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ペドロ梅村と「別れの朝」

2014-04-10 | 演歌・ポップス
1971年10月25日にリリースされ、ペドロ&カプリシャスのデビュー曲となった「別れの朝」、
原曲はオーストリアの歌手、ウド・ユルゲンスが自ら作曲し、1967年に独語で歌った「Was ich dirsagen will」(君に言いたいことは)ですが、日本ではペドロ&カプリシャスが前野曜子を迎えてレコーディングし、シングル売上げ55.7万枚を記録したヒット曲でもありました。

実はこの曲、ペドロ&カプリシャスが歌う前から、アイ・ジョージ自身が作詞した歌で聴いていました。
その辺の経緯を調べてみようと、関連する音源を探してみました。

まずは、ペドロ&カプリシャスのヒットに合わせるように、作曲者自身が歌った「夕映えのふたり」
B面 独語、 A面 英語 です。
      

そして、ペドロ&カプリシャスの「別れの朝」
作詞 なかにし礼 作曲 ウド・ユルゲンス
  

ペドロ&カプリシャスのリーダーでもあるペドロ梅村は、1942年生まれの山形県米沢市の出身で、このグループを結成する前は、キューバ音楽を主体としたラテン・パーカッショニストとして色々なバンドで活躍していました。
その中で、1960年には「水原弘とブルーソックス・オーケストラ」、1963年後半からはアイ・ジョージと行動を共にしていた「トリオ・クバーナ」にも在籍していました。

そのトリオ・クバーナ、
「斉藤不二男とトリオクバーナ」の時代に、ペドロ梅村がここに参加していたかどうかは定かではありませんが、1964年10月に行ったアイ・ジョージ・ショーには、このトリオクバーナも同行していました。
そのステージを見た私、強烈な印象が残り、その時のプログラムが未だ手元にありました。
 

そのアイ・ジョージが自らが作詞して歌った「誰かが唄っている」です。
この時のバック・バンドは、1969年にスペイン人を中心に編成された「ザ・ジャパニーズ」で、同じ年に発売されていました。
  

そして、LPの解説には、ペドロ梅村とザ・ジャパニーズの関係も少し載っていました。
  

最後は1959年7月、「黒い花びら」でデビューした水原弘が、晩年になって歌った「別れの朝」です。
水原弘(1935年11月1日 - 1978年7月5日)の「最後の録音盤」と称する私家盤CDに、彼のヒット曲と共に入っていました。
恐らくペドロ梅村と一緒に過ごした時代を思い浮かべながら歌っていたのではないでしょうか。
 


なお「別れの朝」とは関係ありませんが、ペドロ梅村が横田年昭(fl)のアルバム「原始共同体」に参加していた記録です。
このレコード、日本産ジャズ・ロックとして1971年にリリースされ、昨年オリジナルの形で再発売されました。
丁度ペドロ&カプリシャスが誕生した時代のものです。
   

コメント
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