まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

健康的に仕事をするための空間

2018年07月11日 | Weblog

今朝のタイトルは、いきなり感もあるけれど。

「ティール組織」という本からの引用です。

医学書ではもちろんなく、自己啓発書でもなく、単なる組織の研究本にしては意外な。

というフレーズでもあり。

ポスト資本主義時代における新しい組織モデルのバイブル、なんて帯には書いてもあり。

自主経営(セルフ・マネジメント)という言葉が、踊る。

これ、たぶん、面白いよ。

社員一人ひとりの、教育、年齢、仕事の幅が何であれ、大人と大人の関係の中で振舞うことが強く促される。

とも書いてあって。

よくありがちなのが、親子の関係を丸写し、みたいなのや、それに付随もするんだろうけど、夫婦、とかね。

そんな模写がね、散見、いや、ほとんど、だけど。

ここ、おやっと思ったんだけど、「迫害者」「救済者」「犠牲者」がね。

それに対応する言葉として、「挑戦者」「コーチ」「創造者」と来るんだ。

いいでしょ。

この何日かは、こんなこと、考えてます、って次第で。

自主経営の組織では、給料なんかも、自分たちで決めているらしいんだ。

十分に理解してないので、ここで披瀝できませんが、実際に、こんな具合にやっている組織が。

しかも、何万人の社員さんを抱え、なんて会社さんがあるそうで。

驚き桃の木山椒の木、ってことだよ。

ところで、詳報はわからないけど、タイの、あの、25歳のコーチ含め、全員が救出されたようだね。

ワールドカップの決勝へは、残念ながら行かず、テレビ観戦、だそうだけど。

いずれにしても、ほっと胸をなでおろした瞬間だった。

今はずいぶん治ったけれど、なにせ、閉所恐怖症気味の当方だから、なおさらね。

あんな洞窟に閉じ込められて、っていうシチュエーションがたまらなく、と。

高所恐怖症の御仁が、昔々、サナート・クマラと一緒に、宇宙船で墜落して、なんて話を聞いた後。

あら、不思議、すっかり、その症状は治ってしまいました、なんてことに。

まるで、イエスキリストのミラクルツアーみたいなね、そんなことにも目の前で遭遇したりしたんだけど。

それはともかく。

そのW杯、ベルギーが敗れたみたいだ。

かの国が、優勝でもしようものなら、残り30分まで、2−0でリードしていた、日出ずる国。

ということで、有名になったかも、というストーリーは潰えたわけだ。

そうそう、今朝、ポストに、世界はもっと面白くていいはずだ、という「天才の教科書」が入っていた。

自主経営(セルフ・マネージメント)と「天才」が、当分のわが相方になりそうだ。

もう一人の相方は、車中で聴く、「古今亭志ん生」か。

いいね。

坂本龍馬が、新し物好きで、だったか、明治維新前の、あの時代にブーツを履いていた。

なんてこと、たしか、磯田道史さんがおっしゃっていたか、なんだけど、こちら。

志ん生さん、その頃は、なんて名前だったのか、戦争の時、だから、昭和の20年前くらい。

初めて靴を履いて行進した、けど、足が痛くて裸足になって行進から逃げ出して博打を打った。

なんて逸話も、とても、いい。

そんな志ん生です。

他にも、相方は、巴川にやって来るカワウであったり、空を流れる雲であったり、わが骨ストレッチを。

ほんとに、遠くで眺める朝日であったり、って、たくさんたくさん、まさに。

やおよろずの神々とも言える相方がいらっしゃるんだけどね。

さて、朝日を浴びて来るとするか。

くどいけど、松果体への栄養補給です。

 

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来年の今月今夜は

2018年07月10日 | Weblog

って、まるで、貫一お宮、みたいだけど。

昨日の朝、アップしたように、ゴミ箱が溢れかえり、という状態。

それを、来年は、どうぞここへ、という案内とともに、何らかの。

言ってみれば、ホスピタリティね、そんな事、会社を上げてやってみたいな。

と思った次第で。

「困りごと」解決業、なんてコンセプトも打ち出している事業体なんだから、そりゃ。

お金に直接絡まなくても、なんらかのことができる、という幸せを味わいつつ、とね。

同友会がシリーズで取り上げられている「プレジデント」という雑誌に、ネスレ日本の社長の言。

ってのがあって、顧客の問題発見、これが「仕事」で、他はすべて「作業」なんだ、と。

「問題解決」より「問題発見」ってことなんだ、と話していた。

それも、ありだね。

そんな気分で、来年の今月今夜、ってフレーズに至る、んでもないけど、そう思ったことの。

理論的、というのか、後講釈、理屈付け、みたいなもんだね。

ところで、今朝の珈琲、インドネシア、マンデリン、ビンタンリマと書いてある。

マンデリンだ。

って、それが品種なのか、なんなのか、知らないけど。

ちょっと、一つ、勉強でもしてみるか。

勉強といえば、このところ、落語ね、ハマりつつあるんだけど、このところは。

やっぱり、志ん生ではあるんだけど、「お直し」っての。

文部科学大臣賞、をいただいたわけだ。

女郎の話でこんなのとっちゃっていいのかね、と志ん生、嘆いているのか、はにかんでいるのか。

そんな掴みも交えながらの、なんだけど、たぶん、昭和の33年くらいなんだと思う。

息子の、次男坊、古今亭志ん朝のと聴き比べたりね。

なんだけど、志ん朝も、談志が唯一、ライバル視していた噺家だけど、さすがに、志ん生にはかなわない、かな。

志ん朝のは、現在のSNSブームに至る萌芽、みたいなもの、感じちゃうくらいの、なんていうのか。

説明的、プレゼン的、左脳的とでも言えるか。

「お直し」がどんなネタか、とここで披瀝するのも悪くないけど、ま、公序良俗に反するネタ。

とも言えて、ひと頃流行ったPTAおばさんたちの槍玉に上がるとめんどくさいから。

興味のある方は、youtubeでご覧くださいませ、となるな。

志ん生からは、ど現実、クソ現実、リアル現実、ま、言い方はなんでもいいけど、実体験が滲み出てくる。

という代物で、古典落語をこれから演じるのも、飲む打つ買う、なんてのが、即座にワイドショーネタ。

公序良俗をバックグラウンドにもつ、芸能人が切りにきる時代では、どうなんだろうね。

それも、時代の進化、ってやつか。

昨日か、わが社に訪れた、某証券会社の若い女史が、電話はすべて録音され、本社のなんとか部で管理されているです。

というんだね。

たしかに、コンプライアンスとかの観点からは、そうなっちゃうんだろうな、とは思いつつ。

人間を規矩にはめ込み、昔の中国の、纏足状態だよね、それで、クリエイティビティが大事なんだ、って。

おいおい、ってなもんだ。

どこかがずれている、のか、文化文明が極みまで来るとそうなるのか、もともと、いい人間、いい社会、いいなんとか。

なんてのを目指すとそうなる宿命なのか。

さまざまなんだろうけど、ね。

遠くで銅鑼の音が、というのか、汽笛?船のはなんていうのか。

鳴っている。

今日も始まるね。

さて、骨との対話に出かけるとするか。

 

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七夕祭りの残骸をかたずけてきた

2018年07月09日 | Weblog

事務所の前が、ちょうど、駐輪場からお祭りへの通り道で。

たぶん、帰り道に、カップや焼きもろこしのゴミを捨てていくのにちょうどいい。

そんなんだったので、ジュースの自動販売機の隣の。

ゴミ箱は満タン以上で、溢れかえっていたので。

さすがに、そのままでは、という気分で、かたずけた。

のだけど、去年はどうだったんだろうか、と。

思い出せないので、そんな状態ではなかったのか。

それとも、今回は、社員さんの誰かが、ゴミボックスを用意してくれたのか。

よくわかりませんが、朝からいいことをした、というわけだ。

そのご褒美の珈琲は、東ティモール。

レテフォホ村から届いた豆だ。

販売日から三ヶ月、と賞味期限が書いてある。

味はまろやか、にして、濃厚だ。

東ティモールと言えば、オランダ領だったところだったか、御多分に洩れず。

植民者は、えぐいこと、したような話、聞いたことがある。

人と人以外の区分けが、とてもアバウト、というのか、イデオロギッシュだったのか。

我々は選ばれた民、選民、エリート、くらいなのか。

陰謀論的に言えば、火星からきた民、その末裔が、植民者だったのかも。

人間のカラダのまわりにある、オーラみたいな言い方もするけど、エーテル体だったか。

そんなところに、感情の居場所があるようだけど、そこんところがない、というのが。

火星由来の人士方、なんて、スピ寅さんがおっしゃっていたけど。

それはともかく、日本代表の主将、長谷部がインタビューに答えていた中で。

間際の監督交代で、世間からの期待も低く、関心もさらに低く、のなか。

彼ら、メンバーだけのミーティングをしたらしい。

そこで、ワールドカップにかける思いを、お互いに吐き出しあったそうだ。

驚くほどにそれぞれ、違っていた、と言ってたな。

しかし、その違いはあっても、それぞれの強い思いはあり、なんてこと、体感したことで。

チームになった、というんだね。

ここだよね、テストに出るところ。

強力なリーダー、とかがいたんじゃなく、それぞれが、実は、人生のリーダーでもあり。

って、当たり前だけどね。

それを体感したわけだ。

お為ごかしではなく、イデオロギーではなく、思い込みではなく、べき論ではなく。

という感じの空気に包まれていたんだろうな、という気がする。

このところ、少しずつ、言われ始めている、集団の、組織の、共同体の、力を発揮する。

そんな仕組みだ。

欧米流の、前監督ハリルメソッドとは違う、この列島らしい、そんな気づきの瞬間だったのかもしれない。

人間は、やっぱり、羊ではないから、羊飼いの体験から生まれた理論は、そろそろ、新装するしかない。

なんてことなんだろうな。

昨日もご紹介したか、「地上を天国にする」、だったか、その動画で語られているのが、人間は。

素晴らしい、ということがまずありき、ということなんだよね。

文字通りの、人間ファースト、ってわけだ。

それにしても、東ティモール、レテフォホ村の珈琲、うまいな。

ちょっと、リッチだけどね、たしか。

こちらもリッチな気分で、朝日を浴びてこよう。

すると、松果体が刺激され、活性化され、って具合で、さて、出かけるとするか。

 

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左脳が動いているとエネルギーが入ってこない

2018年07月08日 | Weblog

考えすぎると疲れる。

というのは、考えることにエネルギーを費やすから。

ではなく、左脳を駆使し、フル稼働させている時には、天からの。

というのか、どこか、目に見えない場所、次元からのエネルギー補給が滞る。

ってわけだ。

それが、昨日のスピ寅、フーテンの寅さんならぬ、スピリチュアル寅さん。

の瞑想会での、スピ寅・下野さんの発言なんだけどね。

正確には、ハーバードかオックスフォードか、どこかの大学での研究を彼が披瀝した。

ってテイのもので。

20人くらいの方々が集まり、そのほとんどが、初めての「神門瞑想」をする、という感じだった。

こちとら、瞑想体験、6年か、いや、もう少しか、忘れたけど。

そんな光景を眺めながら、内側への長征が始まるんだな、なんてね。

そんな気分を味わいながらのひと時でもあったんだけど。

自分、と呼んだり、ご先祖、と呼んだり、好み、クセ、感覚、あと何かな。

気持ちいい、とか、気分悪い、とか、さまざまな。

口をついて出てくる、出てこないもありつつ、心の中に去来する、あれやこれや。

早い話が、そんなものごとが、テーマでもあるんだな、瞑想、というのか。

内側への道行き、道のり。

外側で起こる種々のもの、それはそれで、当たり前にリスペクトしつつ、とは言え。

内側で起こっていることも、リスペクトしましょうね、くらいの表現か。

どちらも等価値、と言えるか。

ところで、今朝は、ロシアの善戦から始まった、とも。

クロアチアとの準々決勝、ベスト4を賭けた戦いだった。

惜しくもPKで負け、になってしまったけど、日本代表を被せながら見ていた。

今回のW杯は、まさに、時代の象徴、つまり、大変化の兆し、天変地異もそうだけど。

そんな感じの大会でもあり。

既存の、当たり前だったことが、よくよく考えてみると、それ、幻想だったのかもよ、って具合。

ブラジル、スペイン、ドイツ、アルゼンチン、などなど、強豪国が、姿を消し。

というわけだ。

自分たちの足りないものを奮励努力の元、かの国へ追いつこう、という発想から。

今ある立ち位置をしっかり見定め、それに何を付加するか、と。

似たようなものに見えるけど、微妙に違っていて。

マイナス1をゼロにする、のでなく、ゼロをプラス1に、という発想かな。

これも、「天才の教科書」からのパクリっぽくもあるんだけどね。

さらには、「地球を天国にする」という動画からのパクリでもある。

つまり、人間は素晴らしい、というところに、まず、立とうよ、というね。

そこからのスタートでしょ、ってわけだ。

これは、古来続いてきた、人間には罪がある、原罪がある、とか、あと何?

もともと、どうしようもないから教育によってなんとかしよう、みたいな性悪説。

あと、天国と地獄があるんだよ、みたいなの。

そんなことごと、すべて、ご破算で願いましては、とそろばんみたいにはじいてね。

そこから始めましょうか、という提案、とでも言えるか。

昨日に引き続き、長くなりそうなので、このへんでやめときます。

素敵なぞれぞれの日曜日をお祈りします。

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「せごどん」のナレーター、思い出した。

2018年07月07日 | Weblog

西田敏行だ。

ほぼ24時間ぶりに、お目にかかったわけだ。

志ん生の「芝浜」なら、懐かしいな、元気にしてたかい、って。

酒で失敗し続けた魚屋のきんさんか、くまさんか、その彼が。

女房が三年ぶりくらいに用意してくれたお酒に話しかける場面、ね。

「西田敏行」、よくやってきてくれたな、と。

お酒の香りと色を懐かしみ、さて、と口を近づけ。

やめとこ、また夢になるといけねぇから、とサゲになるんだけど。

この間も、フレンチをご馳走になった時の会話に。

大阪人がいかにサービス精神旺盛か、ということの証として。

僕も、先斗町で、あの狭いね、飲み屋さんで隣に座ったおじさんが、当方。

清水出身だと名乗ったら、清水湊の歌をフルコーラス、歌ってくれた。

なんて話をしかけたら、相方が、先斗町?京都ですよね。

となり、そうですね、包丁一本、さらしに巻いて、のあそこ、です。

となかなか出てこなかったんだけど、しばしの無言のあと、そうだ、法善寺横丁だ、とめでたく。

ご対面、なんて場面もあったんだった。

この記憶とかって、どんな仕組みなんだろうね。

母親や身近の認知症加減の方々に遭遇すると、時の流れがリニア、直線ではない。

というのか。

繋がっていない、とかね、そんな感じで。

それとか、大官僚の中には、書類の束をパラパラとめくっただけで、記憶に。

つまり、頭の中に入っちゃう、なんて御仁もいるとかいないとか。

まるで、ムツゴロウさん、畑正憲ね、麻雀の裏の模様を記憶しゃちゃう、なんての。

だから、授業なんかで教科書に落書きすると、それも一緒に記憶しちゃう、とかね。

頭の出来が違う、といえば、違うし。

死ぬ時には、走馬灯のように、過去の全ての出来事が訪れる、なんて話もあるね。

かたや、死後の世界、そこでは、体験・経験してきたすべてを、グループごとに再検討。

なんて場面もあるんだ、なんておっしゃる方も。

言ったもん勝ち、でもないんだろうけど、そうであっても不思議ではない、という心持ちだな。

九州などで、数十年ぶりの大雨、というキャッチだったか。

何れにしても、凄まじい雨が降っているんだね。

朝の車中、テレビニュースを見ただけでも、多くの場所で、土砂災害が起き。

まさに、災害列島、という実態を目の当たりにしているんだけど。

こちら、巴川の水位は、むしろ普段より低い。

これ、干潮のせいなのか、毎朝眺めていても、こんなに低いこと、ないんだけどな。

不思議な光景だ。

ところで、このところ、「ティール組織」という分厚い本を、少しずつ読み進めているんだけど。

刺激的で、なかなか、進まない。

次の組織モデルはこれだ、という副題が付いている。

セルフ・マネジメント、自主経営、ということなんだけどね。

京セラの稲盛さんが言っている「アメーバ経営」に近いのか、通ずるのか。

ほら、粘菌が、複雑なダイヤなんかを瞬時に作り上げる、みたいなね。

リーダー、という概念がありません、と。

まだ、三分の一くらいなので、簡単にここに写すことはできません。

のだけれど、刺激を受けているのは間違いなく。

世の中、いろんなこと、考えている、あるいは、実践している方、いらっしゃるんだよね。

その一つとっても、面白い。

おもしろきことの限りなり、ってわけだ。

そういえば、中也の詩、それよ哀しきわが心、いわれもなくて拳する、切なきことの限りなり。

なんての、ひところ、いつも携えていたな。

主題は、自分の外側にあると信じていたんだろうね。

外側が変われば、わが人生は薔薇色にもなる可能性がある、なんて具合のね。

内側なんだけどね、大事なのは。

字面はあんまり綺麗に見えないけどね、この内側、なんてのは。

そういえば、今日は、瞑想会なんだ。

オウムの顛末が、あんなことになっちゃって、内観とか、内側を観るとかの話が。

またぞろ胡散臭く見られるのかも、なんていうタイミングなんだけどね。

内側へ外側を入れ込んじゃうと、ヤバイともいえて。

つまり、内側へくぐもって、王様になっちゃう、みたいなね。

世俗からは離れ、超俗とでもいうか、そんな世界へ行く、なんてたかピーな気分になっちゃうと。

めんどくさいんだよね。

ニーチェの高踏主義みたいな。

俺はお前たちとは違うぞ、なんてのね。

違うのは違うので、違います、でいいんだけど、そこへどうしても階級意識、というのか。

彼我の違いを、優劣とか、金持ちとか貧乏とか、IQの高低、とかさ。

単に違っている、だけでいいんだけどね、この辺り、テストにも出ないくらいの話かも、だけど。

なんてことは、どうでもいいけど、瞑想会、なんです。

アウルズエージェンシーの、下野さんという面白いおっさん、というのは失礼ですか。

社長さんにして、今は、八ヶ岳の住人、の瞑想教師、というのかな。

なんとも表現のできない御仁が、静岡へおいでになる、んだよね。

この会社さん、というのか、この方、「ザ・シークレット」とか「引き寄せの法則」とか。

あと何かな、エックハルトトールなんかもそうか、それ系の、っていかにも怪しげな書き方だけど。

日本へ先駆けて紹介した、という方で。

その後は、わが社の「安全大会」、七夕の晩に、です。

大勢の方々がお集まりくださるようで、めでたい。

アンニョンハセヨ、というのは、お隣、朝鮮半島の挨拶の言葉なんだよね。

さよなら、とか、こんにちは、とかだったか。

いずれにしても、アンニョン、というのが、安寧という文字だったかな。

あなたの安寧を祈ります、なんてことだったと思うんだよね。

安全大会でのいろんなことごとも、そんな祈りの一つの表現だ。

ということで、本日も、安寧に!生かれますように!

 

 

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大施餓鬼の法要

2018年07月06日 | Weblog

施す、餓鬼へ、ということか。

お米とお水を、20人近い僧侶の皆さんの読経に促され、ちゃっちゃっと。

進ぜる。

それは、ご先祖様へ、であったり、道に迷った方々へ、であったり、のようだ。

このところ、宇宙の秘密、謎、真実みたいなところへ、随分と近づきつつある。

なんて、勝手に解釈している当方としては、この儀式も。

長く続けられている意味があるんだろうな、と思える次第で。

今回は、ちょうど、御詠歌を正面でお聞きすることができ、迫力、あったな。

思わず、その方々に、そんな感想を述べたくなり、昼食への道すがら。

お伝えしたら、たいそうお喜びくださり、これだって、喜ぶ顔つくり、だな。

なんて思ったわけだ。

講話は、僕らが、おんさん、と呼び習わしている方の、去年に続くもので。

帰り際、わざわざご挨拶にきて下さり、ぜひ、遊びにお越しください、と。

話もなかなか、深い話を軽やかに、だった。

そんなわけで、世話人の一人として、早めにお寺さんへ行ったので、時間、あって。

今更ながらに、本堂の中をブラブラとしていると。

三舟(さんしゅう)の書があって、もちろん、読めないけどね。

勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟だ。

今の僕より随分若い時の書なんだろうけど、時の流れが違うのか、もともとのデキが違うのか。

それとか、貞観二年、と書かれた、「佛山」という額もあったり。

そこには、来歴が漢文で書かれていて、読もうと思ったけど、読めません。

もう一度、漢文の授業を受けてみたくなるくらいの、だな。

他にも、開山は、今川範国の兄、が仏満禅師とおっしゃって、その方なんだそうで、高源寺のね。

1338年に駿河守になったというから、ざっくり、そのころに、お寺が開かれた。

のだけど、その100年くらい前に、高橋孫太郎維之という御仁が、承久の乱での勲功で、鎌倉幕府から。

この、高橋の地を下賜された、とも。

これが、1223年、貞応二年、だそうで。

なんて書いてきても、興味のない方からしたら、だから?くらいの話だね。

にしても、そんなことが、書き物として残されていて、じゃ、その前は、なんて興味も湧き出し。

だな。

なにせ、素人郷土研究家としては、いちいち、古文書を繙き、なんてせずとも、言ったもんがち。

のテイでもあるからね。

今朝は、時折雨脚が強くなり、窓から吹き込む。

巴川の流れは、早くて、市の広報から、大雨洪水警報が聞こえてきた。

梅雨が開けたの、開けないの、なんて呑気なこと言っていたら、九州や四国、すごいことになっていたんだね。

そこへ行くと、このスルガの地、古代マレー語で天国という意味だそうだけど。

クルクル、と言われつつ、東海地震も通り過ぎ、なんて具合で。

この幸せを、噛み締めることだな。

有難い、と。

有難や有難や、なんて守屋浩の歌、あったけど、ここへ入り込むと終わらなくなるので。

今朝は、ここらでよかろか、by せごどんのナレーター、名前、忘れました。

 

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風が泣いている、ゴ、ゴゴー!

2018年07月05日 | Weblog

今朝は、ベタな、スパイダーズのフレーズが表題になった。

開けた窓からの風が、室内の軽いものを吹き飛ばし、そういえば。

この事務所に引っ越してきた当初、神棚の榊を挿す器が、飛んで言って割れちゃったな。

気持ちよく、心機一転、ってんもんで。

その後の、榊の長寿命に続く、馴れ初めかも。

自宅から出て、見上げた空の雲の切れ間の青、思わず、うわっと声が上がった。

美しかった。

雨と風の中での青、こいつは朝から縁起がいいわい、ってなもんだ。

縁起、といえば、今朝、ベランダの窓を開け放ったら、同時に、スズメが飛び跳ねって行った。

驚かしちゃったんだな。

そんなつもりはなかったのだけど、そんな言い訳、伝えることもできず。

なんだけど、わが社員さんが、タネをまき、水をかけ、と言うことの中からの。

グリーンカーテン、そこへ、どこからか、くだんのスズメに限らず、虫たちも。

目に見えない微細菌たちも蝟集し、たぶん、わがベランダは、列島の人口減少を尻目に。

どうだろう、世界人口は優に超える数の命たちの大合唱が毎朝毎晩、繰り広げられ。

というわけだ。

今朝の巴川からの風は、台風の余波、ということか、富山の「風の盆」、あれ、思い出す。

これは風よ、吹かないでくれ、というお祭りなんだよ、とおっしゃった御仁の言葉。

散居村、だったか、田んぼの真ん中にある農家、その周りに防風林のように大きな木が植えられている。

そんな風景の中、なんとも色っぽい踊り、男も女もね、指先のそり、加えて、胡弓というんだったか。

二胡か、とウイキで調べたら、前者が日本の、後者が中国の、だそうだけど。

そんなことは、どうでもよくて、あの響き、音色はなんともいえないものだったな。

風を峻拒する祭り、かたや、精錬の民は、風よ、吹け吹け、と祈りを捧げる。

さらに、漁りの民たちは、海路にふさわしい風に変わってくれ、と相撲をとり、なんていうのね。

谷川健一さんによれば、この列島の風の名前、数かぎりないというくらい、あるらしいね。

気象衛星のない時分、そりゃ、わが身わが体での体感、ご先祖様からの言い伝え、などなど。

ありとあらゆる、手に入れられる限りの情報を集め、感得し、ということだったんだろうね。

カッコーが鳴いたら豆を蒔け、と言われて嫁さん稼業をした、という忍野の村の。

忍草(しもふさ)浅間神社隣のご婦人の言葉、思い出すな。

そんな言い伝えが、暦、和暦、ということで。

「和暦と暮らそう」という本をお書きになった柳生さん、その八ヶ岳倶楽部へは。

今週初め、月曜日に行ってきたんだった。

そうだ、今日は、これから、山門大施餓鬼と銘打ち、わが菩提寺でのイベント。

世話人としては、その準備に出かけることになる。

実は、同友会の全国総会が仙台であったんだけど、やむなく断念。

そんな施餓鬼に行ってくるとしますか。

 

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娘との談笑

2018年07月04日 | Weblog

もちろん、妻も、だけど。

今朝の表題、その前に立川、なんてつけたら、噺家、いなかったかな。

立川流のね。

談春、はいたよね。

妹が東京へ帰り、母親が、定位置、山原(やんばら、と読みます)へ帰り。

親子水入らず、ってのは、このことか、なんて書くと、妹が気を悪くするかも、だけど。

でもないか。

ネイティブランゲージ、みたいな話にもなり。

彼女、韓国語に興味深々だそうで、またぞろの韓国語、ってわけだ。

微妙に日本語と発音が、と言うのか、日本語の発音って、少ないんだそうだね。

母音が、と言うのか、よくわからないけど。

そんな話から、今日、お昼をご馳走になる、しかも、わざわざ弊社までお迎えに来てくださる。

御仁、彼、シンガポール人と親友なんだ、なんて話に展開し。

母国語でなく、第二外国語とでも呼べる言語によって親友になる、ってのも、なかなか、面白い事象ではあるね。

って、こちらが外で暮らしたことがない、ってことだけで。

世界には、掃いて捨てるほどあるんだろうけど。

そう言うわけで、昨夜は、娘の手料理で、一杯聞こしめし。

前日のベルギー戦の余波もあり、早々の就寝タイムとなった次第。

流石に、睡眠時間をしっかりとると、今朝は、やる気満々、その気満々、って。

食と睡眠と運動と排泄は大事だね。

そう考えると、人生ってのは、実にシンプルでもあり。

今朝、ベランダを何気なく見たら、朝露が輝いている。

その一粒が美しい。

さもない光景、絵面、ではあるけれど。

ところで、かとうゆかと言う女史からのメルマガか、Lineブログか、そんなのが届き。

テーマは、天才、あなたも天才、と言う本を出版、と言うので、早速予約購入。

と言うのも、すべての人が、実は、天才で、と言うコンセプトが、まんま、俺のと同じじゃん。

ってことで。

早い話が、世間や親や社会や学校の先生やから、懇切丁寧に教えていただいたことから。

まず、自由になること、ゼロから1を生み出そう、と言うのが、創造脳、と彼女、定義していて。

そんな脳の使い方をすることが、天才の前提で、と言うわけだ。

そういえば、昨夜の娘との会話の中でも、序破急、という言葉が、わが口の端に上ってきたな。

たしか、「風姿花伝」で世阿弥が言っていたのだったか。

芸、彼の場合は、能か。

芸を教えていただく、ほぼ、コピー、所作振る舞いなどなどね。

師匠の振る舞いをコピーし、その間には、ビシッと扇子なんかも飛んでくるのか。

それが終わって、師匠に教えていただいた事柄を破る、壊す、そして。

自分独自の所作を創造する、ってなもんだな。

こう言ったことは、社内教育やら学校教育やらあと何、教育なんて言葉を使っているシーンでは。

利活用する方が無難だろうな、と思う次第で。

この辺りを抑えとかないと、芸は身につかず、中途半端な頭のいい人間が製造される、って仕組みだろうね。

芸事、習い事が官僚化しちゃう、ってわけだ。

そうなると、わが骨ストレッチのワークは、どうなるんだろうな。

師匠とその弟子を、劇団ひとり、みたいにやる、ってことかね。

師匠といえば、倉田百三の「出家とその弟子」と言う書名が、ずっと気になっていて、読んでませんが。

書名だけで、ほとんど、何事かを理解している、と言う傲慢な態度なんだけどね。

依存、共依存でもなく、しかし、とても女々しい凭れ掛かりみたいなものもあり、の中での。

毅然たる独立独歩みたいなもの、それもあり、と言うね。

なんとも妙(たえ)なる人間の心の動き、ってわけだ。

さて、骨ストレッチの序破急に出かけるとするか。

 

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平日の清里、ツアー客もかなり

2018年07月03日 | Weblog

というわけで、昨日は、お仕事をそっちのけで、八ヶ岳方面へのお会いおば会。

個人ミーティングで教わった、チョコレート屋さんを目指し。

北杜市は、高根町にある。

軽井沢の森のレストランのある地域と、ちょっと似ていなくもない。

そんな感想が、おばたちからも出て来た。

そこで、昭和一桁世代と、ソフトクリームを満喫し、妻への土産に。

ゴディバと同じくらい?なんて声が妹からも聞こえた、チョコレートを。

30度を超える暑さなので、保冷剤やら、途中で、氷結アクエリアスなんかも入れながら。

僕以外のメンツは、サンデー毎日の方々で。

もちろん、当方も、郷に入っては郷に従え、の喩え通りの振る舞いではあったけれど。

昼食は、清里スキー場にある、ナチュラルビュッフェ。

このところ、自分の食べたい分だけ食べることのできるビュッフェスタイルがお気に入りなのです。

冒頭のソフトクリームが、あまりの美味しさに胃を刺激したのか、彼女たちは、そんなに入らなかったみたいで。

こりゃ、割り勘負けだ、なんて言われそうなくらいではあった。

そう言えば、先週、茅の輪くぐりのお祭り、直会の席で、宮司さんとしばし談笑。

彼、釣りをやっているようで、巴川でもうなぎが釣れるんですよ、なんて話になったので。

巴川といえば、当方も、プロとも言えるくらいの観察を経ていて、といっても、朝の、ほんの15分だけど。

カワウがね、と。

冬から春先にかけて、川面を飛ぶ姿が、と言いかけると、カワウが増えちゃってるらしいね、と。

釣り人からしたら、ライバル、好敵手なわけだ。

どこかでだったか、カワウの群の話をした時も、怪訝な、迷惑そうな、嫌そうな、そんな感想。

覚えてるな。

そうだね、魚獲りのライバルたる存在として、DNAのなかに眠る、敵愾心、あるいは、なんとか上手に勝ち抜く。

みたいな。

そんな古い古い記憶なのかもしれないな。

「人類誕生」だっけ、一番弱いホモ・サピエンスが生き延びたのは、なんて話、あったもんね。

日本の神話、その中の英雄、ヤマトタケルなんかも、割と卑怯な振る舞いで敵を出し抜く、なんてこと。

臆面もなく残されているし。

古い古い記憶が、それこそ、集合無意識なんて言葉で言われるような、心の、意識のどこかに。

その残りカスが、いまだにある、とも言えるか。

さて、火曜日から始める週初め、仕事がたくさん、残されているか。

昨日も、運転中に何本か、電話をいただいたけど、明日にしましょう、って、先延ばし。

明日できるものは今日やらない、なんて経営の教科書に書いてある真逆の。

そんな対応で迎えた今日、と言う名の明日なのです。

 

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家人と書いてけにんと呼んでいたか

2018年07月02日 | Weblog

昨夜のせごどん。

沖永良部島で、西郷さんに教えを請う子どもたち、というシーンで、この者達は。

家人だから、上へ上がれないんだ、汚いし。

みたいなセリフが流れていて。

こんな南の島でも、案の定というのか、やっぱりというのか、区分け、区別、差別、階級。

序列、そんなもの、ついこの間まであったんだね。

って、江戸時代は、士農工商だっけ、身分の区別があったんだったな。

その下に、賎民、か。

そんなシーンを見ながら、その後、妻と一献傾けながら、某会社さんの。

雇い止め、みたいな話、していたんだけど、現代にも残る、階級意識というのかね。

雇い止めになる、という選択がなされんとしている最中、その組織に起こることは。

組織論なんかの教科書にもかいてあるんだろう、では、次の雇い止めは誰か、みたいなね。

みんな平等、なんて戦後民主主義の教科書で教えられた戦後の学生たちに、わが方も入るんだけど。

未だに旧習、陋習が残されていて、というのか、集合無意識の中に。

人との比較で、あいつよりはまだマシ、みたいなね。

そんな根っこは、相変わらず、漂い流れてもいるわけだ。

ここんとこ、テストに出るところで。

彼我の比較、隣の車は大きく見える、だっけ、芝が青くみえる、だっけ。

いずれにしても、自分というものを表現するのに、物差しをいちいち探し出し、なんてメンタリティは。

まったく、困ったものだ、というわけだ。

んなこと、どうでもいいんだけど、ね。

家人、とかいて、家につく人、という解釈か、家奴、なんとか家の奴隷、だよね。

神人、とかいて、神につく奴隷、でもあり。

日本には奴隷はいなかった、なんて説もあるけど、奴隷とは言わなくても、似たようなもの。

あったんだろうな、という推測は成り立つね、ニッポンを貶めるわけじゃないけど。

人の認識構造が、そんなに、近代の、人権理念に沿ったサガでもないわけで。

大阪の、四天王寺、あそこにいらっしゃった寺人、物部守屋の末裔が。

延々、何百年なのか、寺奴みたいな立ち位置で、物部の霊を祀り続けた。

なんて話もあり、西暦の600年前後か、隆盛を極めた物部の一統が、寺の奴隷に身をやつしつつ、というのね。

いつだったかもアップしたかも、ですが、その物部の祠を遠目に眺め、いや、写真にも納めたか。

さりげなく、家人という、ああいった逸話を挟み込む原作者、林真理子は、ひょっとしたら。

見城徹さんがいうように、才女なのかもね、という一つの、今朝の感想です。

かたや、わがエキセントリックな思想家、副島隆彦は、西郷はクリスチャンだった、なんて説、書いてるし。

敬天愛人なんての、まんま、ベタにキリスト教だ、くらいの。

いろんな方にいろんな語られ方をする「せごどん」は、傑物だったんだろうね。

わが薩摩隼人とかの地、鹿児島を旅した時に、どうにも、西郷賛歌の空気が漂ったのは否定しようもなく。

体感としてあった。

そうだ、昨夜の「せごどん」の薩英戦争、生麦事件を発端としたね、あれ、錦江湾まで来たんだよね、イギリスの大砲。

福山町にある、神武天皇が東征の前に立ち寄った、という謂れのある神社、なんて名前だったか。

くだんの薩摩隼人のお母様の生地近くなんだけど。

そこの銀杏の木に、その時の砲弾跡があるの、見て来たな。

宮浦宮だ。

便利だね、グーグル。

そんなお母様の妹、かの薩摩隼人からしたらおばさんになる、その方が、ついこの間、95年の幕を閉じた。

と電話があった。

今は、毎日、釣り釣り釣りらしい彼の心境へも、こちらの心が入り込むな。

そう言えば、彼の実家、その近くに、おおなむち神社があり、そこでいただいて来た赤い砂。

わが社の神棚に、置かれているんだけど、その神社、その前には、神島、と名付けられた島から。

彼のご先祖様が勧請した、という話でもあった。

通称、おなんじさぁー、というお宮さんだ。

あらあら、今朝は、2000文字か、そろそろ、仕事サボってのおじおば会へ向かう時間か。

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