いつものこの時間の気持ちのいい冷気。
夜中のテレビでは、フランスが2度目の優勝、とやっていて。
寝ぼけながら見ていたような。
そんな朝です。
本番の夏祭りも終了、今朝は、この後、片付けだ。
また、大汗をかいて風呂かシャワーを浴びて、という具合。
その後に、協議員の定例会がある。
今晩は、巴川の灯籠流し。
週末は、客先の工場での夏祭り。
なんやかやと、祭りというものが続く。
めでたいめでたい、ということだね。
灯籠流しだけど、巴川を流れて行った先は、たぶん、大瀬崎なんだろうな、と思うんだよね。
なにせ、灯篭に、大瀬大明神と書かれているんだから。
黒潮に乗って流れてきた南方の民、わがご先祖様でもあるんだろうけど、海の民だ。
母親の胎内、羊水ね、海の水とおんなじ構成比だったか。
いずれにしても、わが命の源は、海か。
どのくらい遡れば、海までたどり着くのか。
磐田の見附だったか、古い産小屋があったような記憶があるんだけど。
その昔は、母は一人で産小屋にて、子を産んだそうで。
古事記にも、なに姫だったか、一人産小屋でお産をし、それを覗き見られたので、離縁した。
みたいな話、なかったかな。
木花佐久夜毘売さんは、それ、俺の子じゃ、月数が合わないじゃん、なんて男が言うので。
産小屋に火をつけて身の潔白を証した、なんてのもあったね。
いずれにしても、海がキーワード、ってことで。
日本語の海には、母がいて、フランス語では、母(mere)の中に海(mer)がいる。
と三好達治が歌ったそうだけど、せっかくだから、引用しときましょうか。
海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして、母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。
どうも、こう言う表現の方が、綺麗だね。
と言うことらしいです。
昨日は、祭りまでの時間、「天命の暗号」だったか、書名うろ覚えだけど、そんな本、読んでいて。
出口王仁三郎の曾孫、と言う出口光さんだったか、そんな方が書いていた。
誰にも天命があり、その天命ゆえに、そこから逃げもし、嘆きもし、なんてうちに。
そうか、そうだったのか、それをしたかったのか、と腑に落ちる、という、なんてこと。
書かれていた。
プラス思考でもなく、マイナス思考でもなく、ってとこだ。
お前の明るさは便所の百ワットだよ、と言うのとか、太宰じゃないけど、明るさは滅びの徴。
でもなく、と言うことかな。
さて、祭りの後の寂しさはいやでもやってくる、と吉田拓郎は、昔、歌ったけど。
こちらは、そんな感傷に浸らずに、動け、カラダを動かせ、ってなもんで、これから。
テントの片付けだ。