「はい、大きく息を吸ってください。そこで止めて」「息を吸って、お腹を大きく膨らませて。はい、そのまま息を止めてください」 私は顔が熱くなるほど頑張って息を止める。「はい、吐いてください」「今度は小さく息を吸って、止めていてください」 気分は腹筋運動。うっすらと汗ばんできた。
仰向けに診察台の上にいる私の腹の上を超音波プローブ(パソコンのマウスのような先端部分)が這いまわる。腹とプローブの間にはゼリーが塗られている。ただ平らなだけならスケーターワルツにのせて氷上を滑るように動くのだろうが。私の腹には脂肪、骨が段差を作っている。あちこちでプローブが脂肪のプチョプチョから固い骨に激突。滑るだけならいいのだが、時々ここぞという所で検査技師は、グリグリとプローブを押し込む。息が止まる。止まるのではない。私が痛さと不快さで息をこらえてしまうのだ。腹筋運動に加えてボクシングの軽い打ち込み練習の様相を呈する。みぞおちに一撃。私は「痛い」と言いそうになる。舌を噛んで我慢。プローブは次にあばら骨の下に潜り込もうとする。
私は検査台の上で東京駅での自分の行動を反省していた。中央快速が人身事故で運転見合わせになっていた。病院の予約は11時15分。すでに10時35分だった。中央快速さえ動いていれば病院までは20分あれば行ける。駅員に尋ねる。「秋葉原へ行って総武線に乗り換えてください」 東京は子どもの頃からの憧れの地であった。東京で暮らしたことはない。だから交通事情に疎い。乗り換えは特に不得意である。駅の中を歩いていると方向がわからなくなる。それでも何とか時間に間に合ってしまった。だから無理をせずに中央快速が止まった時点で検査をあきらめれば、こんな痛い目に遭わずに済んだ。それ以前に家を出て電車に乗って途中駅で新宿へ直接行ける湘南新宿ラインに15分待てば乗り換えられた。その15分を惜しんであえて東京駅で中央快速に乗り換えることを選んだ。あの選択が間違いのもと。今日はこんなにツキのない日だから家に居ればよかった。と思った瞬間、「終わりました。お疲れさまでした」と彼女が言った。私も疲れたが、技師の彼女は仕事とはいえ重労働である。
次に妻が強く私に受けるように勧めた聴力検査だった。妻は私の聴力に問題があると最近よく言う。小さな無音室に閉じ込められた。やけに重いヘッドフォンを付ける。手にボタンスイッチを渡され、「聞こえているうちはボタンを押し続けて聞こえなくなったら離してください」と言われた。私はこういう両手に旗を持たされて赤上げて、白上げて赤下げてのような命令に弱い。運転している時急に同乗者に「右へ曲がって」「左です」と言われるのと同じでどっちが右でどっちが左かの区別がつかなくなる。子どもの頃はサヤエンドウのサヤと豆を分けるお手伝いでサヤと豆を入れる器を間違えた。ようするに鈍いのである。しかし検査はそれほど不愉快なものでも自信を失うほどのものでもなかった。なぜならほとんど聞こえなかったのだ。悪いとは思ったが、ボタンは適当に押したり離したりしていた。難聴を苦にしない。テレビなど聞きたくないことが多すぎる。聞こえなくて便利なことが歳とるごとに多くなってきた。
そのあと主治医の診察を受けた。昼食を病院内のレストランで妻と待ち合わせて食べた。メダイのソテーランチは美味しかった。良い勉強になった。いつか自分の料理に応用したいことをいくつか発見。帰りの電車でぐっすり寝入ってしまった。次の日も一日疲れでぐったりしていた。病院での検査には体力が必要だ。いつまで自分の足で診察に東京まで行けるのか。
聴力検査の結果は前回より少し落ちているが心配ないそうだ。超音波検査では相変わらずフォアグラ化が止まらない脂肪肝を指摘された。