『無言歌』をヒューマントラストシネマ有楽町で見てきました。
(1)この作品(注1)は、蓮實重彦氏が、映画のチラシなどで「必見」とまで書き記したりしているものですから、どんな作品なのかと覗きに行ってみた次第です。
物語(注2)は、毛沢東の中国で、「百花斉放・百家争鳴」の運動が始められたと思ったら(1956年~1957年)、引き続いての「反右派闘争」(1957年)で、前の運動に際して共産党を批判した者が厳しく弾圧されたときのものです(注3)。
舞台は、西部の甘粛省に設けられた政治犯の収容所(「夾辺溝」)。
といっても、だだっ広い半砂漠のところに、壕のように穴を掘って作られた至極簡易な宿泊所がいくつか設けられているだけのもの。周囲は遥か先まで何もないため、塀などは不要で、所長他数名の監視がいるだけにすぎません(時折、自転車に乗った監視人も現れます)。
一応は「農場」(「夾辺溝」にある労働教育農場の分場)ということになっていて、収容されている政治犯(注4)は、この半ば砂漠のような土地を開墾するのですが、ほとんど作物は育たないように見受けられます。
中央からの食料の供給も途絶えがちで(注5)、自給自活を迫られるものの、殆ど何も食べる物がない状況です(注6)。囚人達の話題といえば、「アヒルの丸焼き」など、昔食べた上等の料理のことなど食べ物に関するものばかり(注7)。
たまに生えている草は毒草で、食べた者は翌日には死んでしまいます。また、ネズミを捉まえて鍋て煮て食べても、食あたりで大変苦しむことになります(その者の吐瀉物を口に入れる囚人まで出現する有様)。
極寒の土地で、寒さと飢えで、収容されている政治犯は次々と死んでいきます。
いくつもの死体は、3人がかりで荷車に集められて、何処ともなく運ばれていきます。それも初めのうちは、きちんと土の中に埋められていたのでしょうが、次第に乱雑に処理され、食糧事情が極度に悪化してくると、遺体の中には、肉を切り取られてしまうのもでてくるようです。
ソウしたところに、最近亡くなったばかりの政治犯・董の妻・顧が上海からやってきて(注8)、夫に会おうと壕の中にまで入ってきます〔こういうところからすると、収容されている者は、厳密には犯罪者とはいえないようです。また、鉄道の駅も、歩いて到達できる範囲にあるようです(注9)〕。
ですが、董は7日ほど前に亡くなっており、同じ囚人仲間の李がそのことを妻の顧に伝えると、妻は、是非墓まで案内してほしいと言います。ですが、董の遺体の惨状を知っている李は、妻を案内するに忍びず、土饅頭の場所が分からないと曖昧な態度に終始します。
ですが、妻は執念深く夫を探し求め、半分露出した状態の遺体に辿り着き、散々泣き喚いた挙げ句、荼毘に付したうえで遺骨を抱いて上海に帰っていきます。
といったような具合に映画は展開されます(注10)。
この映画が描いている事柄(反右派闘争で政治犯となった人たちが味わった地獄のような収容所生活)自体は、ことさらクマネズミにとって興味があるわけではなく、本作で見るとしたら、荒涼とした中国西部の大自然の光景(注11)と、その中で蠢く人間の小ささなどでしょうが、そしてそんなものはある意味で退屈極まるものですが、なぜか109分の映画をおしまいまで見続けてしまい、その後もズーンと心に残ってしまいます。
(2)冒頭で紹介した映画評論家の蓮實重彦氏は、雑誌『群像』の本年1月号掲載の「映画時評37」で本作を取り上げています(「撮ることの好きな映画作家だけに可能な 卓越した編集の呼吸を、満喫しようではないか」)。
そこでは、「『無言歌』が貴重な作品なのは、自国の恥ずべき歴史を暴いてみせるこの若い映画作者の大胆さにもまして、いかにも希薄でとらえがたい生の気配を、それだけがキャメラを向けるにふさわしいものとして、フィルムの全域に行きわたらせているその演出の繊細さによる」と述べられて、その例示として、上記の董の遺体にすがって泣く顧が壕に戻って、「夫のために持参した食料を壕の者たちにさしだすと、蒲団からゆっくりと起きあがる男たちが、あくまで緩慢な身振りでそれを手にしてもとの場所に戻り、目前と食べつくすまでを、やや距離をおいてじっと見つめることのできるこの映像作家の悠揚迫らぬ演出には驚嘆せずにはいられない」と述べられます。
確かに、壕から一歩外へ出ると、見渡す限り地平線しか見えない砂漠が続くだけで、その中で生きている者といえば、飢えと寒さで酷く緩慢な動作しかできない収容者ばかりといった状況であり、殆どすべてが死に絶えていると言ってもいい感じなのです。ですがそれでも、かろうじて生きながらえている者は、ユックリユックリですが蠢いているのです。
その自然と人間との対比が余りにも鮮烈なために、この映画から目が離せないのかもしれません。
あるいは、上海から5日もかけてやってくる者(董の妻の顧)がいるのですから、「夾辺溝」が全くの地の果てに置かれているというわけでもなく、収容されている囚人も、脱出を試みれば出来ないこともないのでしょう。ですが、大部分の収容者は、そんなこともせずに死を従容として受け入れてしまっているように見えることも、この映画から目が離せない点かもしれません。
なにしろ、一晩寝て起きると、確実に壕内の誰かが静かに死んでいるのですから。
マサニ、ここに描かれているのは、「ゆるやかな生の気配」、「あくまで緩慢な生の摩耗」といえるでしょう。
とはいえ、そういった感想を持つのも、やはり毛沢東による「反右派闘争」といった歴史的な出来事を知っているからであって、そうした裏打ちなしにこの映画を見ても、リアリティーを感じることは難しいかもしれません。ヤッパリ、こうした映画からは、現代中国に対する厳しい告発と言ったことを先ず受けとめて、それに関心を持たざるを得ないのではないか、と思ったところです。
といっても、中国を非難するというものでもなくて、50年ほど前にはこんなことが行われてしまったのだ、といった深い悲しみの感じになるに過ぎないのですが。
(3)それはまた、粉川哲夫氏が、「ほとんど地獄絵だが、それが淡々と描かれる。目をそむけたくなるというよりも、深い絶望感に投げ込まれる。そこまで追い込まれた人間の哀れさすら感じない。この不思議な即物性がこの映画の一貫したスタイルである」、「この映画のユニークなところは、お涙頂戴の感傷主義に陥らないことだ」、「この映画は、観客を途方に暮れさせる。それは、「ひどいな、ひどいな」と怒りに誘うのとは本質的に違っている」などと述べていることに、もしかしたら通じるのでは、とも思ったりしています。
(注1)原題は「夾辺溝」、英語のタイトルは「The Ditch」。
(注2)劇場用パンフレット掲載の中国文学者・藤井省三氏のエッセイによれば、本作には小説『夾辺溝の記録』(楊顕恵著)という原作があって、本作は、その全19章の中から主に3つの章を取り上げて映画化しているとのこと。
なお、藤井氏によれば、原作は、「虚構性の高い小説ではなく、ドキュメンタリーであると言えよう」とのこと。
(注3)劇場用パンフレット掲載のジャーナリスト・辻康吾氏のエッセイによれば、この「運動の犠牲者は数百万人にのぼった」とのこと。
なお、こうした大規模で凄惨な粛清は、社会主義国のアチコチで見られ、例えば、スターリンの大粛清(Wikipediaによれば、「大粛清による死亡者の総数には50万人説から700万人説に至るまで諸説」あるとのこと)とか、ポル・ポト派による大量虐殺(Wikipediaによれば、「アメリカ国務省、アムネスティ・インターナショナル、イェール大学・カンボジア人大量虐殺プロジェクトの3者は、それぞれ120万人、140万人および170万人と推計している」とのこと)が知られているが、中国では、さらに「文化大革命」(1966年~1978年)によっても大量の犠牲者が出ました(Wikipediaによれば、「推計で数百万人から1000万人以上といわれ」ているようです)。
(注4)例えば、皆から「先生」と尊敬されていたとされる土木関係者は、「百家争鳴」運動に際して、「プロレタリア独裁ではなく国民独裁というべきだ」との意見を提出したところ、ここに送られることになってしまった、と述懐しています。
(注5)当時、1958年からの「大躍進政策」の失敗で、中国全土で「2000万人とも5000万人とも言われる近代世界史上最大の餓死事件」が起きていました(上記中記載の辻康吾氏のエッセイによります)。
映画では、食糧事情の悪化(1日せいぜい250グラムの配給!)に伴って、農作業は行われないことになり、代用食の確保に励めと言われます。
(注6)夜の収容所では、「ズボンや服を売って食糧を得ても、来年どうすれば?」「そんな先のことよりも、今を生き抜くことが必要なんだ」といった会話がなされたり、ロンジンの高級時計を持っていても、「そんなものはいくらにもならない」と言われてしまったり、離婚判決の通知書を受け取る囚人がいたりと、映画では悲惨な有様が描かれています。
(注7)映画『極道めし』のことが思い出されますが、そして両者ともに囚人の話ですが、それでも置かれている環境は、180度といっていいくらいに異なっています!
(注8)董は、妻と共に上海で医者だったのですが、「西北部を支援したい」と言って、周りが皆反対するのに、こっち方面にやってきて、挙げ句の果てにこんな目にあってしまい、「今では後悔している」と仲間に話します。
(注9)そればかりか、近況とか現在の居住地などを知らせる手紙のやり取りも、ある程度は自由に行われている感じです。
(注10)映画は、このあと李の脱走というエピソードが語られ、そして、ラストは、囚人達を故郷に帰す事が決められたという知らせが入り(余りに死者の数が多いからだと説明されます)、大部分の囚人は列車でそれぞれの故郷に帰って行き(中にはこの地に残る者もいますが)、ガラーンとなった収容所の壕の様子が描き出され、伝統的な「蘇武牧羊」の歌が歌われる中でオシマイとなります。
(注11)劇場用パンフレット掲載の「ワン・ビン(王兵)監督インタビュー」で、監督は、「甘粛省とモンゴルの間に広がるゴビ砂漠で、2008年10月から2009年1月の初めまで(全体で75日)、HDVカメラで撮影しました」、「この映画は、香港、フランス、ベルギーの共同制作ですから、中国政府の撮影許可は得ていませんでした。そのため地方政府との交渉は、とても困難になり、最大限の予防措置をとらなければなりませんでした」云々と述べています。
★★★☆☆
(1)この作品(注1)は、蓮實重彦氏が、映画のチラシなどで「必見」とまで書き記したりしているものですから、どんな作品なのかと覗きに行ってみた次第です。
物語(注2)は、毛沢東の中国で、「百花斉放・百家争鳴」の運動が始められたと思ったら(1956年~1957年)、引き続いての「反右派闘争」(1957年)で、前の運動に際して共産党を批判した者が厳しく弾圧されたときのものです(注3)。
舞台は、西部の甘粛省に設けられた政治犯の収容所(「夾辺溝」)。
といっても、だだっ広い半砂漠のところに、壕のように穴を掘って作られた至極簡易な宿泊所がいくつか設けられているだけのもの。周囲は遥か先まで何もないため、塀などは不要で、所長他数名の監視がいるだけにすぎません(時折、自転車に乗った監視人も現れます)。
一応は「農場」(「夾辺溝」にある労働教育農場の分場)ということになっていて、収容されている政治犯(注4)は、この半ば砂漠のような土地を開墾するのですが、ほとんど作物は育たないように見受けられます。
中央からの食料の供給も途絶えがちで(注5)、自給自活を迫られるものの、殆ど何も食べる物がない状況です(注6)。囚人達の話題といえば、「アヒルの丸焼き」など、昔食べた上等の料理のことなど食べ物に関するものばかり(注7)。
たまに生えている草は毒草で、食べた者は翌日には死んでしまいます。また、ネズミを捉まえて鍋て煮て食べても、食あたりで大変苦しむことになります(その者の吐瀉物を口に入れる囚人まで出現する有様)。
極寒の土地で、寒さと飢えで、収容されている政治犯は次々と死んでいきます。
いくつもの死体は、3人がかりで荷車に集められて、何処ともなく運ばれていきます。それも初めのうちは、きちんと土の中に埋められていたのでしょうが、次第に乱雑に処理され、食糧事情が極度に悪化してくると、遺体の中には、肉を切り取られてしまうのもでてくるようです。
ソウしたところに、最近亡くなったばかりの政治犯・董の妻・顧が上海からやってきて(注8)、夫に会おうと壕の中にまで入ってきます〔こういうところからすると、収容されている者は、厳密には犯罪者とはいえないようです。また、鉄道の駅も、歩いて到達できる範囲にあるようです(注9)〕。
ですが、董は7日ほど前に亡くなっており、同じ囚人仲間の李がそのことを妻の顧に伝えると、妻は、是非墓まで案内してほしいと言います。ですが、董の遺体の惨状を知っている李は、妻を案内するに忍びず、土饅頭の場所が分からないと曖昧な態度に終始します。
ですが、妻は執念深く夫を探し求め、半分露出した状態の遺体に辿り着き、散々泣き喚いた挙げ句、荼毘に付したうえで遺骨を抱いて上海に帰っていきます。
といったような具合に映画は展開されます(注10)。
この映画が描いている事柄(反右派闘争で政治犯となった人たちが味わった地獄のような収容所生活)自体は、ことさらクマネズミにとって興味があるわけではなく、本作で見るとしたら、荒涼とした中国西部の大自然の光景(注11)と、その中で蠢く人間の小ささなどでしょうが、そしてそんなものはある意味で退屈極まるものですが、なぜか109分の映画をおしまいまで見続けてしまい、その後もズーンと心に残ってしまいます。
(2)冒頭で紹介した映画評論家の蓮實重彦氏は、雑誌『群像』の本年1月号掲載の「映画時評37」で本作を取り上げています(「撮ることの好きな映画作家だけに可能な 卓越した編集の呼吸を、満喫しようではないか」)。
そこでは、「『無言歌』が貴重な作品なのは、自国の恥ずべき歴史を暴いてみせるこの若い映画作者の大胆さにもまして、いかにも希薄でとらえがたい生の気配を、それだけがキャメラを向けるにふさわしいものとして、フィルムの全域に行きわたらせているその演出の繊細さによる」と述べられて、その例示として、上記の董の遺体にすがって泣く顧が壕に戻って、「夫のために持参した食料を壕の者たちにさしだすと、蒲団からゆっくりと起きあがる男たちが、あくまで緩慢な身振りでそれを手にしてもとの場所に戻り、目前と食べつくすまでを、やや距離をおいてじっと見つめることのできるこの映像作家の悠揚迫らぬ演出には驚嘆せずにはいられない」と述べられます。
確かに、壕から一歩外へ出ると、見渡す限り地平線しか見えない砂漠が続くだけで、その中で生きている者といえば、飢えと寒さで酷く緩慢な動作しかできない収容者ばかりといった状況であり、殆どすべてが死に絶えていると言ってもいい感じなのです。ですがそれでも、かろうじて生きながらえている者は、ユックリユックリですが蠢いているのです。
その自然と人間との対比が余りにも鮮烈なために、この映画から目が離せないのかもしれません。
あるいは、上海から5日もかけてやってくる者(董の妻の顧)がいるのですから、「夾辺溝」が全くの地の果てに置かれているというわけでもなく、収容されている囚人も、脱出を試みれば出来ないこともないのでしょう。ですが、大部分の収容者は、そんなこともせずに死を従容として受け入れてしまっているように見えることも、この映画から目が離せない点かもしれません。
なにしろ、一晩寝て起きると、確実に壕内の誰かが静かに死んでいるのですから。
マサニ、ここに描かれているのは、「ゆるやかな生の気配」、「あくまで緩慢な生の摩耗」といえるでしょう。
とはいえ、そういった感想を持つのも、やはり毛沢東による「反右派闘争」といった歴史的な出来事を知っているからであって、そうした裏打ちなしにこの映画を見ても、リアリティーを感じることは難しいかもしれません。ヤッパリ、こうした映画からは、現代中国に対する厳しい告発と言ったことを先ず受けとめて、それに関心を持たざるを得ないのではないか、と思ったところです。
といっても、中国を非難するというものでもなくて、50年ほど前にはこんなことが行われてしまったのだ、といった深い悲しみの感じになるに過ぎないのですが。
(3)それはまた、粉川哲夫氏が、「ほとんど地獄絵だが、それが淡々と描かれる。目をそむけたくなるというよりも、深い絶望感に投げ込まれる。そこまで追い込まれた人間の哀れさすら感じない。この不思議な即物性がこの映画の一貫したスタイルである」、「この映画のユニークなところは、お涙頂戴の感傷主義に陥らないことだ」、「この映画は、観客を途方に暮れさせる。それは、「ひどいな、ひどいな」と怒りに誘うのとは本質的に違っている」などと述べていることに、もしかしたら通じるのでは、とも思ったりしています。
(注1)原題は「夾辺溝」、英語のタイトルは「The Ditch」。
(注2)劇場用パンフレット掲載の中国文学者・藤井省三氏のエッセイによれば、本作には小説『夾辺溝の記録』(楊顕恵著)という原作があって、本作は、その全19章の中から主に3つの章を取り上げて映画化しているとのこと。
なお、藤井氏によれば、原作は、「虚構性の高い小説ではなく、ドキュメンタリーであると言えよう」とのこと。
(注3)劇場用パンフレット掲載のジャーナリスト・辻康吾氏のエッセイによれば、この「運動の犠牲者は数百万人にのぼった」とのこと。
なお、こうした大規模で凄惨な粛清は、社会主義国のアチコチで見られ、例えば、スターリンの大粛清(Wikipediaによれば、「大粛清による死亡者の総数には50万人説から700万人説に至るまで諸説」あるとのこと)とか、ポル・ポト派による大量虐殺(Wikipediaによれば、「アメリカ国務省、アムネスティ・インターナショナル、イェール大学・カンボジア人大量虐殺プロジェクトの3者は、それぞれ120万人、140万人および170万人と推計している」とのこと)が知られているが、中国では、さらに「文化大革命」(1966年~1978年)によっても大量の犠牲者が出ました(Wikipediaによれば、「推計で数百万人から1000万人以上といわれ」ているようです)。
(注4)例えば、皆から「先生」と尊敬されていたとされる土木関係者は、「百家争鳴」運動に際して、「プロレタリア独裁ではなく国民独裁というべきだ」との意見を提出したところ、ここに送られることになってしまった、と述懐しています。
(注5)当時、1958年からの「大躍進政策」の失敗で、中国全土で「2000万人とも5000万人とも言われる近代世界史上最大の餓死事件」が起きていました(上記中記載の辻康吾氏のエッセイによります)。
映画では、食糧事情の悪化(1日せいぜい250グラムの配給!)に伴って、農作業は行われないことになり、代用食の確保に励めと言われます。
(注6)夜の収容所では、「ズボンや服を売って食糧を得ても、来年どうすれば?」「そんな先のことよりも、今を生き抜くことが必要なんだ」といった会話がなされたり、ロンジンの高級時計を持っていても、「そんなものはいくらにもならない」と言われてしまったり、離婚判決の通知書を受け取る囚人がいたりと、映画では悲惨な有様が描かれています。
(注7)映画『極道めし』のことが思い出されますが、そして両者ともに囚人の話ですが、それでも置かれている環境は、180度といっていいくらいに異なっています!
(注8)董は、妻と共に上海で医者だったのですが、「西北部を支援したい」と言って、周りが皆反対するのに、こっち方面にやってきて、挙げ句の果てにこんな目にあってしまい、「今では後悔している」と仲間に話します。
(注9)そればかりか、近況とか現在の居住地などを知らせる手紙のやり取りも、ある程度は自由に行われている感じです。
(注10)映画は、このあと李の脱走というエピソードが語られ、そして、ラストは、囚人達を故郷に帰す事が決められたという知らせが入り(余りに死者の数が多いからだと説明されます)、大部分の囚人は列車でそれぞれの故郷に帰って行き(中にはこの地に残る者もいますが)、ガラーンとなった収容所の壕の様子が描き出され、伝統的な「蘇武牧羊」の歌が歌われる中でオシマイとなります。
(注11)劇場用パンフレット掲載の「ワン・ビン(王兵)監督インタビュー」で、監督は、「甘粛省とモンゴルの間に広がるゴビ砂漠で、2008年10月から2009年1月の初めまで(全体で75日)、HDVカメラで撮影しました」、「この映画は、香港、フランス、ベルギーの共同制作ですから、中国政府の撮影許可は得ていませんでした。そのため地方政府との交渉は、とても困難になり、最大限の予防措置をとらなければなりませんでした」云々と述べています。
★★★☆☆
一瞬、共産党も懐が深くなったんだと思っていましたが、隠し撮りだったんですね。
おまけに中国では当然のように上映禁止とか。
文化大革命は誤りだったと総括されてますが、反右派闘争などまだまだ過去の政策の総括が必要です。
恐らくパンフに詳しく書かれているだろうがワン・ビンといえばYIDFF(山形国際ドキュメンタリー映画祭)。2003年の『鉄西区』(840分)、2007年『鳳鳴―中国の記憶』(183分)と2回の大賞を受け、昨年も『無言歌』撮影中のドキュメンタリー『名前のない男』が上映されている。ちなみに2005年の大賞は李一凡(リー・イーファン)の『水没の前に』と3回連続(隔年開催)で中国映画が選ばれている。
僕は1997,2005,2007,2009 と過去4回YIDFFに行ったがワン・ビンの作品は見ていない。
理由は単純に“長すぎる”から(ワン・ビンの最新作『原油』は14時間)。
夜行バスで12時間かけ早朝着いた日から4泊し朝10時から夜12時まで、まともな食事も取らず映画を見続けるので長い作品を選ぶと他の作品が見れなくなる、という馬鹿げた理由で。
本来、というか多くの人は公式パンフなどから得た前評判から“見るべき”作品を決め、それに合わせてスケジュールを組むのだろうが僕はパンフは買うがデータ入力するためで見るのは家に帰ってから。単純に時間を効率的に使うことだけでハシゴをするので(一応コンペ作品をメインにはするが)受賞作を見逃すことが多い。
中国のドキュメンタリーの評価が世界的に高い理由は皮肉にも社会・政治的背景から必然的に出てくるのだが、一言で言えば映画産業は国営で民間で映画を作ることはできない。しかし外国資本が“個人映画”に出資することは可能(『無言歌』は香港・フランス・ベルギー合作で中国映画ではない)。そして個人映画となれば必然的(9割以上)にHDビデオカメラによるドキュメンタリーが中心になる。そしてビデオの長所でもあり短所でもある“長時間”の作品が安価に撮れる…
もちろん検閲があるので中国内の劇場で公開されることは皆無に近く監督も最初から考えていない。
ただ天安門事件やチベット問題、宗教などを扱うことを除き検閲の基準が曖昧になっている。
例えば僕が見た、自身がクリスチャンである甘小二(ガン・シャオアル)の『挙自塵土(07)』は中国のキリスト教徒の日常を描く珍しいドキュメンタリーだがキリスト教ではなく河南省の農民の日常生活を描いていると言うことで検閲を通過したと監督が言っていた。
どうでもいいが蓮實氏はほぼ毎回参加し劇場では何度も顔を合わせています。
この映画を見て、ワン・ビン監督の他の作品をと思ったら、『鉄西区』(840分)、『原油』(14時間)などと聞いて、もう完全にお手上げです。
なお、そんな長時間の映画がどうしてできるのかなと思っていましたら、「HDビデオカメラによるドキュメンタリー」なら「“長時間”の作品が安価に撮れる」とのお話。なるほどと思いました。
でも、長い中国の歴史を見ると、戦いと王朝の変遷、前時代を否定してリセットする・・の繰り返しで、こういうことをやり続けてきたのかなあと感じた次第です。
>緩慢な生の摩耗
この表現が的を得ていると思います。「生の気配」は抹殺され、人としての尊厳が踏みじられている。でも、それでも生き抜いて行こうとする人間のしたたかさですかね。
当地で行われている国際ドキュメンタリー映画祭は、地元の利で、一番最初のプレイベントから参加しています。体力勝負の映画祭ですが、ときどきお化け映画あるんで、やめられません。
この監督の作品もその部類でしたが、さすがに9時間全部見る時間はなく、前半で断念しました。
見ていた人も数える程度。さすがに審査員はいましたが、他は暇人(自分も含めて)?あの人数でグランプリは??と感じたのですが、パワーは凄かったです。
そして、何と言っても次の作品の「鳳鳴」!!!これは本当にすさまじかった。ひとちのおばあちゃんが、自分の壮絶人生を語るだけなんですが、そのすさまじさに圧倒されました。この監督の視点と、作らねば!の意志が凄いと思います。
また映画祭に凄い映画を持ってきてくれるんだろうと待ってます。
来年が開催年ですが、一度お出かけになりませんか。
長文、失礼しました。