茅の輪くぐり、って。
蘇民と巨旦、二人の兄弟がいて、ある時、宿を求めたスサノオに、金持ちの弟、巨旦は。
けんもほろろに追い返し、かたや、貧しかった兄の蘇民は、もてなし、と対照的な振る舞いをした。
ので、のちに訪れたスサノオ、蘇民の娘に茅の輪を与え、これをつけてない。
その他、の人々は、みんな殺されたのか、死んでしまったのか、蘇民の娘一統だけが、助かった。
というようなお話で。
昨日、夏越の大祓のあと、直会の席でのご挨拶、代議士の先生が。
そんな話を紹介してくださり、今朝、正確を期すために、ウイキで調べた、ってわけだ。
ユダヤの過越の祭りもそんなんじゃなかったかな。
では、ウイキで調べるか、って、やめときますが。
たしか、生贄の羊だったかの血を、家の入り口に塗っておきなさい、そうすれば。
それ以外は、云々カンヌン、ってのね。
ま、いまさらだけど、神様、ってのは、時と場合によっては、エグイこと、なさるね。
そりゃ、世のおかあさん方が真似するわけだ。
そんなことすると、押入れへ入れちゃいますよ、ってね。
おいおい、ってんもんだ。
そんなことで、社会なのか、共同体なのかの暗黙の教えを強制し、しつけともいうのかも、だけど。
それによって、なんとか、共同体を維持した、という言い方もできるか。
共同体は維持できたかも、だけど、そのおかげで、個人のトラウマは、しこたま発生し。
その科(とが)が、現代の、鬱であったり、引きこもり、なんとか事件とか、数えきれない。
適応障害みたいなもの、発生しているんだろうか、なんてね。
そんな感想も浮かんでくる、昨日の茅の輪くぐり、小芝神社での夏越の大祓、であったんだけど。
当方、いつの間にか、来賓待遇で、かたじけないことだ。
かの町内では、新参者なんだけど、殊の外手厚くお迎えしてくださり。
直会では、とれたてのシラスをいただき、宮司さんにも。
ほんとに、あの榊、すんごいですよ、とね。
一年は大げさかも、だけど、少なくとも半年以上は、青々としていて、今なんて、若葉の黄緑色が鮮やかで。
そう、わが社の神棚の榊ね。
その水換えを毎朝するたびに、力が湧いてくる。
しかも、「愛と光を!」と言霊をお返しもしながらだし。
この時空間の気が、なんとも、いいんだろうな、と再確認の毎朝なのです。
今朝の珈琲は、ブラジル、セラード樹上完熟、ってやつで、それを。
シティローストというらしい、焙煎度合いの。
雑味が少なくクリアな、なんてコメント書いてあるけど、たしかに、口に含んだ瞬間、そうとも表現できるか。
濃密にして爽やか、とも書けそうだけど、淹れていて、泡立ちがいいと、いかにも新鮮そうで。
この泡、二酸化炭素だったか、科学的には、そんならしいね、って立ち読みした新書に。
たしか、書いてあったような、なかったような。
どちらでもいいんだけど。
さて、今日は、娘と母親が帰宅の日。
明日は、平日だけど、おじおば会。
昨日は、娘の部屋、スペースを空けるために、妻と次男坊で大掃除。
昼時、次男坊と、娘が帰ってくると賑やかになるな、と言いつつ、すでに。
その気配濃厚だよね、こうして人が動いてる、つまり、掃除してる、ってのね。
なんて会話もしたり、さて、明日のおじおば会は、どちらへ行くことになるのやら。
って、行き先の気配は感じているんだけどね。
八ヶ岳倶楽部の近くの、チョコレート屋さんの話を一言出せば、そこ行きたいです、となるの。
ほぼ確実に予見できるんだ。