『カルテット! 人生のオペラハウス』(注1)を渋谷のル・シネマで見ました。
(1)『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』(注2)に出演していたマギー・スミスの主演作というので映画館に足を運びました。
舞台は、音楽界の一線から引退した音楽家たちが暮らす超高級老人ホーム「ビーチャム・ハウス」。逼迫するホーム運営資金を確保しようと、毎年コンサートを開催しています。
それに向けて皆が練習に励んでいるものの、本年はお客を呼べる目玉がなかなか決まりません。
そこに、著名なプリマ・ドンナだったジーン(マギー・スミス)が新に入居してきたのですから、皆が色めき立ちます。
でも、ジーンは、もう私は歌わないと出演を固辞します。
加えて、既にその老人ホームに入居していたテノールのレジー(トム・コートネイ)は、ジーンと向かい合うことを避けようとします。というのも、彼は以前ジーンと結婚したものの、彼女の心ない行為によって傷つけられ離婚したことがあるため。
にもかかわらず、コンサートのチケットの売れ行きが思わしくないため、何とかしなければと苦慮していたシィドリック(コンサートの監督:マイケル・ガンボン)は、ジーンとレジーの入った4重唱をコンサートの目玉にして客を呼ぼうと言い出します(注3)。
さあ、そんなコンサートは成功するでしょうか、……?
本作のストーリーは実に他愛ないものながら、ラストで4重唱を歌う4人のキャラクターが誠にうまく設定され、ユーモアもふんだんに醸し出され、さらに舞台となる老人ホームの環境も素晴らしく、実に楽しい映画の時間を過ごすことができました。
また、映画の中心となる4人が皆70代(マギー・スミスは78歳!)で、初監督のダスティン・ホフマンも76歳と、まさに老人映画といえるものの(注4)、皆そんなことを感じさせない溌剌とした演技であり確実な演出で、アッという間の99分でした。
(2)「カルテット」と聞いてクマネズミが思い出す本は、昨年10月に87歳で亡くなった丸谷才一氏が書いた最後の長編小説『持ち重りする薔薇の花』(新潮社、2011年)。
ただし、同作で取り扱われるのは、本作のような4重唱ではなく弦楽四重奏団です(注5)。
とはいえ、「一体にクヮルテットの四人組といふのはみんな、あれだけすばらしいアンサンブルを見せながらしかし仲が悪く、よくメンバーが入れ替わるもの」と述べられていて(P.6)(注6)、本作のジーンとレジーの確執を彷彿とさせます。
さらに、同作では、チェロ奏者の奥さんが家出をして、独身の第2ヴァイオリン奏者のもとに行ってしまったものの、10日後に何事もなかったように元の鞘に納まって、クヮルテットもそのまま存続したというエピソードが、実に愉快に綴られています〔「紫一色の虹が立つ」(P.176)〕。
こんなところは、ジーンとマギーのその後に思いが至ります(注7)。
(3)また、本作を見ながら、高齢になっても、楽器の演奏の場合はそれほど衰えが見られないものの(音量は別かもしれませんが)、声楽の場合は体力等が失われているために、たとえ少人数の前であっても歌声を披露するのはなかなか難しいのではと思ったりしていました。
ですが、見終わってから劇場用パンフレットを見ると、そこに掲載されている前島秀国氏のエッセイ「“真実”を奏でる本物の音楽家たち」には、本作に出演したギネス・ジョーンズについて、「極めつけが、撮影時(2011年)75歳とは思えぬ圧倒的な歌唱力を披露したガラコンサートの場面。そこで彼女が歌う「歌に生き恋に生き」は、いわば歌手の存在証明を代弁するようなアリアである」とか、「彼女に限らず、「ビーチャム・ハウス」の住人を演じる“本物の音楽家”たちは、すべて本編の中で実際に演奏を披露している」とあり、また、「本作を彩る主な曲目」と題したページには、「オペラ『トスカ』より「歌に生き恋に生き」/作曲:ジャコモ・プッチーニ/歌:デイム・ギネス・ジョーンズ」と記載されています。
なるほどそうなのかといったところですが(注8)、これだけでは、あの歌声が昔のCDによるものではないかとの疑問が解消されないのではとも思いました(とはいえ、ざっとネットで調べたところ、ギネス・ジョーンズが同曲を歌ったCDは見当たりませんでした)。
(4)渡まち子氏は、「ホフマン監督75歳。同年代の役者や歌手を、敬意と愛情をもって見事に演出して、元気が出る作品を作ってくれた。老人映画とあなどることなかれ」と65点を付けています。
(注1)原題が「Quartet」ですから仕方ないものの、ことさら邦画の『カルテット!』と同じように「!」まで付けることはなかったのではないでしょうか?
(注2)同作をすでに映画館で見ていますが、クマネズミの怠慢により、エントリをアップするに至っておりません。
(注3)ソプラノのジーンとテノールのレジーの他に、バリトンのウィルフ(ビリー・コノリー)とメゾソプラノのシシー(ポーリーン・コリンズ)。ウィルフは好色な年寄ですし、シシーは認知症気味ながらも可愛いらしいお婆さんといった感じです。
(注4)邦画で老人が大勢登場する作品として思いつくのは、とりあえず次の二つです。
イ)『デンデラ』(2011年)
同作については、劇場では見逃しましたが、TSUTAYAでDVDを借りてきて見てみました。
物語は、姥捨て山に捨てられた老女たち50人ほどが、そのまま死なずに生き残って、自分らを捨てた村の人々に対して復讐を企てるものの、……というもので、本作の出演者は、浅丘ルリ子(71歳)、倍賞美津子(65歳)、山本陽子(69歳)、草笛光子(78歳)、山口果林(64歳)、白川和子(64歳)等々といったところです(年齢はすべて2011年当時―1歳くらいのズレがあるかもしれません)。
ロ)『黄金花』(2009年)
同作については、当時91歳の木村威夫氏が監督として制作し、老人ホームを舞台とする作品で、出演者も、原田芳雄(69歳)、川津佑介(74歳)、三條美紀(81歳)、松原智恵子(64歳)、絵沢萠子(70歳)、長門裕之(75歳)等といった具合です(年齢はすべて2009年当時―1歳くらいのズレがあるかもしれません)。
(注5)同作では、財閥系の大企業の名誉会長であり、経団連の前々会長である梶井玄二が、小説家の野原に対し、「ブルー・フジ・クヮルテット」について面白いエピソードを語り聞かせるという構図が取られています。
(注6)同作では、さらに例えば、「世界中、どのクヮルテットも、四人がいっしょに微笑するのはCD用とかポスター用の写真を撮るときだけ、なんて言われているらしい」とか(P.8)、「世界中どこでも、一流クヮルテットになると、四人がお互ひ仲が悪くて、ステージから降りると口もきかない、食事もいっしょにしないといふ噂をよく聞きます」とか述べられています(P.9)。
(注7)レジーが、自分に対するマギーの思いを盗み聞きし、それまでの恨みを払しょくしてもう一度やり直そうと彼女の手を握り締めます。
ただ、そうは言っても、あれだけ気位の高いマギーが、そう簡単にこれまでの生き方を変えてレジーに寄り添うようになるとも思えないのですが!
(注8)さらに、この記事によれば、「66歳~87歳の女性32人が参加するコーラスグループ」が存在するとのこと。
★★★★☆
象のロケット:カルテット! 人生のオペラハウス
(1)『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』(注2)に出演していたマギー・スミスの主演作というので映画館に足を運びました。
舞台は、音楽界の一線から引退した音楽家たちが暮らす超高級老人ホーム「ビーチャム・ハウス」。逼迫するホーム運営資金を確保しようと、毎年コンサートを開催しています。
それに向けて皆が練習に励んでいるものの、本年はお客を呼べる目玉がなかなか決まりません。
そこに、著名なプリマ・ドンナだったジーン(マギー・スミス)が新に入居してきたのですから、皆が色めき立ちます。
でも、ジーンは、もう私は歌わないと出演を固辞します。
加えて、既にその老人ホームに入居していたテノールのレジー(トム・コートネイ)は、ジーンと向かい合うことを避けようとします。というのも、彼は以前ジーンと結婚したものの、彼女の心ない行為によって傷つけられ離婚したことがあるため。
にもかかわらず、コンサートのチケットの売れ行きが思わしくないため、何とかしなければと苦慮していたシィドリック(コンサートの監督:マイケル・ガンボン)は、ジーンとレジーの入った4重唱をコンサートの目玉にして客を呼ぼうと言い出します(注3)。
さあ、そんなコンサートは成功するでしょうか、……?
本作のストーリーは実に他愛ないものながら、ラストで4重唱を歌う4人のキャラクターが誠にうまく設定され、ユーモアもふんだんに醸し出され、さらに舞台となる老人ホームの環境も素晴らしく、実に楽しい映画の時間を過ごすことができました。
また、映画の中心となる4人が皆70代(マギー・スミスは78歳!)で、初監督のダスティン・ホフマンも76歳と、まさに老人映画といえるものの(注4)、皆そんなことを感じさせない溌剌とした演技であり確実な演出で、アッという間の99分でした。
(2)「カルテット」と聞いてクマネズミが思い出す本は、昨年10月に87歳で亡くなった丸谷才一氏が書いた最後の長編小説『持ち重りする薔薇の花』(新潮社、2011年)。
ただし、同作で取り扱われるのは、本作のような4重唱ではなく弦楽四重奏団です(注5)。
とはいえ、「一体にクヮルテットの四人組といふのはみんな、あれだけすばらしいアンサンブルを見せながらしかし仲が悪く、よくメンバーが入れ替わるもの」と述べられていて(P.6)(注6)、本作のジーンとレジーの確執を彷彿とさせます。
さらに、同作では、チェロ奏者の奥さんが家出をして、独身の第2ヴァイオリン奏者のもとに行ってしまったものの、10日後に何事もなかったように元の鞘に納まって、クヮルテットもそのまま存続したというエピソードが、実に愉快に綴られています〔「紫一色の虹が立つ」(P.176)〕。
こんなところは、ジーンとマギーのその後に思いが至ります(注7)。
(3)また、本作を見ながら、高齢になっても、楽器の演奏の場合はそれほど衰えが見られないものの(音量は別かもしれませんが)、声楽の場合は体力等が失われているために、たとえ少人数の前であっても歌声を披露するのはなかなか難しいのではと思ったりしていました。
ですが、見終わってから劇場用パンフレットを見ると、そこに掲載されている前島秀国氏のエッセイ「“真実”を奏でる本物の音楽家たち」には、本作に出演したギネス・ジョーンズについて、「極めつけが、撮影時(2011年)75歳とは思えぬ圧倒的な歌唱力を披露したガラコンサートの場面。そこで彼女が歌う「歌に生き恋に生き」は、いわば歌手の存在証明を代弁するようなアリアである」とか、「彼女に限らず、「ビーチャム・ハウス」の住人を演じる“本物の音楽家”たちは、すべて本編の中で実際に演奏を披露している」とあり、また、「本作を彩る主な曲目」と題したページには、「オペラ『トスカ』より「歌に生き恋に生き」/作曲:ジャコモ・プッチーニ/歌:デイム・ギネス・ジョーンズ」と記載されています。
なるほどそうなのかといったところですが(注8)、これだけでは、あの歌声が昔のCDによるものではないかとの疑問が解消されないのではとも思いました(とはいえ、ざっとネットで調べたところ、ギネス・ジョーンズが同曲を歌ったCDは見当たりませんでした)。
(4)渡まち子氏は、「ホフマン監督75歳。同年代の役者や歌手を、敬意と愛情をもって見事に演出して、元気が出る作品を作ってくれた。老人映画とあなどることなかれ」と65点を付けています。
(注1)原題が「Quartet」ですから仕方ないものの、ことさら邦画の『カルテット!』と同じように「!」まで付けることはなかったのではないでしょうか?
(注2)同作をすでに映画館で見ていますが、クマネズミの怠慢により、エントリをアップするに至っておりません。
(注3)ソプラノのジーンとテノールのレジーの他に、バリトンのウィルフ(ビリー・コノリー)とメゾソプラノのシシー(ポーリーン・コリンズ)。ウィルフは好色な年寄ですし、シシーは認知症気味ながらも可愛いらしいお婆さんといった感じです。
(注4)邦画で老人が大勢登場する作品として思いつくのは、とりあえず次の二つです。
イ)『デンデラ』(2011年)
同作については、劇場では見逃しましたが、TSUTAYAでDVDを借りてきて見てみました。
物語は、姥捨て山に捨てられた老女たち50人ほどが、そのまま死なずに生き残って、自分らを捨てた村の人々に対して復讐を企てるものの、……というもので、本作の出演者は、浅丘ルリ子(71歳)、倍賞美津子(65歳)、山本陽子(69歳)、草笛光子(78歳)、山口果林(64歳)、白川和子(64歳)等々といったところです(年齢はすべて2011年当時―1歳くらいのズレがあるかもしれません)。
ロ)『黄金花』(2009年)
同作については、当時91歳の木村威夫氏が監督として制作し、老人ホームを舞台とする作品で、出演者も、原田芳雄(69歳)、川津佑介(74歳)、三條美紀(81歳)、松原智恵子(64歳)、絵沢萠子(70歳)、長門裕之(75歳)等といった具合です(年齢はすべて2009年当時―1歳くらいのズレがあるかもしれません)。
(注5)同作では、財閥系の大企業の名誉会長であり、経団連の前々会長である梶井玄二が、小説家の野原に対し、「ブルー・フジ・クヮルテット」について面白いエピソードを語り聞かせるという構図が取られています。
(注6)同作では、さらに例えば、「世界中、どのクヮルテットも、四人がいっしょに微笑するのはCD用とかポスター用の写真を撮るときだけ、なんて言われているらしい」とか(P.8)、「世界中どこでも、一流クヮルテットになると、四人がお互ひ仲が悪くて、ステージから降りると口もきかない、食事もいっしょにしないといふ噂をよく聞きます」とか述べられています(P.9)。
(注7)レジーが、自分に対するマギーの思いを盗み聞きし、それまでの恨みを払しょくしてもう一度やり直そうと彼女の手を握り締めます。
ただ、そうは言っても、あれだけ気位の高いマギーが、そう簡単にこれまでの生き方を変えてレジーに寄り添うようになるとも思えないのですが!
(注8)さらに、この記事によれば、「66歳~87歳の女性32人が参加するコーラスグループ」が存在するとのこと。
★★★★☆
象のロケット:カルテット! 人生のオペラハウス
そういえばロンドンのホームズの下宿を訪ねたとき壁に貼ったたくさんの記念写真のなかに嬉しそうなホフマンの写真もあった。
映画については特に言うこともないが、確か財政難でガラ・コンサートではなく施設の存続自体が危ぶまれる設定だったと思うが、『ブルース・ブラザース』と違いその話にはあまり関係なかったように思う。
もう1つは、確かに“あれだけ気位の高いマギーが、そう簡単に”に関連するが映画では敵役(?)は1人だけだが、恐らくは施設にいる音楽家は全員がプロとしてそれなりのキャリアがあったはずで現実なら互いの確執もあるだろうしマギーに対しても、もっと激しい嫌悪感を示すと思うが、まあ映画の性質上描く必要はないだろう。ちなみにイギリスに音楽家のための養護施設が実在するか知らないがミラノには実在しダニエル・シュミットが『トスカの接吻』としてドキュメンタリーを撮っている。
いずれにしろ外国(特にヨーロッパ)では『愛・アムール』同様、老人が主役だからではなく多くの邦画のように観客対象を若者に固定せず大人の鑑賞に堪える“普通の映画”の多いことがありがたい。
ダスティン・ホフマンについては、3年ほど前に『新しい人生のはじめかた』を見て、まだまだ俳優として活躍できそうに思いましたが、本作からすれば、監督としても活躍しそうな感じです。
また、「大人の鑑賞に堪える“普通の映画”の多いこと」が邦画でも望まれるところです。
ただ、「『ブルース・ブラザース』と違いその話にはあまり関係なかった」とありますが、この文が「本作におけるガラ・コンサートは、『ブルース・ブラザース』と違い、施設の存続にはあまり関係なかった」という意味であるとしたら、ラストで描かれるコンサートの冒頭で、“お陰で施設を存続させる資金が集まった”といった趣旨を女医あたりが述べていたように思いますが。
ガラ・コンサートが初めての試みで、かっての超大スターが出演することが売りで初めて大金(?)が入ってくるならまだしも、コンサート自体は恒例の行事なので仮にいつもより入りが良かったとしても大差はない。
つまり施設の存続などと言う大問題を持ち込む必要はなかった、少なくともこの映画のテイストからして、そのような生世話な側面はなくても十分成り立つ。
だから結果的に映画で軽くしか扱わなかったのは正解なのだが、出すなら施設は公的なものか私的なものか、など“現実的”な側面が必要になるので最初から持ち出さなければよかったのに、ということです。“女医”もドクターと呼べ何て言っていたが、彼女はただの所長兼医者なのかオーナーなのか、現実的なことを考えれば疑問だらけになってしまう。
ただ、この映画はなんといってもハートフルな(和製英語!)お伽噺であり、紆余曲折はあったものの、最後になってガラ・コンサートが上首尾に運び、それで寄付金なども目標額に達し、施設の存続をも図ることが出来て、とにかく八方めでたしめでたしでした、というような内容なのではないかなと思ったのですが。
(お伽噺に施設の存廃問題が入り込んでもかまわないのではないでしょうか)
この映画見ていて人間幾つになっても、変わらず同じことやってるんだなあって思いました。老人ホームにも学校や会社みたいなヒエラルキー?みたいなのができてましたし(;^ω^)
しかしやっぱりクリエイターって「濃い」ですよねw
創作って北野武監督が言うように一種の麻薬なのかもしれません。
エゴイズムというよりは、もう身を滅ぼしかねない欲求というか・・・ある陶芸家さんなんかは、個展の最終日に救急車を待機させていたそうです。すぐ倒れて乗れるようにって!
なんにせよ、この映画のキャラクターたちのように自分の好きなものに生涯をかけられるっていうのはすごい幸せなことかもしれませんね。
この映画で描かれている老人ホームは非常に特別なもので、そんなところに入れる人は大層幸せだと思いますが、それにしても、おっしゃるように、「この映画のキャラクターたちのように自分の好きなものに生涯をかけられるっていうのはすごい幸せなこと」だと思います。
タイトルは「棺桶に片足カルテット 全員合計300歳」とかがいいですかね。
おっしゃるように、ラストの「ガラ・コンサート」は、様々の企業等から寄付を取り付けるための呼び水的なものなのではないかと思います。
ただ、タイトルを「棺桶に片足カルテット」などとしたら、ソプラノのジーンとテノールのレジーは、せっかく良い関係を取り戻しこれから二人でやっていこうとしているのに何だと、怒りだすのではないでしょうか?