「早くしろ」 スーパーのレジで小銭をそろえようと少しもたついていた私に後ろの男が怒鳴った。
私の妻は支払いの時、例えば231円なら10円1円の単位まで細かくそろえる。以前私は小銭をポケットにジャラジャラ貯めるほど、平気で231円の買い物に千円札1万円札を出す人だった。エエカッコシイの見栄っ張り。レジでもたつく老人に心の一部で厳しい下品な言葉が行き来していた。再婚してからだんだん変わった。特に妻の海外勤務に同行して目が覚めた。
最初の任地ネパールではカースト制度が人々の振る舞いに色濃く影響を与えていて、争いというものをあまり目にしなかった。ただアジアだなと思ったのは、映画館、バス乗り場、飛行場などで列を作っても横入りする輩が多かった。人々はそれを防ぐために列は前の人の背中に後ろの人は胸を押し付けた。私はとても列に加わる気がしなかった。セネガルは旧フランス植民地でフランス文化の影響が残っていた。マルシェと呼ばれる市場ではフランスのマルシェのように買い物客はきちんと列を作って順番を待った。話し好きのセネガル人は店の人と客が長話をすることもよくあった。でも誰も「早くしろ」などと言う人はいなかった。休暇でフランスなどヨーロッパのマルシェでも同じだった。セネガルのあと妻の転勤で旧ユーゴスラビアへ行った。社会主義の国では物資購入のために並ぶのが生活の一部だった。そのせいか何事も悠長だった。待つことを厭わず、当たり前としていた。順番が来れば客は待った分、全権を付与される。後ろは待つのみ。
スーパーで私に「早くしろ」と言った男を見た。今度は「ガンつけたな」と来るかと予想したが、以外にも男は目をそらした。まさかこの男、私を女性と思った?私の残量わずかなアドレナリンが騒いだ。顔がほてった。テストステロン(男性ホルモン)はもうずいぶん前に消えた。
私は会計を済ませてレジ袋に買った商品を入れた。ふと私は男がどれほど敏速に手際よくレジを済ませるかみたい衝動にかられた。私はレジに近いよく男を見ることができる場所に立った。男は財布のカード入れからカードを全部出して一枚一枚チェックしていた。今度はポケットというポケット全部に手を当てる。「ねえなあ」と男がつぶやく。私は思わず「早くしろ」と声を張り上げたかった。男は狼狽していた。もたつき度は私と五十歩百歩。どうしたアンチャン、いいとこ見せてよ。
私は急いで車に戻った。笑いを噛み殺した。ドアを開け、座ってドアを閉めた。大きく深呼吸した。アドレナリンは雲散霧消。人の振り見て我が振り直せ。売られた喧嘩は絶対買うな。短気は損気。
最近『「衣食足りて礼節を知る」は謝りか』(大倉幸宏著 新評論発行 2000円+税)を読んだ。良い本だと思い、妻にも読むよう勧めた。
こんなことが書いてある:『日本人のマナー・モラルは、この約半世紀の間に飛躍的な向上を遂げました。かつて日本人に浴びせられた数々の汚名は、見事にすすがれた・・・変化をもたらした最大の要因と言えるのが、日本人の「ひろい世間」の拡大だったのです』 (228ページ) 世間をさらにひろげようと思う。偏見や先入観こそ世間を狭める原因なのだ。良い勉強をした。