あしたのブログ!趣味や日々の報告ページ

このページを活用し趣味や日々のことなどを中心に報告しています。

ケニー・ドリュー & ニールス・ペデルセン

2014-04-19 | JAZZ
1940年代末にニューヨークでデビューを飾ったケニー・ドリューは、バト・パウエルの流れを汲むピアニストの一人として、1953年にブルー・ノート・レコードへ吹き込んだ「ケニー・ドリュー・トリオ」が初リーダー・アルバムとなっています。
その後もハード・バップ・スタイルを持ち味として、ニューヨークを中心に活動を続けていました。
1963年に劇伴奏のピアニストとしてパリ公演を行った際に、人種差別がなくジャズも盛んで、自由な空気のパリが気に入ったようです。
その後、一旦は米国に戻りましたが、60年代後半にコペンハーゲンに居を構え、そこのジャズ・クラブ「カフェ・モンマルトル」と契約を結び、70年代後半までハウス・ピアニストとして活動を続けています。

このジャズ・クラブにおいて、録音の権利を持っていたのが、ステープル・チェース・レコードのプロデューサーであるニルス・ウインターで、その関係からケニー・ドリューはこのレーベルに次々とレコーディングしていくことになります。

一方、デンマーク出身で、ヨーロッパで最高のジャズ・ベーシスト言われたのがニールス・ヘニング・オルステッド・ペデルセンで、彼もまたカフェ・モンマルトル・クラブのハウス・ベーシストとして数々のミュージシャン達と共演していました。
1946年生まれのペデルセンは、2005年4月21日、58歳の若さで亡くなっています。

ジャズにおけるデュオ演奏としては、ピアノとベースの組み合わせが一番多く、ドリューとペデルセンのレコーディングは、必然の成り行きだったことなのでしょう。
この2人、ニルス・ウインターの手により、1973年春のレコーディングを始めとして、立て続けに3枚製作しています。

「DUO」 STEEPLECHASE SCS - 1002
    
 1. I SKOVENS DYBE STILLE RO ( IN THE STILL OF THE WOODS )
 2. COME SUMMER
 3. LULLABY
 4. KRISTINE
 5. SERENITY
 6. DET VAR EN LORDAG AFTEN ( ONCE A SATURDAY NIGHT )
 7. DO YOU KNOW WHAT IT MEANS TO MISS NEW ORLEANS
 8. WAVE
 9. DUO TRIP
10. HUSH-A-BYE
KENNY DREW (P & elp) NIELS-HENNING ORSTED PEDERSEN(b) 録音 1973年4月2日

「DUO 2」  STEEPLECHASE SCS - 1010
    
1. JEG GIK MIG OVER SO OG LAND
2. LARGO
3. MY LITTLE SUEDE SHOES
4. TRUBBEL
5. BLUESOLOGY
6. VIKING’S BLUES
7. A CHILD IS BORN
8. IT MIGHT AS WELL BE SPRING
9. MY SHINING HOUR
KENNY DREW (P) NIELS-HENNING ORSTED PEDERSEN(b) 録音 1974年2月11~12日

「DUO LIVE IN CONCERT」 STEEPLECHASE SCS - 1031
  
1. IN YOUR OWN SWEET WAY
2. MY LITTLE SUEDE SHOES
3. SERENITY
4. MY SHINING HOUR
5. HUSH-A-BYE
6. TRUBBEL
7. VIKING’S BLUES
8. THERE’S NO GREATER LOVE
9. OLEO
KENNY DREW (P) NIELS-HENNING ORSTED PEDERSEN(b) 
録音 1974年6月8日 オランダでのライブ

1作目はケニー・ドリューの自己名義のアルバムとしては13年ぶりのものです。
1曲目の「静けき森の中で」で、ペデルセンのウッド・ベースは木の香りがするような深い音で、何とも言えない雰囲気をかもし出しています。
このアルバムの中で、ドリューはエレピも披露していますが、他では余りお目にかかれない演奏です。
ステープル・チェース・レコードの2作目(*1)となったこの作品、全世界でベスト・セラーを記録し、ケニー・ドリューをジャズ・シーンに再登場されるきっかけとなりました。
(*1)  このレーベルの最初のアルバムは、ジャッキー・マクリーンの「ライブ・アット・モンマルトル」で、ケニー・ドリューも参加しています。

また、2作目、3作目とレコーディングを重ねるごとに、テンポの速いものが多くなり、特にライブでは聴衆を前に白熱した演奏が聴かれます。
この3枚、いずれもスタンダード、オリジナル、それにトラディショナル曲が上手くブレンドされていて、聴き易いアルバムとなっています。
3枚の中で、あえて1枚をとするならば、ベースの録音が素晴らしい1作目となりましょうか。

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あか しろ きいろ

2014-04-17 | 日々の暮らし
童謡「チューリップ」の花の色は、「あか」と「しろ」と「きいろ」ですが、団地の各棟の植え込みに、それぞれの色のチューリップが咲きました。
  

作詞 近藤宮子  作曲 井上武士
さいた さいた チューリップのはなが
ならんだ ならんだ あか しろ きいろ
どのはな みても きれいだな ♪♪♪


このチューリップ、今日訪問した工場ではこの3色が纏めて咲いていました。
  

オレンジ、ムラサキ、ピンクなどのチューリップも・・・
ピンク色のものは、花びらも変わった形をしていました。
  

そのピンク色がらみで・・・
工場の庭には、こちらも変わった花びらの桜も咲いていました。
 

この桜、「思川桜」といって、市の花として栃木県小山市が昭和53年7月10日に制定していました。
思川桜は、昭和29年(1954年)に小山市東島田の思川のほとりにある修道院の庭先で、春秋二度咲く「十月桜」の種子を東大理学部付属植物園元主任の故久保田秀夫先生が採取し、種を蒔いて育てたところ花の様子が違っており、色が濃く花は小ぶりの突然変異でした。
この新種の桜に、修道院のそばを流れているきれいな川のイメージにぴったりとのことから「思川桜」と命名し、学会に発表されたものであり、小山市原産の名桜です。
花弁は10片ほどの半八重咲きで、春にだけ花を咲かせます。
ソメイヨシノと八重桜の中間の時期に淡い紅色の可憐な花が咲き、その枝ぶりもやわやわと優しいのが魅力です。


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2014年の富士山 (4月第2回)

2014-04-16 | 富士山
4月15日、富士吉田市は今が桜の見頃なので、出勤前に再び新倉富士浅間神社に行き、「桜と富士山」をカメラに収めてきました。
早朝6時過ぎ、駐車場には旭川(北海道)、岡崎(愛知)、多摩のナンバー車もありました。
(旭川からの車は「わ」ナンバーからして、レンタカーのようです)
397の石段を一気に駆け上がり、5重塔の前に着いたところ、撮影場所は既に多くの人だかりで・・・
   

先人達の合間から、桜と共に撮らせて頂きました。
   

他の場所からも・・・
「桜と富士山」、素適です。
  

そして帰り際、前回と同じアングルからも・・・
 

途中、何時もの場所にも立ち寄って、
  


この日、終日天気が良く夕方になっても富士山が見えていたので、帰宅前に日没を待って再び朝と同じ場所へ・・・
夕方6時30分から7時までの30分間の撮影でした。
   

撮影スポットは、朝と同様大勢の人込みで・・・
その合間から何とか撮りました。
   

そして町全体も・・・
 

この時期だけの「桜と富士山」、恵まれた一日でした。

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宵の明星と思ったら・・・

2014-04-15 | 日記
昨夜の帰宅時、月の近くに明るいを見つけました。
いつもと方向も違うし、宵の明星(金星)にしては変だなぁ~と思いながら、自宅から3脚を持ち出してカメラに収めてみました。
何たって、私の持っているのは何時ものコンパクト・カメラです。
チャンと写るかどうか心配していましたが、何とか撮れました。

その日と時間は、4月14日、20時50分です。
丁度、月の左側に小さく光るが見えます。
このお星さま、調べてみたら何と約2年2か月ごとに地球に接近する火星でした。
そして、4月14日が最接近の日でした。 ラッキー~~ ☆ ☆ ☆
 

その日の23時10分、
今度は自宅のベランダから見たところ、は月の左上に移動していました。


そして本日15日、
昨夜のを眺めながら帰宅し、自宅のベランダに出て、22時40分の2枚と、昨夜と同じ23時10分のそれぞれ2枚を撮りました。
の位置は、昨夜と方向も違うし、月との距離が離れていました。
    

2日間に渡り、オレンジ色に輝く天体ショーを楽しみました。

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今日が誕生日の元女優、元歌手

2014-04-14 | 演歌・ポップス
4月14日、今日は1958年(昭和33年)生まれの元女優、元歌手である桜田 淳子の誕生日です。

秋田県秋田市出身の彼女、1972年、中学2年生(14歳)の時、地元の秋田県民会館で行われた日本テレビの「スター誕生」の予選会において、番組史上最高点で合格し、その後の決勝でも好成績を修め、サンミュージック所属のプロ歌手になりました。
デビュー曲は1973年2月25日にビクター音楽産業から発売された「天使も夢見る」です。
その後、同じスター誕生出身で、同世代の森昌子・山口百恵と共に「花の中三トリオ」と呼ばれるようになり、トリオとしての名称は3年後の「高三トリオ」まで続いています。
彼女のヒット曲ですが、シングルは累計で600万枚近くを売り上げ、トータルで18曲をオリコンチャートのベストテンに送り込んでいます。


また、TBS TVの土曜夜8時に放送された「8時だョ!全員集合」に出演したり、女優としても1975年の「スプーン一杯の幸せ」を始めとして、5本の映画で主役も務めています。
1992年になり、世界基督教統一神霊協会(統一教会)の合同結婚式に参加することを記者会見した時を境にして、マスコミとのトラブルも多くなり、一切の芸能活動を中止していましたが、2013年5月28日、サンミュージック代表取締役会長(相澤秀禎)の通夜に参列し、同年10月23日、デビュー40周年を記念して、本人自薦のベストアルバムにTV映像集を加えた「Thanks 40 〜青い鳥たちへ』を発売しました。
11月26日には銀座博品館劇場にて「Thanks 40スペシャル~ファン感謝DAY」を一部の人限定で開催し、約21年ぶりにステージ復帰を果たしています。

以下は20枚目のシングルです。
「もう戻れない」「ロンリーガール」
作詞 阿久 悠 作曲 筒美京平 1977年9月5日発売(14.4万枚)
  

今考えると、ちょっと意味深なタイトルですよネ。
それは兎も角、今日は淳子さんの56歳のお誕生日です。

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エラと、トニーと、ベイシーと

2014-04-13 | JAZZ
休日の日中、大きな音でオーディオが楽しめる時間です。
そこで今回はヴォーカルと、ビック・バンドとの共演アルバム2枚を聴いてみました。
歌の伴奏を務めるカウント・ベイシー楽団には、フランク・シナトラ、サラ・ボーン、エラ・フィッツジェラルド、ジョー・ウイリアムス、トニー・ベネット等々、そうそうたる名シンガーとの共演盤があります。
そのスイングする演奏に乗って歌う歌手はと言えば、いずれも豊かな声量と、豪快なスイング感を持った人達ばかりで、ベイシー楽団のダイナミックな音と100%融合し、ジャズの限りない楽しさを伝えてくれます。

そこで、まずはエラ・フィッツジェラルドのアルバムから・・・
「ELLA AND BASIE !」 VERVE V6 - 4061
   
 1. HONEYSUCKLE ROSE
 2. ’DEED I DO
 3. INTO EACH LIFE SOME RAIN MUST FALL
 4. THEM THERE EYES
 5. DREAM A LITTLE DREAM OF ME
 6. TEA FOR TWO
 7. SATIN DOLL
 8. I’M BEGINNING TO SEE THE LIGHT
 9. SHINY STOCKINGS
10. MY LAST AFFAIR
11. AIN’T MISBEHAVIN’
12. ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET
録音 1963年7月15日&16日

このアルバムの聴きどころは、エラの歌はもちろんのこと、クインシー・ジョーンズがアレンジを担当したベイシー楽団の演奏です。
クインシーは、57年にヨーロッパに渡り音楽理論を学んで翌58年に帰国し、自己のオーケストラを結成すると同時に、カウント・ベイシー楽団のワン・モア・タイムのアレンジを担当しています。
そして、このアルバムでも彼のアレンジは冴えています。
この録音時、エラは46歳ですが、声質はそれ以上に若く感じます。
1曲目のハニーサックル・ローズから得意のスキャットも飛出しノリノリです。
4曲目のゼム・ゼア・アイズでは一転、キュートな歌声を披露しますが、ここでも途中からスキャットで歌っています。
5曲目のドリーム・ア・リトル・ドリームは、ベイシーがオルガンを演奏し、スモール・コンボのアレンジも良いです。
レコードでは裏面となる7曲目のサテン・ドールは、デューク・エリントン楽団の十八番ですが、重厚なサウンドで、ゆったりしたテンポで演奏されています。
そして9曲目のフランク・フォスター作曲のシャイニー・ストッキングス、こちらはベイシー楽団の十八番で、エラが1コーラス歌った後に、ベイシー楽団の演奏がたっぷり楽しめます。
エラとベイシー楽団の共演盤は、このアルバムの前後にもありますが、これは名唱、名演の1枚だと思います。


次にトニー・ベネットのライブ・アルバムから・・・
「IN PERSON !」 COLIMBIA CS 8104
   
 1. JUST IN TIME
 2. WHEN I FALL IN LOVE
 3. TAKING A CHANCE ON LOVE
 4. WITHOUT A SONG
 5. FASCINATIN’ RHYTHM
 6. SOLITUDE
 7. PENNIES FROM HEAVEN
 8. LOST IN THE STARS
 9. FIREFLY
10. THERE WILL NEVER BE ANOTHER YOU
11. LULLABY OF BROADWAY
12. OL’ MAN RIVER
録音 1959年

トニー・ベネットはフランク・シナトラと並び称される偉大なエンター・テイナーで、このアルバムは30代前半の録音です。
そして絶頂期のベイシー楽団をバックに、乗りに乗るトニーがジャズ・シンガーとしての魅力を最大限発揮しています。
アレンジは凝ったものではありませんが、ベイシー楽団の特徴の一つであるフレディ・グリーンのギターが、淡々とリズムを刻むところはしっかり録音されています。
5曲目のファッシネイティン・リズムと、最後のオール・マン・リバーでは、珍しくラテン・パーカッションも入っています。
6曲目はこちらもエリントン・ナンバーをしっとりしたバラードで歌い上げ、7曲目のぺニーズ・フロム・ヘブンではバースから入っています。
10曲目のゼア・ウィル・ネヴァー・ビー・アナザー・ユーは、早いテンポで歌われる事が多い曲ですが、ここでもスロー・テンポで歌い、実力を如何なく発揮しています。
この日は、トニー・ベネットの歌が絶好調であったことが、聴衆の拍手の大きさで分かります。

この2枚、今日は何時もより大きい音で堪能しました。

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吉田のうどん (パート12)

2014-04-12 | 吉田のうどん
吉田のうどんの21番目と22番目のお店を紹介します。
  

「手打ちうどん ひがしうら」 マップ番号23(C-4)
お店の前の道路からは富士山が見えます。
  

当日私は肉うどん(450円)を、一緒に行ったお方は、肉天の大盛り(600円)をオーダーしました。
 
さて、そのお味は・・・
うどんは手打ちで、コシもほどほど、定番の馬肉の味付けも◎、キャベツもしっかり付いていて・・・
スープは醤油ベースでしたが、その味はというと、自然出汁だけでは無い様にも思えて・・・
確信は持てませんが、お客さんの入りから判断しても、そうなのかなぁ~と・・・

余談ですが、ひがしうら(東裏)、地元ではかって織物で好景気だった昭和30年代に栄えた西裏が有名です。
当時、町の中心を走るRt.139の両側には商店街が立ち並び、その西側(富士山に向かって右側)一帯に歓楽街があり、この辺りを西裏と呼んでいました。
今は当時の面影はほとんどなく、Rt.139も道幅が狭いので、利用するには富士見バイパスが便利です。


「キッチン 喰らう」 マップ番号24(C-4)
このお店、地元の人に伺ったところ、以前からある食堂・呑み屋のお店だそうですが、昼のうどんは最近メニューに入れたようです。
店の入り口に「吉田のうどん」の証となる張り紙がありました。
当日は、ダブル肉うどん大盛り(580円)をオーダーしました。(消費税5%の時です)
     
ダブル肉うどんとは、馬肉と豚肉の両方が入っているうどんでしたが、定番のキャベツのトッピングは殆ど無く、食べた感想は・・・
折角のお肉の味を楽しむことができず、どちらか一種類にしておけば良かったかなぁ~と、うどんは強力粉を使ってコシを出し、おまけに機械切り、スープは醤油ベースでしたが、地元の人に合せたように塩分が濃い味でした。
店内は広く、団体さんを含め結構お客さんは入っていましたが・・・

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すみれの花に纏わる曲

2014-04-11 | JAZZ
雨の後、団地の庭で可憐な「すみれの花」を見つけました。


すみれに纏わる歌として、真っ先に頭に浮かぶのは・・・
宝塚歌劇団を象徴する「すみれの花咲く頃」ですが、ここはジャズのコーナーなので、季節は逆戻りしますが、トム・アデアの詩にマット・デニスが曲を付けた「 コートにすみれを (Violet for your furs) 」を取り上げました。

この曲、マット・デニス自身の弾き語りもありますが、今回はフランク・シナトラがヴァースから歌っているアルバムを紹介します。 (CDでは最後の16曲目に収録)
「SWING EASY !」
 
ネルソン・リドル編曲・指揮  1953年11月録音

1915年12月12日生まれのシナトラ、37歳の録音です。
導入部はこの歌の情景を現していますが、コーラス部では優しさと暖かさが伝わってくる素敵な歌です。
[ Violets for your furs ]

It was winter in Manhattan
Falling snowflakes filled the air
The streets were covered with a film of ice
But a little simplemagic
That I’d heard about somewhere
Changed the weather all around
Just within a trice

I bought you violets for your furs
And it was spring for a while, remember
I bought you violets for your furs
And there was April in that December
The snow drifted down on the flowers
And it melted where it lay
The snow looked like dew on the blossoms
As on a summer day

I bought you violets for your furs
And there was blue in the wintry sky
Then you pinned the violets to your furs
And gave a lift to the crowds passing by
You smiled at me so sweetly
Since then one thought occurs
That we fell in love completely
The day that I bought you
Violets for your furs


この曲はテナー・サックスの名演奏もあるので、3人の演奏を録音順に並べてみました。
「JUTTA HIP WITH ZOOT SIMS」 BLUE NOTE 1530 (1956年7月28日録音) 6分7秒
  
ズート・シムスは、独特の柔らかい音に特徴がありますが、ここでは高音から低音までをフルに使ったアドリブが楽しめます。
 
「COLTRANE」 PRESTIGE 7105 (1957年5月31日録音) 6分15秒
  
一聴して直ぐコルトレーンと分かるストレートな音色で、バラードの神髄を聴くことができます。
レッド・ガーランドのピアノも得意のブロック・コードを多用し、盛り上げています。

「THE MESSAGE JR MONTEROSE」 JARO JAS-8004 (1959年11月24日録音) 2分44秒
  
JR モンテローズの音色は、上記のズートとコルトレーンの中間で、唯一ヴァースから演奏しています。
但しサックスが2コーラス吹いただけで終了となっているため、演奏時間は短いです。

この3人の演奏、いずれも甲乙つけがたい名演ですが、それぞれ好みは分かれると思います。
そしてこの3枚、偶然とはいえ順番がいずれもA面2曲目に収録されていました。

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ペドロ梅村と「別れの朝」

2014-04-10 | 演歌・ポップス
1971年10月25日にリリースされ、ペドロ&カプリシャスのデビュー曲となった「別れの朝」、
原曲はオーストリアの歌手、ウド・ユルゲンスが自ら作曲し、1967年に独語で歌った「Was ich dirsagen will」(君に言いたいことは)ですが、日本ではペドロ&カプリシャスが前野曜子を迎えてレコーディングし、シングル売上げ55.7万枚を記録したヒット曲でもありました。

実はこの曲、ペドロ&カプリシャスが歌う前から、アイ・ジョージ自身が作詞した歌で聴いていました。
その辺の経緯を調べてみようと、関連する音源を探してみました。

まずは、ペドロ&カプリシャスのヒットに合わせるように、作曲者自身が歌った「夕映えのふたり」
B面 独語、 A面 英語 です。
      

そして、ペドロ&カプリシャスの「別れの朝」
作詞 なかにし礼 作曲 ウド・ユルゲンス
  

ペドロ&カプリシャスのリーダーでもあるペドロ梅村は、1942年生まれの山形県米沢市の出身で、このグループを結成する前は、キューバ音楽を主体としたラテン・パーカッショニストとして色々なバンドで活躍していました。
その中で、1960年には「水原弘とブルーソックス・オーケストラ」、1963年後半からはアイ・ジョージと行動を共にしていた「トリオ・クバーナ」にも在籍していました。

そのトリオ・クバーナ、
「斉藤不二男とトリオクバーナ」の時代に、ペドロ梅村がここに参加していたかどうかは定かではありませんが、1964年10月に行ったアイ・ジョージ・ショーには、このトリオクバーナも同行していました。
そのステージを見た私、強烈な印象が残り、その時のプログラムが未だ手元にありました。
 

そのアイ・ジョージが自らが作詞して歌った「誰かが唄っている」です。
この時のバック・バンドは、1969年にスペイン人を中心に編成された「ザ・ジャパニーズ」で、同じ年に発売されていました。
  

そして、LPの解説には、ペドロ梅村とザ・ジャパニーズの関係も少し載っていました。
  

最後は1959年7月、「黒い花びら」でデビューした水原弘が、晩年になって歌った「別れの朝」です。
水原弘(1935年11月1日 - 1978年7月5日)の「最後の録音盤」と称する私家盤CDに、彼のヒット曲と共に入っていました。
恐らくペドロ梅村と一緒に過ごした時代を思い浮かべながら歌っていたのではないでしょうか。
 


なお「別れの朝」とは関係ありませんが、ペドロ梅村が横田年昭(fl)のアルバム「原始共同体」に参加していた記録です。
このレコード、日本産ジャズ・ロックとして1971年にリリースされ、昨年オリジナルの形で再発売されました。
丁度ペドロ&カプリシャスが誕生した時代のものです。
   

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私の愛聴盤 (第37回)

2014-04-09 | 私の愛聴盤
第37回はウイントン・ケリーの「ケリー・アット・ミッドナイト」です。

ウィントン・ケリー(Wynton Kelly) 1931年12月2日 - 1971年4月12日 
西インド諸島ジャマイカ生まれ

数多くの個性をもったピアニストの中でも、卓越したスイング感と歌心を持ち、親しみやすいメロディー・ラインを創ることが出来る名手です。
同時に、ケリー節と言われる演歌のコブシのような独特な節回しもあり、とてもリラックスして聴くことができます。
ウイントン・ケリーは10代でプロ入りし、R&Bのバンドや歌伴奏も手がけた後、52年から54年までは兵役の任務にも就いていましたが、57年には自己のトリオを結成しています。
また59年からはレッド・ガーランドの後釜として、マイルス・デイビスのコンボにも参加していました。

今回取り上げたアルバムは、シカゴ・ジャズ・シーンを代表するレーベルからのもので、彼の代表作となる1枚でもあります。
「KELLY AT MIDNIGHT」 VEE JAY SR 3011
   
1. TEMPERRANCE
2. WEIRD LULLABY
3. ON STAGE
4. SKATIN’
5. POT LUCK
WYNTON KELLY(P) AUL CHAMBERS(b) PHILLY JOE JONES(ds) 録音 1960年4月27日

1曲目から軽快なテンポでケリー節全開といったところです。
2曲目の「奇妙な子守歌」(と訳すのでしょうか?)は、一転バラードで、ケリーの醸し出すブルース・フィーリングが味わい深いです。
LPで言うB面3曲(3~5)は、いずれもミデアム・テンポで演奏され、チェンバースお得意のベースの弓弾きも披露されます。
全体を通して、ケリーのピアノ演奏は満点の内容ですが、フィリー・ジョー・ジョーンスのドラムスが躍動的であるが故、チョットうるさい感じがするのですが・・・
エンジニアの力で何とかならなかったのかと、それだけが惜しいレコードです。

余談ですがこのレコード、ジャケット・タイトルが「at midnite」となっていて、国内盤CDもオリジナルに忠実に、間違ったスペルをそのまま使っていました。
CDのレーベル・デザインは初期のものが採用されています。
 

本家の米国レコード会社でも、こういうことってあるのですねぇ~。

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