まわりで起こっていること

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今朝は冷気から始まった

2018年07月16日 | Weblog

いつものこの時間の気持ちのいい冷気。

夜中のテレビでは、フランスが2度目の優勝、とやっていて。

寝ぼけながら見ていたような。

そんな朝です。

本番の夏祭りも終了、今朝は、この後、片付けだ。

また、大汗をかいて風呂かシャワーを浴びて、という具合。

その後に、協議員の定例会がある。

今晩は、巴川の灯籠流し。

週末は、客先の工場での夏祭り。

なんやかやと、祭りというものが続く。

めでたいめでたい、ということだね。

灯籠流しだけど、巴川を流れて行った先は、たぶん、大瀬崎なんだろうな、と思うんだよね。

なにせ、灯篭に、大瀬大明神と書かれているんだから。

黒潮に乗って流れてきた南方の民、わがご先祖様でもあるんだろうけど、海の民だ。

母親の胎内、羊水ね、海の水とおんなじ構成比だったか。

いずれにしても、わが命の源は、海か。

どのくらい遡れば、海までたどり着くのか。

磐田の見附だったか、古い産小屋があったような記憶があるんだけど。

その昔は、母は一人で産小屋にて、子を産んだそうで。

古事記にも、なに姫だったか、一人産小屋でお産をし、それを覗き見られたので、離縁した。

みたいな話、なかったかな。

木花佐久夜毘売さんは、それ、俺の子じゃ、月数が合わないじゃん、なんて男が言うので。

産小屋に火をつけて身の潔白を証した、なんてのもあったね。

いずれにしても、海がキーワード、ってことで。

日本語の海には、母がいて、フランス語では、母(mere)の中に海(mer)がいる。

と三好達治が歌ったそうだけど、せっかくだから、引用しときましょうか。

 海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして、母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。

どうも、こう言う表現の方が、綺麗だね。

と言うことらしいです。

昨日は、祭りまでの時間、「天命の暗号」だったか、書名うろ覚えだけど、そんな本、読んでいて。

出口王仁三郎の曾孫、と言う出口光さんだったか、そんな方が書いていた。

誰にも天命があり、その天命ゆえに、そこから逃げもし、嘆きもし、なんてうちに。

そうか、そうだったのか、それをしたかったのか、と腑に落ちる、という、なんてこと。

書かれていた。

プラス思考でもなく、マイナス思考でもなく、ってとこだ。

お前の明るさは便所の百ワットだよ、と言うのとか、太宰じゃないけど、明るさは滅びの徴。

でもなく、と言うことかな。

さて、祭りの後の寂しさはいやでもやってくる、と吉田拓郎は、昔、歌ったけど。

こちらは、そんな感傷に浸らずに、動け、カラダを動かせ、ってなもんで、これから。

テントの片付けだ。

 

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