映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ゼア・ウイル・ビー・ブラッド

2008年06月20日 | 08年映画
①『週刊新潮』5月15日号の「闘う時評」における福田和也氏は、この映画に対して、随分と凄まじい批判を展開し、「見るも無残な失敗作」だとして何から何まで徹底的に否定してしまいます。
すなわち、
a.「音楽が非道い。クラシック・コンプレックス丸出しの大仰さとコケ威しばかりで、まったく感興が湧かない」。
b.主演のダニエル・デイ=ルイスは凄い大根役者。
c.「脚本がなっていない。カタルシスがないのは、派手な争闘がおきながらも、本質的な対立が実は存在していないから」。
d.「父親の怪物性が完全に空転している」。
e.一応、仇役になっている牧師がまた情けない。演じるポール・ダノがまた非道い。
f.「撮影にしろ、音声にしろ、すべてが映画をデイ=ルイスの独り芝居にすることにのみ貢献していて、ドラマとしての、画面としての広がりを拒否している」。

 ですが、ここまで言うのであれば見なければ良かったのです。あるいは、そんなものを選んで見てしまった自分をまず恥じるべきでしょう。

②他方で、“つぶあんこ”氏は、「古典に現代を投影させ皮肉った、素晴らしきアメリカ映画」と評価して92点を与えています。特に、次の点は、上記福田氏の見解と180度異なるものです。
すなわち、
a.ラストでは、「凄惨を通り越して笑いすらうまれてしまう"惨劇"によって、文字通り"虚"にとどめを刺して"実"が大勝利する。いや、実は最初から勝っていたのだから、カタルシス極まれりの大団円である」。
b.「ダニエル・デイ=ルイスの演技センスは秀逸。さらに、"虚"の化身として最後まで付きまとった虫ケラを、これまた何ら同情できないキモさ全開で演じたポール・ダノも、ナイスキャスティング」。

③粉川哲夫氏も「力作である」として、満点が5つ星の内4つ星を与えています。
 上記福田氏の見解との関連でいえば、次のように述べています。
a.「若い牧師を演じるポール・ダノは、悪くはないが、このキャラクターの内的矛盾を十分には表現していない」。
b.「ジョニー・グリーンウッドの「音楽」は、わたしは好きだ」。

④私としては、福田氏の見解は受け狙いが濃厚で、ことさら激しく批判しているのではないかと思います(以前「ノーカントリー」を批評した際にも、コーエン兄弟の傑作としては「赤ちゃん泥棒」だ、と大層穿ったものの言い方をしていました!)。
 確かに、主演のダニエル・デイ=ルイスの演技には、日本でいえば新劇調で“臭い”といえる面はあるのかもしれませんが(「乱」における仲代達矢のような)、“実”の巨魁としての演技だと割り切れば素晴らしいのではないかと思いました(この映画は、彼の演技で持っているようなものでしょう)。
 また、“虚”である若い牧師を演じるポール・ダノにもっと存在感があれば、主演のダニエル・デイ=ルイスももっと生きたのかもしれません。非常に弱々しい感じがラストまで持続していて、それならあんな殺され方をしなくてもと思えてしまいます。ただ、最後にダニエル・デイ=ルイスのところに白旗を掲げて出向くわけですから、狂信的な側面ばかりでなく弱さをも表現しなければならず、非常に難しい役どころであって、それなりにポール・ダノはよくやっているのではないかと思いました(この若い俳優は、「リトル・ミス・サンシャイン」で見ましたが、そこでも難しい役をうまくこなしていたと思いました)。

 としても、もう一つの“虚”であるスタンダード・オイル社の面々も存在感が希薄で、福田氏に「本質的な対立が実は存在していない」と批判される面はある程度あるとは思います。

 なお、音楽については趣味次第ですから何とも言えないところ、私には映画の流れに十分即したもので、「まったく感興が湧かない」というわけのものではないと思いました。

 ということで、この映画は、“実”(“お金”)が“虚”(あるいは“信仰”)を打ち倒してしまうということを赤裸々に描いたもので、それなりに面白く最後まで目が離せませんでした。
 最後の場面で、ダニエル・デイ=ルイスが“I am finished”と言い、字幕では単に「終わったよ」と周囲の人に知らせているだけだったように思いますが、粉川氏は「私は終わってしまった」と解釈しています。いずれにせよ、“実”が“虚”に勝ったにしても、何も実際のところは手元に残らなかったものと考えられます。ということで、貴兄のいうように、決して「見終わった感じがいいものではない」わけですが、それでも私としてはマズマズ納得のいく映画でした。


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