まるで、レーガン大統領の奥方、ナンシーさんみたいだけど。
彼女、というのか、レーガンさん、重要な政策を奥様の星占いでしていたとかしていなかったとか。
なんてネタ、一時、流れもしたけど。
どうやら、当方もそんな具合になりそうな気配も濃厚で。
と言っても、自虐ネタ、ひとり揶揄とは違うけれどね。
彼我の違いを、殊更に書いている、というのか。
星占いなんて、守屋浩の、星はなんでも知っている、って歌詞くらいに考えてもいたんだけど。
ひょっとしたら、もしかして、たぶん、きっと、なんて気分の転換期なのかもしれず。
昨日、あるサイトからダウンロードしたので、ほら、なんでも、新しいもの、物珍しいものは。
誰かに話したくて仕方ない、って仕組みでしょ。
このブログだって、もともとは、糠漬けの面白さを誰かに話したくて、から始まったんだから。
ものごとを自分一人で決めて歩いている、なんて気分になりがちだけど、その実。
星の動き、月の動きにも影響を受け、という物言いが、今回は、すんなり、自分の中に落ちてきた。
時機を得たり、ってわけだ。
朝のルーティンだけど、この時間、ほんの瞬間なのか、冷気が窓から訪れる。
とても気持ちがいいんだ。
至福の瞬間、だ。
数え上がればきりがないくらいに、至福の時は、一日の中でもあるんだろうし、人生の中でも。
っていうような、微細な、微妙な、そんな変化に注意しましょうね、というのか。
気にかけましょうね、ということも、上記の、12星座を使いこなすために、に書いてある。
そこ、なかなか、面白そうで。
昨日は、それ以外にも、ちょっと、デスクワークで過ごしたのだけど。
例の、「天才の教科書」に習って、ね。
ヴィジョンワーク、ってのをやってみた。
自分自身、プライベート、仕事、社会的影響についての、それぞれのヴィジョンを書き出して、と。
ゼロから1を目指す創造脳の活性を図った、とでも言えるか。
なので、使い慣れない頭は、悲鳴をあげそうでもあったけど。
たまにはいいかも、だな。
もちろん、車での移動中は、志ん生、だ。
「名人清二」という5話の続きもの、1時間以上だ。
これ、初めて知った。
江戸から明治にかけての名人、三遊亭円朝作、のだそうで、あたしの師匠の師匠が円朝で、という枕、というか。
自慢話というか、自分の中の収まりとしては、そんな具合だったようで。
いずれにしても、いわゆる、噺家言葉では、しくじった、んだけどね。
なにせ、師匠の羽織を飲み代のために、質屋へ入れちゃったりしていたんだから。
如何にもこうにも、危なくて、ってわけだ。
川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)も、名人三遊亭円生の弟子だったんだけど、師匠の家の玄関へ。
尾籠な話で恐縮ですが、ウンコして、破門、って。
噺家も小説家も、ちょっと前までは、無頼の徒、世間からの失格者ばかりだった、という印象だな。
現代では、無頼の徒、なんて、どこにいる?ってくらいで。
もっとも、遠くで眺めて美しい富士山、みたいなもので、隣にいたら、剣呑でかつ、めんどくさくてしょうがないんだろうけどね。
無頼の徒、落語の「らくだ」みたいな男、か。
いや、そうとばかりも言えないか。
ま、いずれにしても、公序良俗という名の汽車に乗り、マナーお大事主義、ってのが。
ある意味、文明の爛熟期を過ぎようとしている、そんな時代の現れなのかも。
って、今朝は、ちょっと過激だね。
別に嫌なことがあったわけじゃないけどさ。
さて、爛熟しようがしまいが、骨ストレッチと朝日を浴びる、をやってくるか。
その昔、母親やおばたちがの夏休みの宿題、「朝日を見てらっしゃい」の現代版だ。
それも、毎日、毎朝、の贅沢三昧だ。
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