映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

白いリボン

2010年12月19日 | 洋画(10年)
 2009年のカンヌ国際映画祭でパルムドール大賞を受賞した作品というので、『白いリボン』を見に銀座テアトルシネマに行ってきました。

(1)カンヌ国際映画祭でパルムドール大賞を受賞した作品というと、『ピアノ・レッスン』(1993年)、『パルプ・フィクション』(1994年)、『うなぎ』(1997年)、『戦場のピアニスト』(2002年)くらいしか劇場では見てはいませんが、今回の映画は、これまで見た受賞作品と比べると、大層地味な仕上がりになっていると言えるでしょう
 なにしろ、第1次世界大戦直前の北ドイツの小さな村における様々な小さな出来事を、モノクロ映像で実に淡々と描いているだけなのですから。
 それも、その村を支配する男爵家、男爵家の家令の一家、牧師(プロテスタント)の一家、ドクターの一家、それに小作人の一家、というように、その村を構成する家々とそのつながりを、村の学校の教師であった男のナレーションで描き出すのです。
 164分の『黒く濁る村』には及びませんが、全体が144分という長さで、様々な人物によっていろいろな事件が引き起こされると、見ている方は息切れがして、筋をたどっていくのがやっとになってしまいます(特に、どの家も子供がたくさんいて、誰がどの家の子供なのかを判別するのも大変です)。

 それでも、この映画に漂う不気味でどんよりとした重苦しい雰囲気は、比類がありません。
 冒頭では、ドクターが落馬して重傷を負うのですがが、それは道に張られた針金に馬の足が引っ掛かって倒れたためなのです(後で、その針金を探したところ、誰かがすでに取り外していて、跡形もありません)。
 また小作人の妻は、納屋の床に倒れて絶命しているのを発見されるところ、男爵の納屋管理に不備があったためではないかとその長男は疑います(誰も調べようとしないので、長男はイラついて男爵家のキャベツ畑を荒らしてしまいます)。



 さらに、男爵家の長男が、拉致されて、逆さ吊りされて棒で叩かれたりもします。
 事件と言ってもはっきりとした殺人事件ではなく、このように相当地味目の出来事ばかり起きるのです。加えて、その真犯人が突き止められません(真犯人が分かったと教師に言った助産婦は、その教師から自転車を借りて警察に行くと走り去ったきり、行方不明になってしまいます!)。
 そんな折も折、サラエボでオーストリーの皇太子夫妻が暗殺されるという事件が起こり、第1次大戦が勃発するのです。

 この作品は、おそらく、第1次大戦直前のドイツの農村地帯(おそらく、根本のところでドイツ陸軍を支えているのでしょう)が持っていた雰囲気を、ある意味で概念的に描き出そうとしているのかもしれません。
 たとえば、村を支配しているはずの男爵家は資金的困難に直面しつつあり、村の倫理面をコントロールしている牧師の家の中には腐敗の兆候が顕著に見られ、また先端の知識を持っているはずのドクターも、その精神のありようは実に古臭いものでしかない、といったようなことがあげられるでしょうか。

 ただ、なにもそうした実際の歴史的背景をバックにして、この映画を見ることもないのではとも思われてきます。むしろ、旧秩序が壊れかけ新秩序が次第に現れてくるその端境期・移行期の有様をここに見てもいいのではないでしょうか?
 むろん、その際に中心的な役割を果たすのは、旧秩序に組み込まれていない子供たちと女たちです。
 たとえば、牧師家の子供たちは、教師や親が見ていないところでは、実に奔放な行動をしています。長女は、教室で果物を齧ったり、大騒ぎを引き起こしたりしますし、長男も、決して父親のいいなりにはなっていないようです(そのために、何度も「白いリボン」の罰を受ける羽目になります)。



 また、小作人の一家では、長男などの不行跡を気に病んで、主人が自殺してしまいます。
 一方、男爵家の女主は、イタリアにしばらく行っていたと思ったら、帰ってきて主人に家を出て行くと宣言します(イタリアで知り合った男に愛を感じたからという理由で)。

 こうして、村の昔からの秩序が壊れようとしているさなかに、第1次大戦が勃発します。

 なお、この映画に出演している俳優の大部分は、クマネズミにとってあまりおなじみではないものの、男爵を演じるウルリッヒ・トゥクールは、『セラフィーヌの庭』で画商のウーデを演じていましたし、『アイガー北壁』でヒトラーを支持する国粋主義の新聞記者を演じてもいました。

(2)こうみてくると連想されるのが、若松孝二監督の『キャタピラー』です。
 といっても、『キャタピラー』には子供の姿は一切見あたりませんし、関連性があると言っても戦争を支える農村の有様の面が少々というにすぎませんが。
 それでも、『白いリボン』が、第1次大戦直前のドイツの寒村の様子をミクロレベルで描いているのに対して、『キャタピラー』でも、兵士を戦場に送り出す日本の農村風景が、背景としてかなり濃密に描かれているのです。
 そこで大きな役割を果たしているのが、『白いリボン』と同じように女たちです。
 たとえば、出征兵士を送り出す式典が村の八幡様の前で行われるところ、見送る人たちの大半が大日本国防婦人会に所属する女達(白いカッポウギを着てたすき掛け)ですし、また彼女らは、在郷軍人会に所属する軍人達の指導に従って、バケツリレー方式による消火訓練や、竹槍訓練なども行います(注1)。



 こうした銃後の日本社会を基本的に支えていたのは、戦前の「イエ」制度なのでしょう。ですが、その仕組みの中心に位置付けられていた男達は、大部分が戦地に派遣され、戦争が長引くにつれて戦死者も増加し、それと共に旧来のシステムの内実は空洞化し、敗戦とともに一気に崩れてしまいます(注2)。
 ドイツでも日本でも類似しているのではないかと思われますが、男達が自分たちの論理で始めた戦争によって、逆にその力を失ってしまい、男達によって虐げられていたとされる女達の大幅な飛躍が見出されるようになる(「戦後強くなったのは女性と靴下」!)、と言えるのかもしれません。
 ただ、これは極めて図式的な見方と言えるでしょう。
 『 白いリボン』でも見て取れるように、村を支配しているのは、男爵、牧師、ドクターといった強固な自己を持った男たちですが(父性原理)、日本の場合、社会を支配していたのはどちらかといえば母性原理の方ではないかとも思われるからです。
 とはいえ、これ以上は素人の手に余ることなので差し控えることにいたしましょう。


(注1)大日本国防婦人会は、昭和7年(1932年)の大阪国防婦人会から始まり、1942年に「大日本婦人会」に他の団体と統合されるまで続きました。
 当初は、タスキにカッポウ着という出で立ちで、専ら出征兵士の見送り・出迎え奉仕に従事していましたが(白いカッポウ着とタスキ姿の婦人たちが、出征兵士を歓送迎する際に、ヤカンを持ってお茶の接待をしたとのこと)、戦局が厳しくなり、防空・消火の方に重点が移ってくるにつれてモンペ姿に移っていきます(1941年には、軍事動員の秘密を厳守するために、街頭や駅での見送りは禁止されます)。
 当初は、40人ほどが自発的に作った団体でしたが、次第に軍部と密接な関係を持つようになって、ついには公称1000万人の大きな組織となって、戦時体制の一環に組み込まれていたとされます。
(以上のことは、藤井忠俊著『国防婦人会-日の丸とカッポウ着-』〔岩波新書、1985年〕より)

(注2)上記中で取り上げた著書の中で、藤井氏は、「1千万人におよぶ男子の軍事々員によって、家族構成がくずれ、家は母を柱にした結合へと変容しつつあった」(P.210)などと述べています。


(3)映画評論家・土屋好生氏は、「深く沈潜するような灰色がかった白黒の映像から、封建的な家父長制が残っていた時代の空気をにじみ出させる」とし、「誰しもそこにナチスの台頭を予感するに違いない。が、ナチスに限らず厳しい戒律の宗教や抑圧的なイデオロギーが何をもたらすのか、ハネケは現代的な視点からその内実を克明に描こうとしたのではないか。息が詰まる「原理主義」の恐怖とそこで育った子供たちの不透明な未来。服従か反抗か、事情は今も変わらない」と述べています(12月3日付読売新聞)。
 また、映画評論家・柳下毅一郎氏は、ハネケ監督は、「あえて事件の犯人を名指しせず、結末を曖昧なままにとどめる。だが、その語らんとするところはあきらかだ。犯人はこの村そのものである。罪なき無菌状態を作ろうとした暴君はその試みに反撃されるのだ。結末で少年たちが歌う賛美歌が美しくも恐ろしい」と書いています(12月10日付朝日新聞)。



★★★☆☆



象のロケット:白いリボン