映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ぐるりのこと

2008年06月15日 | 08年映画
 銀座シネスイッチで「ぐるりのこと」(橋口亮輔監督)を見てきました。

 この映画に関する詳しい情報は何も読まずに、ただ渋谷駅の通路に掲げてある大きな宣伝ポスターに何となく良さそうな雰囲気が漂っていたので、早いところ見てみたいと思っていました(誠に唐突ながら、「非情城市」でもそうなのですが、記念写真が映画の中で大写しになると何故か感動してしまうのです。このポスターでも、二人が並んでいる写真が大きく使われています!)。

 エンドロールを見ながら(主題歌を耳にしつつ)、映画館に来て良かったなとジワーとした感動が湧き上がってきて、気分良く帰路に着くことができました。
 前田有一氏が、この映画について、「何気ない会話が心に染み入る良質なドラマ。やや重い題材だが、映画ならではの見ごたえある人間模様を味わいたい人におすすめだ」と言っているのに同感します(とはいえ、点数が70点どまりなのは、前田氏の好みに余り合わない文芸作品だからでしょう!)。

 私としては、3年ほど前の「いつか読書する女」(田中裕子主演)と同じくらいに良い映画ではないかと思いました。

 この映画は、木村多江(これまで映画で見ているのでしょうが、この人と識別できていません)とリリー・フランキー(この人が書いた『東京タワー』を元にした映画は見ましたが)の若い夫婦のことを中心的に描いています。
 といっても、この夫婦にはそれほど目覚ましい事件は起きません。単に、二人の間にできた子供が流産してしまったことから妻が酷い鬱状態になり、それが長い年月をかけて次第に回復し、夫婦の間柄が一層深まるというだけのごく単純なお話です。

 ただ、それが濃密に描かれているため、この映画には説得力があります。例えば、映画冒頭の下ネタ的な会話とか、妻が「チャンとやろうとした。だがそれができなかった」と絶叫するシーンによって、妻が鬱状態に落ち込み易い酷く几帳面な性格であることを観客は十分納得できます。

 さらに、夫のどこまでも優しい対応があって(といっても、言葉ではなく漂よわせている気配によって)、妻が次第に回復していく過程を描くには、やはりリリー・フランキーが持っている味(素人臭さ!)と、140分の長尺とが必要なのだと理解できます(このように、欧米社会のように明確な言葉をハッキリと使って会話をして理解しあうというではなく、なんとなく雰囲気でそれとなく分かり合う―むしろ、その方が絆が深まる―という日本社会の独特な点が上手く描かれているのではと思いました)。

 ただこのままだと、どこにでも転がっている退屈なお話になってしまいます。それを救っているのが、夫が友人から法廷画家の職を引き継ぐという設定です〔今や、邦画のかなりの割合が、弁護士や検事、警察官が登場する事件物となっていますが、それにしてもまさか法廷画家までも登場するとは!〕。
 このことで、二人が社会の動きとヴィヴィッドに繋がった存在であることもわかります。というのも、この映画は1993年から10年ほどの期間を扱っていますが、その間に新聞の第1面に踊った陰惨な事件(宮崎勤事件、地下鉄サリン事件や池田小事件など)に係る裁判の様子を夫が描いているからです。
 事件そのものを映画にするよりも、こうして法廷画家という視点から裁判の様子を描くという客観的な手法をとることにより、返って当時の雰囲気がまざまざと思い浮かんできます〔それに、子供を巡る事件の裁判をスケッチしているシーンから、子供を亡くした夫の気持ちも推測出来ようかというものです!〕。

 加えて、妻の兄(寺島進)が不動産屋であるとか、二人の両親が離婚していて二人は母親(倍賞美津子)とだけ付き合っているといった点にも、時代の雰囲気は如実に現れていると思います。

 要すれば、こうした厳しい社会の中置かれている夫婦が、ぬるま湯的な間柄になりかけたときに、妻の精神障害によって突然ギリギリの状況に落とされながらも、夫のソフトな接し方と、妻の努力(尼寺の本堂の天井画を描くというファンタジックな出来事!)とで、その絆を回復するという、様々な要素を実にバランスよく塩梅した非常によく出来た映画だな、といたく感動した次第です。