わがご先祖様がたの話だけど。
何日か前にやっていた、「人類誕生」の録画を観た。
西から東へ向かうルートは、大海原を越えるか、酷寒の地を通り過ぎるか。
だった、と言うんだね。
宇宙から、って選択肢は、番組的にはなかったけれど。
それはともかく。
動物の骨から縫い針を作る、と言う大発明をした、サピエンスが、そのおかげで。
艱難辛苦のすえ、列島へ至る、と言うわけだ。
つまり、その縫い針で、動物の皮を着衣にして、酷寒に耐えた、と。
この話の中で面白いな、と思ったのは、道具作りは、言葉を司る脳を開発する、だったか。
道具を作っている時の脳は、言葉の領域を開く、と言う実験があって。
現代の悲喜劇は、と言うか、文字を覚えて以来、とも言えるか、この順番が逆になっちゃってることだろうな、と。
だいたい、偉い人、ってのは、言葉がはじめにありき、みたいな感じでしょ。
言葉によって言葉の上に組み立て、まるで、言葉という砂、その上に楼閣を建てる、というね。
このあたり、いきなりだけど、小林秀雄なんか、とても臆病に、丁寧に考えていたのかもしれないな。
は、さておき、言葉による支配、ということが、ま、それによって、ハラリ教授じゃないけど、例の。
認知革命がありまして、神話を作ることができ、共同性、共通性を持つことができ、つまり、協力関係ですね。
なんてことにもつながりはするんだけど。
細かい話は抜きにして、わが社に置き換えてみると、言葉をね、現場から発する言葉を、普遍化して、というか。
わかりやすい言葉に言い換えて、とでもいうか、そんなこと、大事かもしれないな、と思い至った次第で。
じゃ、どうするか、ってわけだけどね。
ところで、祭りは終わった。
昨夜は、巴川の灯籠流し、近くの稲荷神社では、盆踊り、さらに、その両方に呼応して、江尻城跡、つまり。
小学校の校庭では、花火の打ち上げ、そんなシンクロのような時間を過ごし。
これ、うまい具合に発信できれば、面白いのにな、と妻と娘とも話しながら、巴川越しの夜風は、なかなかのものだった。
さて、そんな巴川の朝風を受けながらの骨ストレッチに入るとするか。