団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

結婚相談

2020年06月18日 | Weblog

  妻が読んでいた本を脇に置いて「若い人に結婚の事で相談されたんだけれど、どう答えて良いのかわからないの。何をどう言ったら彼女の役に立てるのかな。彼女はどうしても結婚して子供を持ちたいんだって」と漢字パズルを真剣に解いている私に言った。私たちは、今は使われることがない大きなダイニングテーブルに少し離れて座っていた。時々本を読む妻を見ながら、「このコロナ騒動のさなか、再婚もせずに一人で老いて暮らしていたら…私は?」と考えていた。妻の結婚の相談の話は、私に『自分の結婚物語』を一気に思い出させた。

 塾で教えていた時、私はよく生徒に「将来、結婚したくても相手がいなかったら、先生に相談においで。先生がきっとピッタリの相手を紹介してやるから」と言った。今になればよくあんなことを言えたものだと赤面してしまう。生徒の誰一人として結婚相談に訪ねてこなかった。胸をなでおろす。

 再婚で結婚した妻との結婚式で、妻の母親から「2度目だから何でもよく知っているね」と言われた。イラっとしたが、初婚の娘の母親としては、自然な反応であると唇を噛んだ。バツイチの私は、2回の結婚式を経験している。結婚する前、妻は「あなたは他の人の2生も3生も余計に生きたのだから、これから先のあなたの命を私に下さい」と言われた。私はその言葉を全面的に受け入れた。そして今年で結婚28年になる。少し波乱はあったが、概ね安定した結婚生活だと自負している。

 最初の結婚は、10年もたずに破綻した。離婚もすんなりいかなかった。2人の子供を私が引き取った。何としても2人の子供を大学卒業するまでは死ねないと子育てに全力を注いだ。13年の月日が過ぎた。この期間、私は坐禅をして、自分に真剣に向き合った。反省することばかりだった。長男を全寮制の高校へ長女をアメリカの友人夫妻に預けた。ただ私はひたすら毎月の仕送りと毎日の手紙書きに明け暮れた。私はこの13年間で自己改革できたようだ。子供達は大学を卒業して自立した。その後結婚してそれぞれが自分たちの家庭を持った。今では3人の孫がいる。

  縁あって今の妻と44歳の時、再婚できた。そして自分の事業をたたんで、妻の海外赴任に同行した。海外で13年間暮らした。妻が結婚相談を受け、何を進言するべきかを私に尋ねた。私の経験から何を言えるか考えてみた。決して妻の母親から結婚式の日に言われたように「2度目」であっても何でも知っているわけではない。

  以前妻が職場で「結婚する人は、税金をちゃんと払っている人」と言う女性がいたと話してくれた。それも一理あると思う。それはつまり生活力があるということだ。でもそれだけで結婚できるとは思わない。妻はまた以前一緒に働いていた医師から「結婚は勢いだ」と言われたという。私は最初の結婚をそれで失敗した。

  私は自分の子供二人に結婚について何度も話し聞かせたことがある。「結婚したい人が出てきたら、一緒に海外へ旅行に行くか、同棲してみなさい。1年住めば、相手がどういう人か分かる。ダメなら別れたらいい。離婚するよりマシ。面白い人がいい。話していて一緒にいて楽しいと感じるのよりも重要。ブランド(家柄、学歴)、外見より中身の人間性を重視」 二人とも私の話を聞いてくれていたのかわからない。そんな感じで相手を見つけたようだ。

  今日、ラジオから「♪ひとりで生きていたならば こんな気持ちにならなかった♪」の歌が聞こえてきた。これだ。調べた。曲名が『ひとりで生きていたならば』(作詞作曲:柳沢亮太)でSUPER BEAVERが歌う。歌詞に私の結婚感が詰まっている。アレクサに頼んで曲を何度も聴いた。そうだこの曲を妻に教えよう。妻に相談してきた結婚願望の若い人への進言に役立ちそうだ。歌詞を書きとって印刷した。明日出勤前に妻に渡す。


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