まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

雪の近江市場をネタに話した

2018年01月11日 | Weblog

夕べは、仕事帰りの次男坊と、年末の。

表題の市場からのお土産をネタにしつつ、「天狗の舞」を聞こしめしつつ。

のプチ宴となり。

寒ブリネタ、のどぐろネタ、でね。

アレヤコレヤと話し込んだ。

話は多岐に及び、一筆書きにはいかないけれど。

結果、クリスタルチルドレンとかインディゴチルドレンとか、呼ばれる世代だから。

なかなか、旧世代に伍していくには、生きづらいよね、なんてことで、話は終わり。

といっても、彼が、何かに悩み、ということではなく。

俯瞰して時代を眺めると、という感じではあった。

昼食は、長男坊との会話。

主体者たれ、という「七つの習慣」の中で、コヴィー博士が言ってることを下敷きに。

的な会話だったか。

いずれにしても、初春の1日は、長男次男との会話で過ぎたわけだ。

来週には、東京は明治神宮で、結婚式と披露宴がある、ということで、長男坊は。

その準備に余念なく、と言った風情で。

この時代、ああいったイベントも、懇切丁寧な打ち合わせがあるようで、自分の時と比べると。

隔世の感、とでも言おうか。

ボブディランじゃないけど、時代は変わる、わけだ。

丁寧なおもてなし、サービス、痒いところに手が届くような、というのは。

それはそれで、誰もが賞賛するのだろうけど、その根源に、例えば。

インスタ映えの、真逆な意味で捉えられちゃうと、なんていう恐れが混じるとしたら。

そりゃ、悲劇のズンドコ、ってやつだけどね。

おおらかさ、笑いのめす、みたいな、いい加減さが通用しなくなっているのかも、というのは。

自分の商売見てても、とてもよくわかることで。

要求精度、上がってるよね、という感想だ。

それが、多くの人を幸せにしている、隠れたシステムなのか、あるいは……、ってことだな。

ところで、今朝は、すでに、豊川に向かって19歳が出立。

早いね。

高校時代は、この子は朝が苦手で、なんていう、ちょっとネガティヴコメントも、先生からいただいてもいたんだけど。

それが、ほら、この通り、とブラック企業みたいに。

朝早くからの、愛知県ですよ、愛知県、という豊川へ向かって、ひたすら走っている。

今度、新入社員が入ってきたら、ボイストレーニングをしようか、とひそかに思っているんだ。

というのが、長男坊と次男坊との会話の中で、口にしたことで。

本人、普通に喋ってる、と思っていても、そのトレーニングで声の通りが良くなったとしたら。

いきなり、周囲の人たちは、印象、様変わり。

その印象が、本人にも通じ、あら、今までと違うな、俺、そんな風に見られてるの、あるいは。

俺って、そんな人間なの、くらいの驚きの瞬間を迎え。

そこから、一挙に、一気呵成に、暗転ならぬ明転をする、って算段なんだけどね。

体感、大事だから。

リクツ、そりゃ、どうでも良くて、カラダで覚えたこと、忘れないから、という仕儀で。

このところ、自分を好きになってね、と言葉でのメッセージは伝えたんだけど、さらにパワフルな。

カラダ、細胞そのものをいい具合に改変しちゃう、とでもいうか。

これね、地獄の特訓的な風情だと、やばいんだけど、その辺り、微妙な違いを醸し出す必要はある。

微妙な違いは、人間観から始まる、とも言えて。

人間を、この世を、この世界をどう捉えるか、と言ったあたりが肝心要。

このところは、引くわけにはいきません、ってわけだ。

発声は、たぶん、姿勢とか歩き方とかにもたどり着かざるを得ないので、丸ごと。

真性の、新人、神人になるためのサポート、とでも呼んでおこうか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さすがNHKだなと思いつつ

2018年01月10日 | Weblog

観ていたのが、夕べのBSスペシャル。

「欲望の資本主義」とうたっていたかな。

ふむふむ、とうなづきながら、ではあったんだけど、さて、今朝になって。

それについて書こうとすると、あら不思議、書く言葉が浮かんでこない。

にしても、錚々たるメンバーにインタビューという構成は、表題の感想で。

とかく、ネトウヨみたいな人士や真逆の人士方からの、批判にさらされる。

公共放送、ってやつだけど、そこはそれ。

人が、それぞれの顔、世界、自分を持つように、かのNHKだっておんなじで。

様々な顔を持つわけだ。

ひところ話題になった、「善と悪の経済学」のチェコのセドラチェクやスティグリッツ、出ていたな。

面白いなと思ったのは、マルクス・ガブリエル、といったか。

新進気鋭の哲学者、という肩書きの方、生産、produceは、pro=前へ、duce=持ってくる、という語源から。

説起し、その場では感心していたんだけど、今となると、忘れちゃってるけれど。

哲学者つながりで、国分功一郎さんのねばりつよい思索癖も思い出し、なかなか。

哲学者ってのも、面白い人種だな、と。

創造的破壊、で有名なシュンペーターも登場したか。

いずれにしても、何かから追い立てられるように暮らす、そのように人生の選択を迫られる、という生き方を。

強要されちゃってるよね、この資本主義ってやつ、というのが、結論といえば言えるか。

もっとも、登場人物の中には、ほぼ資本主義の命ずるままに生きている、なんて人士もあり。

どこぞの投資家だったか、道端で食べるものもなく、という人を見るのは、こころが痛むけど。

このダイナミックなシステムは面白い、くらいの話をしていたんだったか。

たしかに、バスケットボールが好きで、日がな一日、そのことを思い、トレーニングもし、ゲームもし。

という人と、好きじゃないんだけど、やれって言われるからやってる人とを。

比べても意味ない、なんて比喩もありそうだけど、これと経済、政策、政治は違う。

という言い方もあるか。

だって、命がかかってるんだから、ということになるか。

この時期は、お年始、ということで、多くの方が来社してくださり、今年もよろしく。

お願いいたします、とね。

年末は年末で、今年もお世話になりました、ありがとうございました、というわけだ。

何だか、こんな風習もす押しづつ、薄らいでくるのか、なんて気にもなっている当方。

なんて書くと、無粋者となっちゃうかな。

某大手さん、4日に安全祈願、5日に新年会、はい、今年もよろしく、では始めましょう。

って感じで、ゲームに入るのが早くて、ほぼ全開なんだよね。

世界へ打って出ようという組織からすると、そういうことだ。

なんてことが、少々、気になっているという次第。

さて、今日を始めるとするか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルーティンを少々変えてみた

2018年01月09日 | Weblog

榊の水換え→コーヒー落とす→ブログ→骨ストレッチ→ウォーキング→新聞読み→ネットサーフィン。

ってのが、デフォだったんだけど。

これでだいたい、2時間半くらいかかるんだよね。

そこに、一週間のスケジューリングってやつを、入れ込みたくて。

ブログの前になるんだろうか。

というのを、今朝は、やってみた。

一週間を俯瞰する、って感じかな。

時間管理のマトリックスがあって、そこに当てはめていく、というわけだ。

なんでも、試してみないと気が済まないたちなんで、と。

だから何?

とも言えるけど。

ルーティンを壊すのは、なかなか、勇気がいることで。

せっかく続いた骨ストレッチが、どこかへ行っちゃうんじゃないか、なんてね。

もっとも、ルーティンと呼んでいるもんだって、当初は、恐る恐る、あるいは。

試行錯誤で、ということなんで、おんなじだけどね。

ブログ書きも、10年やってると、当たり前化しちゃっていて。

それ、なんの意味があるんだ、なんて問いも、だんだんとどこかへ行っちゃうわけで。

骨ストレッチの方は、どうだろう、3年くらいになるのか、いや、2年か。

何れにしても、それなりの効果を体感できているんで、この、体感、というのが。

実のところ、大事なんだね。

疲れない。

さらに、ボールウォーキングってのを、これは、半年か。

ふくらはぎと太ももに筋肉がつき始め、第二の心臓のポンプアップ能力が増し。

ただ日常生活をするだけでOKです、ってウタイにもなるな。

新聞読み、というのは、読み続けると、結果、読まなくていい記事が多くなり、という効果効能があって。

大方、これ、読まなくてもいいんじゃね、と。

そのあたりの判断力がつき始める、というのが、これまた、体感のレベルで。

そもそも、自分の読み落とした記事があるとして、それ、誰かが教えてくれるしね。

どれだけ、人様の頭を使えるか、ということにもなるか。

記憶が蘇らないのだって、今だと、グーグルおじさん、あるいは、近くにいる御仁連中。

そのツールを持ってさえいれば、記憶すら、所有する必要もなく。

ついでに言っちゃえば、究極の選択は、自分すらどこかへ置き忘れてOKです、と。

微妙な表現だけどね。

もっと言っちゃえば、たくさんの、数かぎりない自分がある、それでいいじゃん、とね。

だって、そうなんだもん、というわけだ。

と同じように、目の前の一人の人にだって、たくさんの自分があるわけで、その一つ一つに。

目くじら立てる、ってのが、めんどくさい話で、という結論にも到るんだけど。

この話は、書き出すと、止まらない可能性があるんで、この辺りで、と逃げを打っといて。

さて、松も開けて、ようやく新しい年の軌道に乗りつつある。

今日を始めるとしますか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成人式とカレンダーには書いてある

2018年01月08日 | Weblog

今頃、着付けの方やら髪結いさんたちは。

てんてこ舞っているのか。

どうも、15日というのに慣れている当方としては、なかなか、馴染めないんだけど。

その昔は、元服か。

たしか、もっと若い歳、15だっけ、そのくらいだよね。

長寿に連れて20歳になったのか、社会の構造が複雑になったので、そうなったのか。

よくわかりませんが。

今朝は、なかなか、言葉が浮かんでこない。

というのも、たぶん、夕べ、遅くまで飲んだせいなのか。

板金工業組合の新年会があって、その後、ちょっと、飲めや歌えの、おおさわぎまでいかなかったけれど。

という次第で。

初めて、というか、何十年ぶりにその会に出席させていただき、少々、複雑な思いもしているところで。

それらのことごとが、浮かんでは消え、消えては浮かび、ということでね。

一筆書きには行かないわけだ。

そう、昨日は、わが静岡、藤枝順心が、女子サッカーで優勝。

男子の方は、なかなか、勝てないんだけど、彼女たち、いいサッカーしていたな。

今日は、男子の決勝戦か。

第一回目のせごどん、西郷さんの大河、あれは見れなかったんだけど。

録画しておいたので、あとで見てみるか。

願わくば、明治維新万歳、みたいな作りでないことを、ってことだけどね。

大河ドラマは、時に、世相を斬る、というより、明るい明日に向かって、みたいなこともあるんだけど。

今年のは、どうだろうな。

忖度の、とか、迎合の、とかの形容詞のつく番組作りが、そこここで横行しているのかも、というこの時期に。

果たしていかに、と。

もっとも、ネット配信に押され、昔ながらのテレビ業界というやつが、様変わりもしているので。

一時期、映画産業が危殆に頻していた頃に、似ていなくもないけれど。

なんて人ごとのように語っていると、わが業界に限らず、どの業界にしろ、明日は我が身、というか。

学生さんの就活で人気の、銀行業界にしても、人員削減などと喧しいと時節柄。

なんにせよ、変わる、ということは必要というか、必然というのかね。

泰平の世にやってきた黒船、戯れ唄あったよね。

泰平の眠りを覚ます上喜撰、たった四杯で、夜も眠れず、か。

狂歌というらしいね。

いずれにしても、そんな具合で、いつの世だって、行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、ってわけだ。

言っちゃえば、そもそも、自分自身だって、昨日と同じ、と思っているのは、大きな勘違い。

なんて言い方もあるし。

もの皆流転、流れてゆくわけで。

さて、当方も、今日を流れていくことにしますか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月がとっても青いから

2018年01月07日 | Weblog

遠回りして帰ろ、なんて歌、昭和の歌があったよね。

今朝は、そんな気分で、ルーティンを変更し、まず、屋上でのウォーキングから始めた。

だって、月がとっても青いから、じゃなく、月を取り囲むように雲が、まさに。

月の輪みたいだったので、好奇心にかられ、もっとよく見てみよう。

というわけだ。

だったんだけど、それは、下から眺めた勘違いで、実際には、単に、たなびく雲の真ん中に月が。

という風情で。

おかげで、月影、というものを味わいながらの歩きではあった。

屋上の防水屋根面に映る月、それを左見右見(とみこうみ)ってね。

太陽が昇る42分前に、動物たちは目覚める、植物たちもか。

植物たちが光合成を始め、二酸化炭素を取り込み酸素を吐き出すと同時に、活動を始める。

そんな気分で、わが方も、ウォーキングを、骨ストレッチを、というわけだけど。

今朝は、早すぎ、だ。

おかげで、いつものお茶目な川鵜は、到来せず。

お茶目ってね、彼ら、個人的な感想だけど、飛ぶの、つまり、翼使いが、そんなに上手くないのかな。

翼全体を使わず、半分くらいを、バタバタと、という感じなんだ。

トンビなんかと比べると、一目瞭然で、なんだけど、僕の上空にやってきて。

中の一羽が、その時だけ、トンビのように翼をまっすぐして、かっこよく飛ぶ、滑空する。

それを眺めて、思わず微笑みを返し、よ、大統領、ってなもんでね。

という川鵜には、今朝は、お目にかかれなかった。

なんて、こんな小さな出来事に、ストーリーを持たせ、楽しむ、というのが、楽しさの自給自足。

その実践編、ってことにもなりそうで。

今朝の車外温度、1度。

やってきました、本格的な冬、ってことだけど。

この冬、という語感、ふゆ、ね。

増える、ということなんだよね。

目の前には見えないけれど、この時期、地下で草木が春に向かい増え続けている、というイメージ。

この時代の、成果出せ!的な物言いの、まったく真逆にある。

割と、この言葉、好きでね、ふゆ、という古語の語感ね、しかも、それに含まれた意味。

そうだ、昨日の午後は、ゴッドファーザー2を観ていたんだった。

シチリアのコルレオーネ村からやってきた父親の姿と、現在のドン、マイケルの対比。

かの村は、ファミリーの意識、強かったんだよね。

ファミリー、ま、家族と訳していいのか、それを大事にする父親の姿を回想シーンとして使いながら。

現在のファミリーの統治への苦悩、とでも書けるか。

もっとも、当方も、家族、という言葉はよく使うし、今だと母親を基点とした集まりに。

おばばちゃん米寿祝い、と名付けもして。

だから、マフィアの理不尽な、暴力を使った統治に対して、単純に、馬鹿野郎、それ、ちがうだろ〜。

なんて吐き捨てられないような、そんな気分でもあるんだけど。

中国の華僑なんかもそうなんだろうしね、同郷の、というね。

わが社にこの間まで在籍した御仁も、薩摩出身だったから、当地で出会う人が。

九州人かどうか、なんてので、随分とその親しみ方、違ってたしね。

そういうものかもしれないね、異郷の民からしたら。

移民の地、人種の坩堝というアメリカで、あんな映画、作られるのも宜なるかな。

しかし、かの地、アメリカの寒波、凄まじいね。

テレビのニュース番組なんかでも、取り上げられているのかな。

空の便も1000便くらい、欠航しているというから、新年早々の暮らしへの影響、大変だろうな、と。

なんにせよ、かの大陸のスケール、ちがうね。

さて、ふゆ突入の予感のする朝、そろそろ、骨ストレッチに入るとするか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新年会<歓送迎会

2018年01月06日 | Weblog

年初の、賀詞交歓の会が、表題のごとき様相で。

1月1日、元旦に辞令がでた、ということで、横浜へ転任される方の。

送別の会に早変わり、同じく、豊橋からお見えの方の歓迎の会。

口々におめでとうございます、本年もよろしくお願いいたします、と同時に。

お世話になりました、というね。

なかなかに、見られない光景が、夕べの、某大手さんの安全祈願祭に続いての。

賀詞交歓会なのでした。

午前中、朝一からの当社の安全祈願祭は、秋葉山。

いつもの院主の、古い仏教というのか、神仏混淆の祝詞が、なかなか、素晴らしく。

いつだったか、初めてお願いした時に、社員さんの一人が、頭の中が空っぽになる。

というほどの、野太い、腹の底からの音が堂内に響き。

瞑目している脳裏には、なにやら、仏像のような、密教系の偶像のようなイメージが沸き起こり。

願主なんのタレべえ、謹んで、この者らの弥栄をお願い申す、だったか、そんな言葉に。

ついこちらの目頭が熱くなりそうな。

そんな時間を過ごしたのでした。

そうだ、我々のために、祈ってくださっているんだ、というね、そんな思いがこみ上げてきた。

この年も始まった、というわけだ。

古来、何千万、何億の方々が、思いを込めて、今年こそは、とか、今年は、とか。

そんな願文を、言葉にするしないに関わらず、ひそかに、宣言してきたんだろうな。

なんて考えると、そりゃ、荘厳な思いにもなるね。

思いの集積、群れ、数かぎりない、悲喜こもごもとともに。

ところで、夕べ、地震があったのかな。

夢か。

前日か、前々日かには、緊急速報が、ちょっと、バグっちゃったようだから、当方の。

感受性も感化されたのかも、だけどね。

それにしても、三が日がすぎ、松の開けるか開けないかの成人の日。

このところ、連休になっちゃっていて、仕事始めの感覚が、微妙にズレるよね。

その感覚も、たぶん、あと何年かしたら、明治は遠くなりにけり的なものになりかわり。

標準、ということになるんだろうな。

薮入り、なんて言葉が、死語になっちゃった経緯と似ているのかも。

働き方改革、とか、生産性の向上、とか、ワークライフバランス、とか。

耳慣れない言葉も、当たり前化していくんだろうね。

わが社労士さんからも、一月に一回か、ふた月に一回か、そんな頻度で、助成金の話がやってきて。

厚生労働省さんも、しゃかりき、ってことで。

人口減少、労働生産人口減少の中、アレヤコレヤと手を替え品を替えの算段でね。

なんて人ごとのように話しちゃいけないけどね、当方も当事者であるんだから。

それこそが、主体者たれ!の合言葉の眼目でもあるからね。

つまり、批判者ポジションというのは、すでに、クラシックになってるよ、というね。

神もどきに支配された暗黒の中世から、知性を糧とした近代、なんていう解釈からすると、ずっと。

長い間、批判者たれ!みたいな言説が流行していたので、すっかり、それに馴染んじゃって。

インテリは批判するんだ、正反合、ま、弁証法だね、そこから新しい何かが生まれるんだ。

みたいな、言ってみれば、勘違いが蔓延し、当事者にならず、主体者にならず、なんて立ち位置が。

どうやら、資本主義とともに終焉を迎えている、とも言えるかも。

さて、今日も主体者として一日を過ごすか、当たり前だけど。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダブルの安全祈願祭

2018年01月05日 | Weblog

朝からは、秋葉山にて、当社の安全祈願祭を執り行い。

午後からは、小梳神社(おぐしじんじゃ)。

ダブルだ。

その後は、賀詞交歓会という、早い話が、新年会というわけだ。

この週末には、NHKの大河ドラマも始まり、いよいよ、今年に突入という雰囲気が漂い。

会う人会う人と、あめでとうございます、と挨拶を交わし。

梅は咲いたか桜はまだかいな、なんてやりとりになるのは、もう少し先か。

なんだか、春めいてきたね、なんてね。

こんなこと書いてると、落語の「薮入り」のおやじ、くまさんみたいになっちゃいそうだけど。

夕べは、同級生四人で、ちょい飲み。

アレヤコレヤの話題はつきなかったけれど、キーワードの。

100歳時代、を連呼して。

宵も更けたのでした。

世間的には、定年を迎える年齢で、いやしかし、当方は、定年なし、の就業規則にしたよ、とね。

昨日も書いたかも、だけど、どうもね、楽しさの自給自足、ってやつが浮かんできて。

世間で言われる、社会の要請する、資本主義が標榜する、そんな楽しさから、ちょっと、距離を置き。

オリジナルな楽しさというものを探し求めむ、と。

美学とか、美しさを哲学は論じてきたけれど、楽学なんての、なかったね。

というのが、去年から視界に入ってきた、国分さんだ。

だから、哲学するよ、と述べていたけれど。

なにせ、暇について、10年だからね。

もっとも、暇にしても、楽しさにしても、この人間の本筋、本線でもあるんで、彼のみならず。

無意識のうちに、そんなテーマに取り巻かれての日々を過ごしている、というのが。

デフォな姿でもあるんで、それを言葉に定着せずんば止まず、という。

吉田松陰の、やむにやまれぬ大和魂、って心持ちとおんなじ、ということもできるけどね。

今朝は、珈琲が薄かったな。

南の国からのコーヒー豆の味、これもすっかり、わが列島に定着しちゃってるよね。

お茶を飲むと、長寿です、なんてウタイでもしなけりゃ、なかなか、飲み手が減少し。

緑茶ね。

なんてことを眺めると、ほんに長い年月が通り過ぎて行ったんだね、くらいの気持ちにもなるね。

だって、いつの時代だったのか、薬効があり、なんて。

とても高価で、下々の手にはなかなか入らず、たぶん、その流れが、静岡の茶町なんかの。

お茶問屋さんの大儲けにつながり、列島の各地から、そのお茶を求めて茶商がやってきた。

そんな人々の宿として栄えた、志田温泉の宿が、静かに幕を下ろしたことを聞いたのは。

去年だ。

秋田出身の、知り合いの元株屋さんの話で、静岡の街は、お金持ちが多いんだよ、というのね。

さすが株屋さん、と思って聞いたことがあって、ご多分にもれず、そういう方々は。

資産運用、で、親から子へ子から孫へ、というわけだ。

って、確認したわけじゃないけど。

類推です、妄想です、

珈琲が薄かった、からの連想ゲームです。

さて、今年の仕事初めを始めるとしますか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仕事始めの皆さん、お疲れさまです

2018年01月04日 | Weblog

かくいうわが娘も、今朝早くの出立。

この三が日は、久々に、娘と過ごした、という感じがする。

何年振りか。

越後と白山と由比は英君とともに、和やかな、穏やかなお正月だった。

三日とも、抜けるような青空、それにスーパームーン。

ほんとに、天気占いじゃないけど、この年を賀ぐかのような。

それだけで、気分爽快、ってわけだ。

そんなに気張らずに行けそうだね。

気を張らず、気のままに、というね。

この境地を手にするには、長の年月を要したんだけど。

過ぎてみれば、すべてのことごとが愛おしく、なんて書き出すと、おいおい、って感じにもなりそうだけど。

そんな具合に振り返るのも、一興というやつだよ。

なにせ、自己評価高いから、さらに、自己概念の改変、装いも新たに。

ってのが、たぶん、この年の眼目でもあるしね。

加えて、楽しさの自給自足、ってやつが、なかなかに、いいフレーズで。

他人任せからの脱却、とでもいうか、欲しいものは自分の手で作る、まさに。

ファブラボの精神だ。

朝から、述志のようなブログだけどね。

新春につき、ご容赦願います、ってとこだ。

今晩は、うどんのげんきさんにての、プチ宴。

また、美味しいアテで、美味しいお酒をきこしめすひと時となるか。

松の外れるまでの日々、ほとんど、にっぽん酒ざんまいだ。

果たして、本日は、どんなお酒に巡り会いますやら。

なにせ、かのお店、来月くらいには、高天神城の水で醸した開運の杜氏さん、それから。

英君の杜氏さん、そのお二人、あとお一人もいらっしゃったか。

複数の杜氏さんの手になる日本酒の会が催される予定で。

ほんに豪華なキャスティング。

そこに、当方、参加できるか否か、人生の一大事、は大げさだけど。

スケジュールが合うかどうか、天の采配やいかに。

そんな会話のネタさえ浮かぶ、お正月のプチ宴なのです。

ところで、青学、四連覇だね。

めでたい。

母校じゃないんだけど、その昔、その名前につられて受験して、サクラチル、なんて電報が届き。

なんていう、曰く因縁の学校なんだけど。

それも、たぶん、搾取、の搾の字がかけなかった故だと、勝手に解釈してるんだけどね。

なんてほろ苦い過去のあった学校が、笑顔をベースにした勝利、ってのが。

とても、新しいスタイルだとも思えて。

わが目指す方向性にぴたりとフィットするような。

原監督、開学150周年、創部100年を機に、ヴィジョンをぽろっとインタビューにしてたけど。

詳しくは忘れたけど、いいね!という感じだった。

そんな三が日も終わり、さて、出陣か、いや、もう少し、柔らかな表現の方がいいね。

いずれにしても、新たなる年を始めるとしますか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「越後で候」と「やたがらす」をいただく

2018年01月03日 | Weblog

昨日の賀状の主も越後。

呑んだお酒も、表題のごとくで、八海酒造の。

しぼりたて原酒。

こちらは、わが社の相棒、専務から年頭にいただいたもので。

毎年、心づくしのお酒を持参してくれて、本年は三本セット。

のうちの、一本が、上記、お酒で、夕べ、愛でながらいただく。

まさに、愛でる、だ。

彼の人柄、今までの歴史などなどに思いを馳せ、と、目の前では娘が。

エビスビールだ。

これも、年末にいただいた、いわゆるお歳暮、たぶん、彼だろうな、と推測しつつ。

その心持ちなども含め、の夕餉だった。

会社に届いたお歳暮は、社員さん全員で分け合うんだけど、それはいいとしても。

一つ一つの品々に、送ってくださった方々の心情まで、思いを致すことが、かえって。

できにくく、と言うきらいはあるにはあるな。

と言うことは置いといて、俺も、エビスなら、ビール、いけるんだよ、なんてこと。

娘に述べつつの、当方は、八海酒造の、越後で候、だ。

昼間には、箱根駅伝往路の後半戦、最終の山登りのシーンを見ながらの。

妻の実家、長兄のところでいただいたのが、これまた、表題の。

やたがらす、と銘打たれた新酒で、奈良は吉野のお酒。

相方は、長兄の長男坊、同志社だったか、中国でのイスラム教、ってのを研究している。

そんな彼と、4合瓶を空けて、うまいね、これは、山田錦が、こんな味になるんだからね。

水と空気と風土のからまり合いの中で、醸される日本酒というものは、さらに。

名前に、やたがらす、なんて、神武天皇を先導したカラスが付いていると、一際の味わいで。

上記の、越後で候、のネーミングも格別だし、きてるね、日本酒ブーム。

焼酎から始まり、ワインのポリフェノール的な健康志向、いや、貴種流離譚ならぬ、貴族の。

シャトー云々ブームに続き、獺祭や磯自慢などの。

ちょっと、政治的な匂いもしないでもない、有名になり方を表舞台として。

水の聖地、わが列島のお酒が、じわじわと活力を取り戻しつつある。

嬉しいかぎりです。

心のひび割れへの糧ではなく、五臓六腑満遍なく行き渡る飲み方、とでもいいましょうか。

そんなお酒が美味しいのです。

今朝の月も見事だったけれど、月にはお酒が似合うね。

さて、今夜のために、カラダを緩めるとするか、骨ストレッチに入ります。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝はご機嫌なムーンウォーク

2018年01月02日 | Weblog

初春の満月、とでも言えばいいのか。

出がけに、ちょっと凍りついた車窓から、おっと言うような月だったので。

今朝は、ルーティンの順序変えて、まず、屋上にてのウォーキング。

ムーンウォークと洒落込んだ。

これが、また、たまらなくよくて、思わず笑みがこぼれる、ってやつだ。

こいつは春から縁起がいいわい、ってわけだ。

昨日、元旦の空は、まさに、抜けるような青空、と言う形容通りで。

今年の天気占い、なんてのがあるとしたら、これほどの吉兆はない。

なので、今朝はいつもの鳥たちとの遭遇はなかったのだけど、彼らは彼らで。

どこぞの空の下で、初春を言祝いでくれているのでしょう。

昨日届いた年賀状の中に、簡単に!オチも入れて!と言う文言があって。

遠く、日本海から届いた賀状だったんだけど、早々の賀状への感謝を申し上げつつ。

わかった、そうします、なんて返信をしたんだけど。

ありがたいコメントではあって、彼、ツイッターと書いていたけど、このブログ。

ツイッターと連動させているので、と言うことなんだけど。

何れにしても、なんや、この小難しい物言いは、なんて言いながら、晩酌のお供にでもなってるとしたら。

なんとか冥利につきる、ってやつだ。

夕べは、次男坊の、日本海土産、のどぐろを炭火焼。

もちろん、焼き手は、彼で、僕よりうまいからね、で、ご賞味とあいなり。

うまい。

脂が乗っていて、しかし、爽やかで、こりゃ、高級魚と言われるわけだ。

なんて書きつつ、日本海在住の、くだんの賀状の主からしたら、幼子を眺めるような心持ちかもね。

それはともかく、白山の水になる「天狗の舞」、次男坊が奮発して、純米大吟醸なんだけど。

それを呑みながらののどぐろの味は、一つの事件だ。

このお酒、白山由来、ってのもナイスなセレクトで、見てないようで親父の所業を眺めているのかも。

と言う気にもなるね。

何せ、二年前になるか、白山信仰の三馬場(さんばんば)、つまり、白山を仰ぎ見るための参詣道。

美濃、越前、あと一つ、加賀か。

そこを、歴史の旅と銘打って訪ね歩いた親父だったわけで、それを聞くともなしに聞いていての。

この「天狗の舞」ってわけだ、by 親父の独り言。

ところで、ムーンウォークなんて書いちゃったけど、当方、マイケルジャクソンじゃないので。

あんな小器用なこと、したわけじゃなく、念のために、って、誰もそんなこと、思ってないか。

なんだけど、歩きながらの月、あるいは、月に照らされながらの、文字通り、月影を感じながらの。

ウォークは、殊の外、楽しく、かつ、なんとも言えない神聖な面持ちにもなり。

ちょっとの間、瞑想状態を体感し、街の明かりが瞬間、この世のものとも思えぬ、静かな美しさとなり。

なんてこともあったのでした。

これ、続けたら、縄文人のお月見、つまり、同じ月を見る、文字通り、同じ月、各々の月じゃなく。

ってことが可能かも、と言う気もしながらのウォーキング。

初春から華やぐ気持ちもわかるでしょ。

と言うわけで、昨日のセレッソ大阪のタイトル獲得に続き、今日は、果たして青学大の連覇なるでしょうか。

の、箱根駅伝だ。

漁師町出身の、わが社員さんの、応援行脚は、今年もあるのでしょうか、なんてこと思いつつ。

三が日、二日目に突入です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする