団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

菊の黄色、ツワブキの黄色

2020年12月01日 | Weblog

  心臓バイパス手術を受けた時、麻酔のせいか夢を見ていた。オリーブ畑を見回せた。それはまるでタピの『フィールド オブ ハッピネス』の絵の世界。青い空、オリーブの灰緑色の葉、オリーブの木々の下に咲く黄色い小さな花々。人もいない。蝶もいない。鳥もいない。ただオリーブの木と黄色い花だけの静寂の世界だった。当時妻の任地がチュニジアで私たちは、首都チュニスに住んでいた。北アフリカの地中海に面した国である。そこにはたくさんのオリーブ畑がある。なぜ私が心臓バイパス手術を受けている最中、そのオリーブ畑にいたのかわからない。手術は人工心肺装置を使った長時間のものだった。死さえ覚悟して『辞世帖』を書いて手術に臨んだ。理由はわからないが麻酔を打ったあと、血圧が急に危険な状態にまで下がったところまで意識があった。その後のことは記憶にない。手術が終わって待っていた家族に会って会話をしたらしいが、まったく記憶にない。ただオリーブ畑と黄色い花の事は、鮮明に覚えている。手術の後、私は以前、気にも留めなかった黄色い花に魅かれるようになった。果たして手術中に浮遊したオリーブ畑の黄色い花の群が影響したのかは定かではないが。子供の頃からオオイヌノフグリの薄い青い花が気に入っていた。今でも好きだが、黄色い花には適わない。

 散歩中に綺麗な黄色い花を見つけた。菊である。玄関にたくさんの菊が置かれた家の前を通った。日本の国花、菊。菊作りは私の夢だった。叶うことはもうない。秋になると日本のあちこちで菊の花の展覧会が開かれる。私は菊作りをする人々を尊敬する。菊作りは、大変手間がかかる。土づくりから始まって、肥料、水やり、菊の苗の選定、一つの花の芽だけ残す剪定、花を守る支えの取り付け、などなど。そうしてやっと秋の開花を迎える。多くの人々の目を奪う。いまだにできることなら、秋になったら世界中の大使館に日本の大輪の菊を配布展示して欲しいと願っている。菊にもいろいろな色がある。やはり黄色がいい。

 ツワブキの黄色の花も捨てがたい魅力がある。ツワブキといえば、山口県萩市を思い出す。丁度ツワブキの開花時期だった。あちらにもこちらにもツワブキの黄色い花が咲いていた。古い町並み、鯉が泳ぐ小川。こげ茶色の塀、白壁の土塀。宝石のような泳ぐ鯉。そこここの石垣の間からツワブキが伸び、黄色い花を咲かしていた。ツワブキは漢字で石蕗と書く。花言葉も謙譲、困難に負けない、とくる。ツワブキの葉の光沢がいい。これが太陽の光を浴びると輝く。花よし葉もよし。そんなツワブキの花を先週の散歩途中で見つけた。嬉しくて、つい写真に収めた。

 11月28日29日と私の大切な思い出の男たちの命日が続いた。今年はやけに喪中はがきが多い。散歩途中、私は亡き友、恩人たちに語りかける。「今年はコロナで大変だ。コロナを知らずに死ねたのは良かったかも」。この私がいまだに生きながらえている不思議。世の中、わからないことだらけ。でも亡き友、恩人との過去は絶対事実。だから嘆くまい。やがて私も旅立つ。私の不可解な疑問迷いも、いつかは消える。散歩は苦しい。脚は痛むし、あっちでつまずき、こっちでよろめく。それでも止めない。目にするものから過去が蘇る。過去に会える。

 悶々とした私の存在が、菊の花の黄色、ツワブキの黄色の花に、一瞬、吸い込まれる。

 


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