団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

コロナ記念柱

2020年06月16日 | Weblog

  新型コロナウイルスの感染が続いている。患者がほとんど来なくなった病院から有給休暇を使って家にいることを要請され、その日も家にいた妻が言った。「昔、ペストが流行った時、人はどうしていたのかしら」

 私はガーンと頭を叩かれたようにもの思いに沈んだ。何気ない疑問。深い。重い。旧ユーゴスラビアのベオグラードに住んでいた時、公用の出張でオーストリアのウィ―ンへ行く機会があった。ウィ―ンは華やかな街だ。そこでペスト記念柱を見た。14世紀にヨーロッパ各地でペストが流行して、約2500万人の命を奪った。ペストはネズミが感染源でネズミの血を吸ったノミが人間の血を吸う時、感染させる。あんなに気取った都市ウィ―ンも例外ではなかった。今の街の様子からは想像もつかない。どれほどウィーンの人々を恐怖に陥れたかは、あのペスト記念柱の彫刻が如実に表している。当時のおどろおどろしい光景が天に駆け上がるように上へと続いていた。国連の経済封鎖を受けていた旧ユーゴスラビアから出てきて、しばしの解放された観光気分を満喫していた私は、落ち込んだ。人間は、成す術もなく疫病にさらされ死ぬ。愚かにも自ら戦争して命を落とす。

 その後NATO軍の空爆が始まるというのでベオグラードを脱出してウィーンへ避難。空爆が激しさを増したので、ウィーンから日本へ戻った。日本には妻が3カ月、私は4カ月いた。飼っていた犬を現地の友人に預けて、家財道具や車などは、すべてベオグラードのアパートに置いたままだった。日本では放浪生活者のようだった。あの生活を経験したせいか、今回の新型コロナウイルス感染症の3密を避ける生活にあまり抵抗を感じなかった。それは自分の家にいられるという安心が大きい。ミサイルや爆撃の心配がない。停電もない。水は水道から24時間たっぷり供給されている。テレビも映る。パソコンや携帯電話も使える。そして何より嬉しいのは、ウシュレットのトイレがあることだ。食料も今のところ不自由していない。ないのは、人との交流だ。一番今欲しいものだが、我慢しなければならない。友人や孫や子にコロナをうつしても、うつされても悲しい。

 中世の世界での感染症の流行で被害をあまり受けなかった場所があった。それは要塞のような集落や家だったという。そのような形態の居住地は、アラブに多かったという。一旦感染が広まるとそこでは門を閉め、他所から人や物が入ってこないようにできた。中には水や食料があり、人々が長期間暮らせる備蓄があり、家畜や野菜の栽培も可能だったという。今のように医学や科学が発達していなくても、人々は過去の経験から学んで防衛していた。当時の生活を思えば、現在の日本での自粛生活は、恵まれている。要塞とまではいかないが、家にこもっていれば、感染の危険度は下がる。友人や孫や子との連絡も今ではメールや携帯電話があるので連絡は取れる。

 医学の進歩も目覚ましい。今回の新型コロナウイルスの研究が進んでいる。その正体が徐々に明かされてきている。一刻も早いワクチンと治療薬の開発を待ち望む。コロナとの戦いに勝利したら、ウィーンのペスト記念柱に匹敵するようなCOVID-19記念塔を横浜のダイヤモンドプリンセス号が停泊した岸壁の近くに建てて欲しい。その犠牲者の像に志村けんさんや岡本行夫さんも入れてあげて欲しい。

 


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