タイね。
世界中注目だった、13人の脱出劇、うまく全員、救助されてよかった。
それにも増して、気分が良くなったのは、ボランティアと呼んでいるのか。
タイ語では、なんて呼んでいるのか。
四国八十八箇所、四国巡礼ね、地元の方々は、お遍路さんと呼んで、なんていうんだったか、おもてなし。
でもないか、心よりのお世話をしてくださる、なんて話、聞いたことあるんだけど。
そのタイでは、洞窟への入り口あたりで、地元の方が救助隊員の方々へ、毎日、食事から何から。
お世話係、とでもいうのか、ごく当たり前に、おさんどんをやっている姿が映し出されていて。
高校生なんかも、朝、登校前に何かをやって来る、なんてシーンもあったけど。
さすが、アジアの時代、と呼ばれる由縁だ、なんて勝手に感動していたわけだ。
もっとも、アジアの中に、中国や日本が入るのかどうなのか、微妙な話でもあるけれど。
それは置いといて、と。
その東南アジアから、その昔、丸太船か、カヌーと呼ばれたらしい乗り物で、日向などにやってきた。
なんて一文が、なかひらまいさんの書かれた「名草戸畔」にあって。
人種の坩堝、なんて言葉、アメリカについて学校で習ったような気もするけど、わが方だって。
そうとも言えるか。
それが、何千年か経過すると、わが大和民族は単一民族にして云々カンヌン、という言質ともなったりね。
んなこと言えば、元はすべて一緒でしょ、ってなもんでもあるけれど、それじゃ。
民族学者、ってあるか知らないけど、いや、文化人類学か、研究のしがいがない、か。
お盆ですね、わが方は7月。
週末は、自治会の夏祭り、役員さんとしては、何かと忙しないわけだ。
それもまた良し、って具合だ。
昨夜は、歌丸さんのドラマがあって、見ちゃったよ。
今、またぞろの落語オタク、になりつつあるんで。
円楽や談志、今輔、小円遊などなど、懐かしい名前が出てきて。
最初、古今亭今輔の弟子だったんだね、歌丸さんは。
それから、桂米丸のところへ行って、桂歌丸となったようだ。
志ん生と比べたらまだまし、だけど、やっぱり食えなくて、途中、化粧品のセールスなんかもやっていたな。
みんなそうなんだろうね、売れるまでは。
東北の親父が倒れたので、帰ります、と涙ながらに語っていた弟弟子の場面があったけど、その方。
農家を継いで、今頃、ひ孫に囲まれてもいるのか。
今朝の珈琲は、タイの救出劇にちなんだわけじゃないけど、インドネシアのマンデリン、ビンタンリマと書いてある。
美味い。
ベトナムが世界第2位の出荷量だというから、東南アジアは珈琲にあっているのかもしれないね。
今朝は、微笑みの国を思い浮かべながらのブログでした。