだ働いている。私はひとりで留守番している。それこそ三食昼寝つきの生活である。今年前半から始まったコロナ騒動で、友人たちと会うこともなく、買い物も家の近所で済ませるので東京へ行くことも病院へ行く以外行くこともない。ほとんど喋ることもなく日中ひとりでいる。簡単な昼飯を食べてソファに座り庭を見ていると、いつの間にか眠ってしまう。これが気持ち良いのである。長い沈黙か独り言の時間が過ぎて妻が夕方帰宅する。私が用意した夕食がすぐ始まる。妻の晩酌に付き合う。私はアルコールが入るとすぐ眠くなる。食事が終わって、椅子に座っていると、瞼が重くなり、こっくりし始める。これがまた、まどろむほどに気持ちいいのだ。今の私にとって“こっくり”も“まどろむ”も“居眠り”も“うたた寝”も幸せを表す言葉である。

 このところ寝つきが悪くなった。妻は勤務と遠距離通勤の疲れのせいですぐ寝てしまう。寝息を聞いていると、心が安らぐ。でも私は中々寝付けない。以前のようにバタンキューで朝までノンストップで熟睡ができない。やっと寝たと思うと目が覚める。時計はまだ2時半とか3時。

 これが原因で昼間の居眠りが楽しめるなら、夜の悶々も我慢できそうである。歳を取るということは、悪いことばかりではない。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする