映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

借りぐらしのアリエッティ

2010年08月04日 | 邦画(10年)
 たまにはアニメでも見ようということで、『借りぐらしのアリエッティ』をTOHOシネマズスカラ座で見てきました。

(1)お話は、郊外にある古ぼけた邸宅の床下に住んでいる小人の少女・アリエッティと、その家に病気療養しに来た少年・翔との交流を中心に展開されます。

 アリエッティは両親と一緒に暮らしています。
 彼ら小人たちは、家の床下に自分たちの住居をこしらえ、ただ電気とか水道、食物などは、人間のものを少しだけ“借りて”います(それで「借りぐらし」なわけです。とはいえ、むろん返すことはありませんから、実際には“くすねて”いると言うべきでしょう!)。
 ある日、父親に連れられて角砂糖などを台所に“借り”に行った際に、アリエッティが翔の目にとまってしまいます。
 本来は、人間に姿を見られたら引っ越さなければならないとする掟があるのですが、住み心地の良さもあってグズグズしていたところ、翔の方からアリエッティにアプローチがあったりして、二人の間での交流が深まります。ですが、結局その家の床下に長居はできなくなって、一家は、新しく仲間になった小人の少年・スピラーとともに、別の居住地を求めていくのでした。

 こうした物語を、実に綺麗な画像が紡ぎ出していきますから、最初から最後まで見ている方はウットリし通しです。なにしろ、人間の10分の1の小人が主人公なため、周囲のさまざまの物が拡大されると同時に、本当に細かいところまで丁寧に描かれているのです。
 特に、ミニチュアサイズの大きさに作られたドールハウスは、昔小人を見たことがあるという曾祖父が、小人たちに住んでもらおうとイギリスに注文して作らせたとされていますが、その内装とか家具、調度品などが事細かく描き出されているのには驚きました(ミニチュアのポットを、ミニチュアらしく大画面に映し出すということは大変な技巧なのではと思いました)。

 ですから、別にアニメらしいファンタジックな画面がなくとも、この映画全体がファンタジーというわけなのでしょう。別に異次元に飛んだり、異星人が飛び出したり、宇宙戦争が起きたりするわけでもありません。でも、この映画で映し出される映像は、決して実写化が可能ではなく、やはりアニメでなくては作れないものといえます。

 ただ、原作のメアリー・ノートン作『床下の小人たち』を日本の東京郊外に置き換えたというのに、なぜ小人たちの名前が原作のママになっているのか不思議です。そうだったら、小人たちの会話も英語であるべきでしょうが、アリエッティは翔とスグニ会話が出来てしまうのです(大体体格がまるで違うため声量もかなり違うでしょうから、翔はアリエッティの言っていることが聞こえないのでは、とも思えるのですが〔逆に、翔の声がアリエッティにもの凄く大きく聞こえる様子は、最初の出会いで描かれてはいます〕)。

 また、アリエッティの一家は、他の小人たちとは独立して自分たちだけで生活しているところ、例えばその内の誰かが病気になった場合にはどうするのでしょうか(翔が、心臓病で1週間後には手術を受けるという設定だけになおさら)?小人とはいえ、一定の規模のコミュニティを想定しないと非現実的な感じがしてしまいます。
 
 それに、彼らは、一日陽の射さない床下で隠れて生活しているのですから、肉体的にも精神的にもボロボロになってしまう可能性があると思えます(特に、日本では湿気の問題が重大です)。

 ですが、そんなことは実に些末であって、このお伽噺を見る上で何の障害にもなりません。
 ただクマネズミには、やはりこのアニメは、これから起きるであろう冒険譚のホンノ序章部分に過ぎないように思えて仕方ありません。
 そうなるのも、このアニメでは、アリエッティと翔とのわずか1週間という短い期間の交流が描かれているだけであって、そこでは専ら小人たちの生活振りを紹介することに主眼が置かれているように見え、目を剥くような出来事は何一つ起こらないからです。アニメと言えば、やっぱりそうした出来事を期待してしまうのではないでしょうか?

 それに……。

(2)小さな生き物が長年住んでいた場所を追い出されて、別の棲みかを求めるという物語は、どこかで読んだ記憶があります。そうです、クマネズミ一家の引っ越しを描いた松浦寿輝著『川の光』です(昨年の8月10日の記事を参照してください)!
 ただ、今回のアニメと異なるのは、その終りの時点から『川の光』が始まるということです。

 『借りぐらしのアリエッティ』のラストは、アリエッティが翔とお別れをした後、その一家が、少年スピラーの用意したヤカンの舟に乗って川を下っていくシーンです。



 この光景は、なんだか「玉川上水」のように見えます。
 というのも、劇場用パンフレットに掲載されているこの映画の2008年7月30日付けの企画書(宮崎駿氏の手になるもの)には、「場所は見慣れた小金井かいわいで良い」とあるからです(注1)!

 他方、『川の光』は、父親と2人の兄弟タータとチッチからなるクマネズミ一家が、長年住み慣れた川岸の巣穴を追い出されて、川を遡っていくことから始まります(注2)。

 この川が、作者は明示的に書いてはおりませんが「玉川上水」ではないかと思われるのです。

 勿論、実際には、玉川上水の両サイドには金網のフェンスがあり、中に立ち入れないようになっていたりして、こうした光景とはかなり違ってはいるのですが、雰囲気としては当たらずとも遠からずといえるでしょう。

 『川の光』は、ここから、新しい住処を川の上流に見つけるまでの紆余曲折を描いていきます。『借りぐらしのアリエッティ』も、このラストから新しい安全な住処を探すまでには波瀾万丈の冒険が待ち受けているのではないでしょうか?

(3)あるいは、弓を持ち猟師の格好をしている少年スピラーから、「サンカ」とか「マタギ」の世界を想起しても面白いかも知れません。
 柳田國男の『山の人生』(1926年)では、「サンカ」について、たとえば次のように述べられています。「サンカと称する者の生活」において、「我々平地の住民との一番大きな相違は、穀物果樹家畜を当てにしておらぬ点、次には定まった場処に家のないという点であるかと思う」云々〔岩波文庫P.97〕。
 また、「マタギ」については、「マタギは東北人およびアイヌの語で、猟人のことであるが、奥羽の山村には別に小さな部落をなして、狩猟本位の古風な生活をしている者にこの名がある」。「マタギは冬分は山に入って、雪の中を幾日となく旅行し、熊を捕ればその肉を食い、皮と熊胆を附近の里へ持って出て、穀物に交易してまた山の小屋へ還る」云々〔岩波文庫P.102~P.103〕と述べられています。

 なお、少年スピラーは、映画の原作の『床下の小人たち』ではなく、その続編『野に出た小人たち』に登場します。
 それにしても、アリエッティにしてもこのスピラーにしても、どうして原作のままの名前なのかしら。

(4)映画評論家の論評は総じて好意的です。
 渡まち子氏は、「派手なアクションシーンもなければ、幻想的な空間も登場しない。何より説教くさいセリフなどない。最小限の登場人物、身近なものを新鮮に見せるアイデア、生きるという大冒険。これだけでこんなにも映画は広がりを持つのだ」として70点を与え、
 また、前田有一氏も、「米林宏昌監督は、なるほどジブリ一のアニメーターといわれるだけあり、ディテールは豊潤そのもの。きわめて映像的な見所の多い作品を作り上げた」が、「うっとうしいテーマ性が、そこから観客のフォーカスを微妙にずらして不協和音を発生させ、どちらも中途半端に終わらてしまった」として60点をつけています。
 福本次郎氏は、「映画としては劇的な場面は少なく展開も予想通りながら、メッセージ性を薄めて説教臭さが少なくなったのは好感が持てる。だが、この物語を受け入れるには幼児のような無垢な心が必要なのも確かだ」として50点です。

 ただ、前田氏の評論はこのところ酷く抽象的で、「うっとうしいテーマ性」とは、その前に述べられている「人間側が言いだす「自然、多種族との共生」論の傲慢さ、困難さ」を指しているのでしょうが(注3)、そんなものは言うまでもないことであって、何も「不協和音を発生」させているとまで大仰に言うまでもないと思われますし、前田氏が願うような「少年とアリエッティのかなわぬ交流、恋のごとき感情の交感に焦点をあて、別れの切なさに見せ場を収束させる物語」にこの映画をしてしまったら、とても退屈で見てはいられないことでしょう!


(注1)7月31日付けの朝日新聞夕刊によれば、アリエッテイたちが住む屋敷の描写に参考になったのは、青森県平川市にある「盛美園」ではないかとされています。というのも、明治時代の大地主・清藤盛美が明治44年に完成させた屋敷の形などが映画とそっくりだからで、2008年11月の社員旅行で、ジブリのスタッフ(宮崎駿氏も同行)がここを訪れたそうです。



(注2)この6月25日に、アニメ『川の光』のDVDが発売になっています。

(注3)具体的には、小人たちのことを「滅びゆく種族」と言ってしまう少年・翔に対し、アリエッティは「私たちは滅びたりしない。仲間はきっといる」と答えたりするところが該当するのでしょうか。
 ただ、劇場版パンフレットに掲載されている梨木香歩氏のエッセイによれば、原作『床下の小人』では、アリエッティの方が、人間を「借りぐらしの自分たちのために存在する、滅び行く種族」と思い込んでいたようで、それを今回のアニメ化に際しては逆転させたようです(脚本は宮崎駿氏)。とすれば、前田氏は、この考え方を宮崎駿氏特有の「うっとうしいテーマ性」と決めつけていますが、原作自体にそうした「テーマ性」があるわけで、的を外してしまっているのではないでしょうか?



★★★★☆


象のロケット:借りぐらしのアリエッティ

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1 コメント

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アリエッティの名前と背景 (ふじき78)
2010-08-08 09:50:39
こんちは。
「アリエッティ」と言う名前はそう言えばそうか。気にならなかったけど、実は日本人名でなくコロボックルっぽく「リコリコ」とか「ナコルル」でもよかったかもなあと考えると、じゃあ「アリエッティ」でもいいか。どっちかってえと、無理に日本人の男の子で、日本の郊外にしなくてもよかったんじゃないか、と。そっちの方に気が向きましたけどね(別に日本に固執する必要がない話でしょ)。

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