映画的・絵画的・音楽的

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ミス・シェパードをお手本に

2017年01月17日 | 洋画(17年)
 『ミス・シェパードをお手本に』を銀座のシネスイッチで見ました(注1)。

(1)82歳の高齢ながら映画やTVや舞台で元気に活躍しているマギー・スミスの主演作というので、面白いに違いないと思って映画館に行ってみました。

 本作(注2)の始めの方では、車のフロントガラスが映し出され、そこには何かがぶつかった跡が残っています。
 そして、「ほとんど真実の物語」(A Mostly True Story)の字幕があって(注3)、タイトルが流れます(注4)。

 次いで、作家のアラン・ベネットアレックス・ジェニングス)の家(注5)。
 ベネットは、書斎の机の上に置かれているタイプライターに向かって作業をしています。
 彼のモノローグ「ミス・シェパードの匂いには、かすかな尿の臭がする」、「彼女のお気に入りはラベンダーの香り」が入ります。
 すると、トイレの水が流れる音がして、ミス・シェパードマギー・スミス)がトイレから出てきて、玄関を通って家の外に置かれている車(バン)の中に入ります。
 それを見ていたベネットは、彼女の後を追いかけて、「通りにある公衆便所を使ってくれ」と言います(注6)。
 すると、彼女は「臭くて嫌だよ。私は根っからのきれい好きなんだ」と答えます。



 再びベネットのモノローグ「作家は二重生活だ。ものを書く自分と日常生活を営む自分」、「2つの自分はいつも話しているし、議論している」が入ります。

 ベネットがミス・シェパードを知ったのは、この街に引っ越してきた時に、動かなくなった車をベネットが押してあげたことから。
 さらには、ミス・シェパードが行き場がなくなった際、ベネットは自分の家の庭先を提供して車を駐車させます。

 こうして物語が始まりますが、さあ、この先どんな展開が待っているのでしょうか、………?

 本作は、劇作家と、彼の家の庭先置かれたおんぼろ車で生活する老婆との交流を描いているところ、戯曲を映画化したせいでしょうか、総じて動きが少なく、それに、マギー・スミス扮する老婆から、ホームレス特有の嫌な臭いがこちらにまで漂ってくる感じがして、クマネズミには映画の中に入り込めませんでした。

(2)本作は、イギリスの劇作家のアラン・ベネットが書いた戯曲(注7)を、さらに原作者が映画の脚本を書いて映画化したもの。
 なるほど、ミス・シェパードが運転する車にオートバイが激突する有様とか(注8)、坂道をミス・シェパードが座った車椅子が滑り落ちる様子とか、映画ならではのシーンが用意されてはいます。



 でも、駐車している車とベネットの書斎の場面が大部分であり、本作が、全体として動きの少ない地味なものになってしまっているのは、一つには、戯曲を基にしているからなのではと思えます。

 それと、描き方で少々うるさく感じられるのは、ベネットの内面の動きを観客に理解させるために、モノローグだけでなく、作者の分身を作り出している点です(注9)。
 ベネットには、作家としての立場で見ると、ミス・シェパードがすぐに近くにいて彼女をつぶさに観察できることによって、彼女の行動をヒントにした新作をものすことができるメリットがあります。ですが、隣近所との日常的な付き合いも重要であり、そうした面ではミス・シェパードの存在がひどく疎ましく思えてきます。
 こうしたことから、本作には、それぞれを表すベネットの分身が登場し、分身同士で盛んに議論したりするのです。
 ところが、本作には、ベネットの気持ちを表すモノローグも取り入れられているのです。
 もともと、登場人物の内面の動きといったものは、演じる俳優の表情とか身振りなどから観客が推測すれば十分なものでしょうし、わざわざ分身まで作り出すことまでしなくても、という感じです。

 とはいえ、現在NHK総合で放映中のTVドラマ『ダウントン・アビー シーズン5』でも活躍中のマギー・スミスは、本作においても元気なところを見せます。
 ただ、このTVドラマとか『カルテット! 人生のオペラハウス』などにおけるマギー・スミスの役柄は、高齢の現在において色々大活躍するのに対して、本作における彼女の役柄は、人々に隠れるように生きている老婆であり、積極的な活躍の場が与えられていないのが残念な点といえるでしょう(注10)。

 それでも、マギー・スミスが老婆を演じると、老人特有のプライドに裏付けされた頑固さ・意固地さがうまく表現されて、すぐ前に見た『幸せなひとりぼっち』よりも、むしろ本作にそのタイトルを付けた方がふさわしいのではとも思えてしまいます。

 ただ、ミス・シェパードの行為は、ある意味で、その車を駐車させている街に“ゴミ屋敷”を出現させたようなものであり、その街の雰囲気がリベラルなために一応は許容されてはいるものの(注11)、随分と迷惑をかけているようにも思います(注12)。ベネットは、自分の庭先を使わせるよりも、むしろ、早いところ彼女を施設に引き取ってもらうようモット動くべきではなかったでしょうか?

(3)渡辺祥子氏は、「英国の社会福祉が与えるビジネスライクな優しさ、彼女がいた修道院の非情。事故の誤解が生んだ恐怖。そんな中、心は通じ合わなくても何か触れ合うものが生まれた2人の関係にほんのり心が温まった」として★4つ(「見逃せない」)を付けています。



(注1)『マルガリータで乾杯を!』を見た2015年11月以来のシネスイッチです。
 銀座に行って時間が余った時にちょっと立ち寄るのに格好の映画館なのですが、最近はあまり銀座に行かなくなったこともあって、足が遠のいていました。

(注2)監督は、ニコラス・ハイトナー
 脚本は、原作者のアラン・ベネット
 原作は、アラン・ベネットの『The Lady in the Van』(1989年)。
 本作の原題も「The Lady in the Van」。

 なお、邦題の「ミス・シェパードをお手本に」は、直前に取り上げた「幸せのひとりぼっち」同様に意味不明です。いったい、誰が誰の何をお手本にするというのでしょう?
 尤も、劇場用パンフレットに掲載のエッセイ「至福のひととき」において、筆者の丹野郁弓氏は、「これは『ほとんど真実のストーリー』に自らを放り込んだ作家の自分探しの話である。………その意味でも、この邦題「ミス・シェパードをお手本に」というのはまことに内容にふさわしい名タイトルである」と述べていますが。

 また、出演者の内、最近では、マギー・スミスは『マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章』、ジム・ブロードベントは『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』で、それぞれ見ました。

(注3)劇場用パンフレット掲載の岡野浩史氏のエッセイ「ある淑女の物語―The Lady In The Van」によれば、原作者のアラン・ベネットが、本作でミス・シェパードと呼ばれる老女に出会ったのは1968年頃で、彼が彼女の車を自宅の庭に駐車させることにしたのは1974年、そして彼女が亡くなるのは1989年、とのことです。ベネットは、都合“15年”ほど彼女と付き合ったことになります。
 ちなみに、本作の戯曲版が上演されてからこれも“15年”経過して、その映画版が制作されているのです!

 また、この戯曲は、2001年の秋に「ポンコツ車のレディ」とのタイトルのもと黒柳徹子(彼女の言葉はこちら)の主演で上演されています(どうして、本作のタイトルを「ポンコツ車のレディ」にしなかったのでしょう?驚いたことに、上記「注2」で触れたように、「ミス・シェパードをお手本に」というタイトルを絶賛している当の丹野郁弓氏が、戯曲の日本での上演にあたって翻訳をしているのです!)。

(注4)画面の半分には俳優やスタッフのクレジットが流れ、もう半分では、ピアノを演奏する女性(本作の主人公の若い頃を表しているのでしょう)の姿が映し出されます。

(注5)作家のベネットの家があるのは、北ロンドンのカムデン・タウン(例えばこの記事)のグロスター・クレセント通り23番地(カムデン・タウンのすぐそばには、ロンドン動物園とか、大英博物館などがあります)。

(注6)実際にミス・シェパードに言いに行ったのは、もう一人のベネットで、作家のベネットの方はその様子を書斎の窓から見ているのです。

(注7)アラン・ベネットが、自身の回想録『The Lady in the Van』(1989年)に基づいて戯曲化したもの(1999年)。
 上記「注3」で触れた岡野氏のエッセイによれば、ロンドンのWest Endで上演された劇の演出をしたのは、本作の監督のニコラス・ハイトナーであり、ミス・シェパードをマギー・スミスが、そして2人登場するベネットの内の一人をアレックス・ジェニングスが演じました。

(注8)オートバイの方からミス・シェパードが運転する車に突っ込んできたにもかかわらず、彼女は自分が轢いてしまったのだと誤解して、その場を逃げ出し、以後警察に見つからないよう車に隠れた生活をするようになったようです。でも、本作に見るように、“ロンドンの原宿”とも言われるカムデン・タウンに出没したら、すぐに分かってしまうと考えないのでしょうか?案の定、警官のアンダーウッドジム・ブロードベント)がやってきて、ミス・シェパードはお金を手渡さざるをえないことになります。

(注9)上記「注7」で触れているように、本作の戯曲版でもアレックスは2人で演じられています。

(注10)ミス・シェパードがピアニストとして活躍した若い時分の姿は、別の女優(クレア・ハモンド)によって演じられています。

(注11)本作には、何かとミス・シェパードを気にかける近くの住民〔ヴォーン・ウィリアムズ夫人(フランシス・デ・ラ・トゥーラ)とかルーファスロジャー・アラム)など〕が登場します。
 なお、劇場用パンフレットに掲載の「film location」のコラムでは、ベネットの家があるカムデン・タウンの「グロスター・クレセント通り」について、「ヴィクトリアン様式の家が立ち並ぶ閑静な住宅街。作家などの文化人たちが多く暮らしている」と述べられています。

(注12)ミス・シェパードが乗っている車の外観(汚いものを入れた袋がたくさん車の周囲に積まれています)とか、漂う臭気(尿を袋に入れて処理しています)などの問題から、いくらベネットの庭先に駐車しているからといって、周囲の住民にかなりの不快感を覚えさせているのではないでしょうか?



★★☆☆☆☆