表題は、よく言われる話かも、だけど、オックスフォードの最新統計らしい。
ビル・トッテンというIT経営者が話していた。
三人、ビルゲイツとベゾス、アマゾンのね、それと、バフェット。
この人たちで、5割の富なんだそうだ。
どうするんだろうね、その富と言われるものを。
なんて、引かれ者の小唄よろしく、朝から嘆き節を弾いてみても仕方ないか。
夕べも、会合のあと、しばしの飲食タイムに。
働くってなんだろうね、みたいな会話の中で。
しかし、基本、働くって、楽しいもののはずだよね、だって、ありがとう、って言ってくれるんだよ。
とね。
そんな話、しながら、島田の女泣かせ、呑みました。
弱肉強食の世界、ジャングルの中で辛うじて生き延びている、みたいな。
あるいは、よく母親が言うように、世間は怖い、とか、なんだろう。
自分の外側に、敵がいるような、そんな認識というのが、ある時代のデフォでもあったのか。
もっとも、そんなことも、結局は、自分がそういう具合に眺めている、というだけの話なんだけどね。
実際は、お花畑だらけかもしれないし。
イワシの頭も信心から、なんていうんだから、世間だって、見ようによってはどうにでも移り変わる。
というわけだ。
失恋した時には、心地よい風さえ、寂しく、切なく吹きすぎる、なんて感じの歌になっちゃうんだろうし。
なので、働くことは、実は楽しいはずなのです。
じゃ、楽しく思えないのは、おかしいな、俺!?
くらいのところへ行けば、なんとかなるんだよね。
世間が悪い、社長が悪い、親が悪い、政治家が悪い、という悪さ探しのオンパレードだと。
そりゃ、人は見たいものを見るので、悪いものだけが、悪いと思えるものだけが、やってくるのは。
これ、別に、幼稚園児でも分かる理屈で。
そう、人生のすべては、砂場の中で教わった、なんてフレーズ、あったよね。
幼稚園の時の砂場の中だ。
最近、アヌンナキの話、することにしてるんだけどね。
人間を奴隷として創った、と言われている御仁なんだけど。
ぜガリア・シッチンという学者なのか、その方が、何年か前に本にしていて、シュメール文明の。
遺跡をほったら、そこから出てきた、粘土板、楔形文字と絵で表現されていたらしく。
そこに、ニビル星からやってきた、アヌンナキのことが書いてあった、というわけだ。
細かい話は置いといて、金の採掘のためにやってきた、のだけれど、そのための。
人夫として、人間のDNAを改造し、なんて書いてくると、何言ってるの、って気にもなるんだろうけどね。
奴隷として創られた、というのは、ありかもね、なんて気にもなるんだよね。
強いものにひれ伏す、賢人もしかり、偉人もしかり、そんなメンタリティって、あるし。
そもそも、世界の名だたる宗教って、心して眺めれば、力無き者、罪多き者、人間たちよ。
くらいのウタイだし。
だから、悔い改めよ、じゃないと、ソドムだっけゴモラだっけ、のように火の海になってしまうぞ。
なんて、いわゆる神様、って呼ばれてる御仁が、やっちゃうんだからさ。
あいやー、ってなもんだ。
あれ、話はどこへ行くんだったか。
ま、とにかく、そんなことで、働くということは、楽しいことなんだよね。
たぶん、きっと。
それを、ムチで叩いて働かせる、となると、バカヤロウ、楽しくなんかないわ、ってなっちゃうだけの話で。
カミュが書いていた、「シジフォスの神話」だったか、ギリシア神話に出てくるんだったかな。
シジフォスという神が、大きなボールのようなものを、山の頂上に運び上げる、すると、今度は。
それを、下まで運び、というなんの意味もないことを強いられる、なんて罰を受けた。
という話があったけど、ま、そんなことだね。
頂上に運びあげられたボールが、例えば、そこで待つ子供達にとっては垂涎のもの、頂上での。
子供達のきゃっきゃきゃの喜びの声を聞いたなら、その時はどうだろう。
罰が、素敵な、子供達へのプレゼント行為に様変わり、って寸法で。
働くことは楽しみに変わる、わけだよね。
さて、こちらも楽しみとしての骨ストレッチに入るとしますか。