妻が「クモ!」と声をあげる。運転中の私はチラッと妻を見る。てっきり私はクモが妻にまとわりついているのかと思った。クモは窓の外。それも車の窓の上の日よけバイザーから自分の糸で3,40センチ空中にいた。ただ風に押し流されているのではない。糸がくっ付いている所を起点としてクモはほぼ円周を描いて回っているのである。グルングルンとそうとうな速さで回転。まるでそこに3Dの円錐形があるようだ。意地の悪い私はクモの糸が切れるようにアクセルを踏む。踏ん張るクモ。待てよ。このクモ、スピード狂。こやつ、もしかしてこのスリルを味わうためにここに巣を張ってるの。
妻を駅に送り、帰路につく。「よし、駐車場に車を止めて降りたら、クモを退治しよう」
いつも私は思いつくことはできる。ただその記憶は一瞬にして消える。だからメモ帖はいつも持ち歩く。しかし車の中ではメモは書きこめない。記憶しかない。子どもの頃のお使いと同じで言われた買う品を繰り返し言う。そして店について「いらっしゃい」と言われると同時に品の名前が消えた。
クモを退治することなく、何もなかったように私は家に入る。次の日、妻を駅に送る。妻が「クモ、まだいる」と言う。私は心で「今日こそは」とつぶやく。そして駐車場に入ると忘れている。
本屋で『ざんねんな いきもの事典』(今泉忠明監修 高橋書店発行税別900円)を見つけた。購入。157ページに「クモは運を天にまかせて空を飛ぶ」がある。そこに「うまれた子どもたちがあるていど大きくなると、旅立ちのとき。多くのクモはバルーニング(風船飛行)という方法で各地に散ります。風の強い日、子どもたちはおしりを空に向かって風船のように飛んでいきますが、どこに連れて行かれるのかわかりません。いつまでも地上に下りられず飢え死にしたり、海に落ちておぼれて死んだりと、運命はハード。いい風に乗った幸運なクモだけが、新天地にたどり着けるのです。」 目が潤んだ。
本を置き、私は駐車場に向かった。くまなく探したがクモはいなかった。私が知らないうちに、クモは風に飛ばされたのか。はたまた新天地に向けて車をあきらめ、どこかへ移動したのか。とにかく、私の素晴らしい記憶力がクモを救ったのだ。瞬間必殺忘却ワザも役に立つ。最近、以前読んだ本を読み返しても、内容をすっかり忘れているので、まるで初めて読む本のように読める。映画もアマゾンのファイアーテレビを購入して古い過去に観た映画も全て新鮮な気持でまっさらな封切り映画のように楽しめる。大発見である。
『ざんねんな いきもの事典』は子供向けの事典だ。子供向けゆえ、全ての漢字にルビが打たれている。これが心地よい。歳を取るたびに子供に戻るという。私も着実にその段階に入ってきた。負け惜しみかな。初めからこの程度が私にちょうどよいのであろう。
『ざんねんな いきもの事典』の各項目のページ右上に“ざんねん度”が“ざ”の刻印があるコインの数で示されている。ちなみにクモはざんねん度2個、右隣のページに「カメムシは、自分のにおいがくさすぎて気絶する」がありざんねん度が3個。自然を見ている方が楽。富山市議の不正、豊洲新市場のでたらめ。人間のざんねん度はいったいいくつ?