まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

鳩が道の真ん中にいた

2018年07月20日 | Weblog

今朝の道中なんだけど。

車が近づいても動ぜず、こちらも減速をし、止まらんばかりで。

恐る恐る通り抜けた。

ちょうど、小芝神社の前だ。

おっとりして朝を味わっている風情で、平和の象徴なんて言葉も浮かびそうだけどね。

えさやりの時なんか、流石に、そこは生存本能が溢れかえり、他者をはねのけ餌にありつく姿は。

平和という言葉に託した、その本質でもあるかね。

雨雲が猛威を奮った後は、今度は、猛暑、という言葉では、ちょっと、勘違いしてしまうかもしれない。

各地での40度越え、あるいは、39度、38度の文字が踊る。

福岡に住む、退職薩摩隼人からの電話では、誰もこちらを案じての電話をくれなかった。

という嘆きのものだったらしく、変わらぬ自虐ネタで、逆に、安心もしたりしてもいて。

なんだけど、この酷暑?だ。

もちろん、安全パトロールなんかへも行く身としては、そんな言葉遣いもせざるを得ず。

想定に踊らされるな、だっけ、命てんでんこじゃないけど、片田教授が唱えていたフレーズ、あったよね。

三陸は、鵜住居での津波からの逃亡劇。

知識の防災ではなく、行動としての防災、とでも言えるのか。

言葉を吐いて安心してしまう、という心理というものもあって。

いやいや、ここで、防災の話をしたいんじゃないんだった。

感覚、というのか、体感、というのか、暑い暑いというけれど、割と自分の口からは言わない。

という自分のことについて、考えてみようかな、とも思っていたんだ。

何故なんだろうな、と。

暑いね、というのは、時候の挨拶程度で、応酬もしたりもするけれど、その実。

そんなに参っているわけでもなく、というね。

日頃のテーマが、言葉に引っ張られない、というのか、踊らない、というのか、言われていることを疑う。

と言うのかね。

そんなんなんで、暑さについても、そのズレを感じてもいて。

この列島には、四季があり、素敵ですよね、と言うことになり。

その折々の風景も愛でることができるんだけど、逆に言うと、そこそこの変化があっていいんだよね。

と言うことでもあって、変化が激変に変わった時、果たして、どうなんだろうな、と言うわけだ。

酷寒の地であれば、カラダも感性も酷寒仕様、酷暑の地もそうだよね。

その酷暑仕様の働き方を見て、ほんと、かの地の住人は、働かないよな、なんて嘆く姿が。

わが四季仕様のものでもあってね、そこからの卒業というのか、変容というのか、骨折りだろうな、と。

なにせ、よく働くでしょ、律儀にして勤勉、ってね。

それが災いとなる、なんての、誰も気がつかないよね、だって、いい人仕様でしょ、律儀、勤勉なんての。

誰も文句言えないんだからさ。

そこへ、不要不急の事態以外、家の中にいてください、という酷暑予報の中、現場で働く。

しかも、1秒を争う新幹線の発着時間、ってことだからさ、あるいは。

賞味期限、これ切れそうだよ、みたいな買い物の姿とかね。

いいと思っていた、律儀さ、正確さが、いやいや、それは、四季折々を愛でることのできる土地柄由来でしょ、みたいな。

因果は巡る、なんて言葉、あるけど、まさに、巡るんだよね、自分のところへ。

なんて感想をもつ、40度オーバーの列島模様だ。

 

コメント
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