Breathe & Stretch 〜マインドフルネストレーナーのメモ帳〜

縁あって辿りついたマインドフルネストレーナーの仕事。悩みは色々あれど、喜びや楽しみが増えていきますように。

マインドフルネス心理療法での拠点「北陸マインドフルネスセンター」開設。

マインドフルネス心理療法は、第3世代の認知行動療法で、日本ではまだ新しいものです。

北陸マインドフルネスセンター」ではマインドフルネス心理療法のうちの「自己洞察瞑想療法(SIMT)」で
うつ・不安障害の方を中心としたサポートを行っていきます(福井・石川・富山)。

このまま何もしないでいるとメンタルヘルスが悪化し、仕事や家事に支障を来しそうな予感のある方や、
通院しながら急性期は乗り越えたかなと思われている方、お薬を減らして行く過程にある方で、
なるべく自分の力で乗り越えて行きたいとお考えの方は、お気軽にご相談ください。⇒こちら
(病状によっては効果が確認されていないケースがございます。診断を受けていらっしゃる方は必ず事前に
お知らせください)

マインドフルネスについて記事更新中。 こちらのブログもぜひお立ち寄りください!
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母の日に贈る

2006-05-18 00:54:55 | 家族とのかかわり
母の日は過ぎたが、今日贈り物が届いたと母からメールがあった。

事前に宅配便で送ろうと思って目星をつけていた「アロマランプ」をうっかり買い忘れ、日曜日に間に合わなくなってしまった。

仕方ないので、こうなったら楽天でもう少し気に入ったものを物色してみたら、本当にささやかな品ではあるが、私もほしくなるようなものを発見したので、グレープフルーツの香りのオイルとともに注文した。

一目ぼれしたフラワーアロマランプ、きれい・・・

母もすっかり気に入ったようで、ウキウキ気分のメールが届く。

「白くて、おしゃれ。見てても楽しい。ありがとう。携帯デビュー、1ヶ月こんなことができ、不思議だわ」と返信あり。

近年、電話だけは母の日はしていたが、心配をかけないためにと、あまり長くも話すこともなかった。久しぶりのプレゼントが「携帯電話効果」と解釈されているのが若干、微妙やなぁ・・・(苦笑)

★届いたらすぐにアロマテラピースタート♪★シェード&フラワーコンセント型アロマランプ+PRE...
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ハナミズキ

2006-04-26 01:17:15 | 家族とのかかわり

今通っている職場であるホテルの近隣には大手企業も多く、ビジネスマンや就職活動中の学生でにぎわっている。

ホテルも修学旅行シーズンで中学生が毎日のようにやってくる。

そんな人々を迎える、薄紅と白い花をつけた街路樹が美しい。

その樹の花の名前を通うようになって10日ほどしたころどうしても知りたくなった。そうだ、母にメールで写真を送り聞いてみよう。

返信あり:「はなみずきかな?3,4メートルぐらいの高さですか?よく見えません。街路樹かな?華やかですね」

その花を初めてハナミズキと知った。ハナミズキはこんなに背丈の高い木だとは知らなかったのでちょっと意外。一青 窈の「ハナミズキ」を鼻歌交じりで歌い、少し肌寒い空の下、深呼吸をする休憩時間・・・

覚えたばかりの漢字変換、質問ばかりの母の返信がありがたくも嬉しくもあり。
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母の雪解け

2006-04-25 12:13:20 | 家族とのかかわり
以前から、姉と検討していたが、遂に両親に携帯電話を持たせることになった。

すっかり隠居の身である両親であり特に必要な訳ではないが、何かあった時に備えてということで。

母は以前から、私たち娘たちがメールをする様子を見て、非常に興味を持っていた。

うちの母、意外にも、チャレンジャー・・・・・。

小学生の孫がスラスラと文字を入力することにも感心していたこともあり、御年、66歳の手習い、孫に習ってがんばって漢字・カタカナ変換をマスター!

という訳で、私たち母娘は現在メールでのコミュニケーションが非常に密である(笑)。

帰省するたびに母の硬い表情は私にとっては懸念の材料だったが、送られてくるメールの内容は表情にあふれ、扱うテーマもなかなか豊かである。

ホッとする。

雪国の長い冬は終わり、新しいことにも挑戦する気力が沸いてきたのかもしれない。長年、続いていた、母の心の中の「こわばり」が解けていることを感じている。

姉も私も、どう対処するのが良いか悩んだ日々もあったが、プラスのストロークが全く不足していたことが原因だったと思う。

離れて暮らす都合、メールのような手段ではあるが、敢えてプリペード式携帯にしたこともあり、カードを送る時に手紙を添え、これまでの不義理を取り返したいと思う。
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母への贈り物

2006-04-08 15:59:36 | 家族とのかかわり
父が先日上京した時に、母へと持たせたものがあります。

それは「塗り絵」。最近、「塗り絵で癒し」が静かなブームになっているとのこと。

また手を動かすことで脳も活性化するということで、中高年にも人気だそうです。電話をしてみると、母も、新聞で読んで知っていたようで、少しだけ嬉しそうでした。

新宿東口の紀伊国屋に行くと、専用コーナーがあり、非常にバラエティに富んだ塗り絵が並んでました。

私も、時間ができたらやってみたいと思い、1冊買いました。まだ全く手がつかず、表紙がきれいですから、飾っています(笑)

母には、植物中心の少し簡単なものを選びました。

若いときには刺繍の腕前も相当なもので、色彩感覚も良いので何となく関心を持ってくれそうな気がしています。

北陸の長い冬は終わり、桜はまだとのことですが、暖かい季節を迎えます。何か新しいことで楽しんでくれるといいなあと思います。

今朝、久しぶりに電話をしてみると、先日、私から真珠の写真のポストカードを送っていたので、「きれいな、はがきが届きましたよ」と嬉しそうな声で母が私に言いました。これまでの娘からの「ストローク不足」を痛感した次第です。

名画の塗絵―アルフォンス・ミュシャ編

二見書房

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父のみやげ

2006-04-02 21:09:49 | 家族とのかかわり
今日は朝から、社外の勉強会のため表参道、渋谷とはしごをし、夕方から、上京してきた父に会うために新宿に行った。

父は8年前に脳卒中で倒れてから、たびたび1人で金沢を離れることもあるが、やはり1人で来るのは心配である。

気がつけば70を過ぎ、久しぶりに金沢以外で会った今日は、私が世話を焼くことが多かったように思う。話したいことが多かったのだと思う。

切れた脳血管の部分が言語や記憶に関するあたりだったわりに言葉も記憶もしっかりしている。

年をとったなあと思うのは、昔の話が多く、話が堂々巡りするようになったこと。

多少、いらっとすることもあるが、言葉を失った時期もあったことを思えば、じっくりと話を聴くことが親孝行なのかと思う。

孫も中学生になることを考えれば普通の「おじいちゃん」になったんだろうなぁ。娘としては、若いときの「父」でいてほしいのだろうけど、仕方がないことなのだろうと思う。

店を出ると、大雨になっていてホテルまで送っていくと、おみやげだと言って、金沢の銘菓「小出の芝舟」と「円八のあんころ」(どちらも加賀の古典的なみやげ菓子)がかばんの中から出てきた。

他に荷物らしい荷物は入っておらず、これだけを持ってきたのかと思うと「じーん」としてしまった。

話の中で、東京で1人で暮らしていけるのか、金沢には戻ってこないのかと、他の言葉に混じって特段強調されることもない言葉が何度かあった。

ずっと私のことは、心配などしていないのだと思っていたが、父ならではのメッセージだったと思う。

年寄り扱いして、いろいろ世話を焼いてしまったこともあり、父は「いろいろ格好悪かったけど、またな」と言って、部屋に向かっていった。

年に数回しか会わないこと、父の年齢のことも考えると、「あの時、あぁしておけばよかった」と後悔することなく、小さな親孝行はしておきたいと思った。

帰り道、両親に心配をかけている自分のことを省みて、自然と涙がこぼれてきた。
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母のこと

2006-03-17 23:10:06 | 家族とのかかわり
親との関係を遡ったり、過去の感情を振り返ってみたりすることは結構疲れる。

しかし、交流分析を通じて、この問題には少なからず向かい合えたように思う。

存在としては私にとっては母の方が気になる。懸念の対象だ。

幸いにして体は丈夫だが、何かを心配して内側にこもってしまい出てこれなくなってしまうことがある。年を重ねた今、少し物憂い日々が続いているからだ。

帰省するたびに不安になる。姉が近くに住んでいるので大きな不安はないが、母の心配性は時に私たちを憂鬱にするコミュニケーションに発展し、私たち姉妹を悩ませる。

最近、思うことは母は「ストローク飢餓」状態なのではないかと思う。

その名の通り、ストロークに飢えた状態では、どんなストロークでもよいので欲しがるがあまりに、母のストロークが否定的な方向に向かっているのではないか?

ストローク飢餓になると、否定的なストロークによる心理ゲームで飢餓を癒そうとする。

娘が離れ、孫も大きくなり、老いも進むことで喪失感もあるのだろう。湿り気を帯びた感情をぶつけられるとまいってしまう私だが、それはアラームなのだと思う。

私個人も「ストローク飢餓」の状態に陥っていたこともあるので、理解できるようになった。そう考えられるようになったのも交流分析を学んだおかげだと思う。

明日、キレイなポストカードを送ろう。
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父のこと

2006-03-14 22:51:54 | 家族とのかかわり
父と母は全く正反対の人間である。

父は本当にマイペースだ。もともとくよくよしないタイプで、ノウテンキ気質なので、心配性の母をイラつかせることも多いと思う。父も、少し干渉気味の母をうっとおしく思うこともあったと思う。

しかし、私にとっての父は少し面白い。多少、ファザコンなんだと思う。

どこか無計画で型破りでいて、気まぐれで、発想力があり、好きなことはとことんやるところなどはカラッとしていて楽しい(ちなみに過去に付き合った男性にはこのタイプの人が数名いる)。

そして私には全く干渉をせず、教育上、なんら躾に影響を与えていない(笑)。今思えば、無関心だったのかしら、と思うほど。

家庭内には、父の鼻歌が聞こえることが多く、極めて自分最優先主義で上機嫌な人である。

しかし、そのしわ寄せは家族に及ぶ。母と姉が後始末をしてきた感ありです。大学を卒業してから金沢を離れてしまいすっかりまかせっきりになっていて申し訳ない。

父は、今も相変わらずややお気楽体質だが、元気な証拠と受け止めている。

脳卒中で倒れた時は本当に心配をしたが、寝たきり生活は無縁で元気に回復していることを何よりもありがたく思う。

私の結婚式の直前に倒れてしまったので花嫁姿をもう見ることはないと思うが、おそらくそんなことは何とも思っていなさそうである。

独り身となった私を少しは心配してほしいものだ(笑)
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家族は出てこない

2006-03-12 02:10:21 | 家族とのかかわり
なぜ私の書く文や絵には家族が出てこないのか?

先日「吐露する」を書いて気づいたのだが、確かに小学校1年生の時、初めて書いた3行の作文に祖母が登場して以来書いてない。

初めて家族について書いた作文から30年の時を経て何か書こうとしている・・・

親とは、別に仲が悪いわけでもないし、根に持つ思い出も特にない。むしろ心配を掛けたことを詫び、寛容に育ててくれたことには感謝している。

しかし、どことなく距離はあるかもしれない。

ちなみに、我が家は、血液型まじりっけなしのO型一家。皆んな「わが道を行く」人たちかもしれない。

私と姉は年も離れていたので姉妹喧嘩もなく育ち、一人っ子・一人っ子として、母は十分手をかけて私を育てることもできたと思う。

それを窮屈に思うことが多い思春期だったかもしれないが、勉強(ゼミ)・部活(体育会なので)・バイト・人並みに恋愛(?)で忙しく、合コンは程遠い多忙な学生時代。ほとんど家にいなかったような気がする。

次女の為かあまり期待もされず育ち、自分の進路の選択は反対されることもなく、自分の思った道を歩んできた。(唯一、結婚は反対されたな・・・)自分が思うように選択でき、それを助けてくれたことには感謝をしなければならないと思っている。

母は心配性だ。

日本女性らしく献身的でちょっと過保護気味。

精神的な病に陥りそうなこともたびたびあった。エゴグラムで言うと完全に親(CP・NP)とACが高い感じ。

父は、FC(自由な子供)が高い「タイプ7」傾向がある。創造性のかたまり。

脳卒中で一旦失った言葉を必死のリハビリで取り戻した頑張りは見事。

姉は極めて優秀で父と共に一級建築士だ。

SOHOで「タイプ3」的スーパー主婦っぽいけど、根っこは「タイプ1」っぽいなあと感じることが多い。

手先が器用で何でも作ってしまう。そこは母譲り。基本的には母以外は家にはあまりいなさそうな人たちである(苦笑)。

家族旅行はいつも姉の受験の後だった。

家族4人で何かした、どこかいく、ということはこんなことぐらいだったかも。

私は、自営業の父の出張に自分の意思とは無関係に連れていかれ、いろんなところに行った記憶がある。

母とは近場の温泉に行き、美味しいものを食べ緩やかな時間を過ごすぐらいだった。特に鮮やかな旅の思い出はないが不満もない。

父が倒れた後、2年ほどして金沢から熱海に出てきた時に一緒に泊まって以来どこにも行っていない。

最近は、親孝行するなら今のうちかと思っている。
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2012年の6月からアクションラーニングのコーチとして活動しています。アクションラーニングとは⇒コチラ
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アクションラーニングでは、問題を持つ方が問題解決できるのはもちろんですが、グループメンバーも提示された問題を自分のことのように考えながら、チームビルディングや自らのコミュニケーション力向上やリーダーシップなどについて振り返り、学ぶことができます。
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