わが骨ストレッチの勇姿を、毎朝ね、遠くから、というのか。
近くから、というのか、眺めているご婦人がいらっしゃり、その方に、昨日。
ひょんなことから遭遇し、という次第。
毎朝の屋上での勤行、つまり、骨ストレッチとボール・ウォーキングだね。
それを、意表をつかれた形で伝えられると、おやおや、世間は狭いね、という凡庸な感想と。
なんというのか、人は一人で生きてないね、とね。
そこは、木製の器が並べられ、さらに、陶器も、という小さなお店で。
わが事務所から、ほんの数分のところ、巴川の向こう側、僕がいつも。
川をわたる風は至福をもたらすね、なんてのたまっている、その源の方向で。
洒落た椅子が置いてあったので、かくかくしかじか、わが妻の兄は、クラフトコンサートという。
業界では有名なお店を、なんて言いかけたら、そこで、買ってきました、だって。
狭い、狭い、世間は狭い、ってわけだ。
ほら、また来た、至福の時を告げる冷気が、巴川の向こうからやって来た。
この、比較、彼我の差、というのが、至福への道、気持ちよさは相対的なもの、とでもいうか。
絶対的な幸福、なんてのは、論理矛盾なんだな。
光だけでは、光の価値が受け取れず、漆黒の闇があってのものだね、ということね。
それを当てはめ、辛いことがあって、楽しいことがあるんだよ、なんてお為ごかしの結論に。
どうしても持ってきたい筋もあるんだけど、そこも、違っていて。
実は、ほんとのことを言えば、辛い、というのは、存在しないんだよな、たぶん。
そんな話にしちゃえば、暑い、だって、存在しないけどね。
なんだか、猛暑のせいで、思考回路が、一部分、溶けているのかもしれないね。
と、エクスキューズを入れといて。
今朝の屋上でのルーティンは、それに、一つ、加えてみて、瞑想をね。
朝陽を浴びる瞑想、って新アイテムを、だったんだけど、これが、素晴らしくて。
皆さんにお披露目したいくらいなもので、なんだけど、僕の素晴らしさは。
達磨大師の弟子、慧可が師匠に懇願した、僕の、この悩み、不安、を解消してください。
OK、わかった、師匠たる達磨大師が、お前のその悩み、すべて平らげてやるわ。
俺の前に、もってこい、と言った、あの瞬間みたいなもので。
誰のものでもない、見える化できないものなんだよね、苦も楽も。
推測はできるけどね、ああ、あの人、苦労してるんだな、って。
だけど、それは、あくまでも推測で、ほら、旧世代の中には、笑いながら怒る、って方、割と。
いらっしゃるでしょ、だから、推測が外れることもままあるんだよね。
だって、あたし、こんなに苦しいんです、って悲劇のヒロイン演じている女史、例えばね。
あれ、至福、とまで行くかどうか、だけど、表面では苦しそうだけど、嬉しくて嬉しくて、って具合でしょ。
なんて書いてくると、やっぱり、脳内産出物は、溶けてそうだな。
さて、今朝は、ルーティンの順番を変えたので、セミの鳴き声を聴きながら、新聞でも読み始めるか。