遠回りして帰ろ、なんて歌、昭和の歌があったよね。
今朝は、そんな気分で、ルーティンを変更し、まず、屋上でのウォーキングから始めた。
だって、月がとっても青いから、じゃなく、月を取り囲むように雲が、まさに。
月の輪みたいだったので、好奇心にかられ、もっとよく見てみよう。
というわけだ。
だったんだけど、それは、下から眺めた勘違いで、実際には、単に、たなびく雲の真ん中に月が。
という風情で。
おかげで、月影、というものを味わいながらの歩きではあった。
屋上の防水屋根面に映る月、それを左見右見(とみこうみ)ってね。
太陽が昇る42分前に、動物たちは目覚める、植物たちもか。
植物たちが光合成を始め、二酸化炭素を取り込み酸素を吐き出すと同時に、活動を始める。
そんな気分で、わが方も、ウォーキングを、骨ストレッチを、というわけだけど。
今朝は、早すぎ、だ。
おかげで、いつものお茶目な川鵜は、到来せず。
お茶目ってね、彼ら、個人的な感想だけど、飛ぶの、つまり、翼使いが、そんなに上手くないのかな。
翼全体を使わず、半分くらいを、バタバタと、という感じなんだ。
トンビなんかと比べると、一目瞭然で、なんだけど、僕の上空にやってきて。
中の一羽が、その時だけ、トンビのように翼をまっすぐして、かっこよく飛ぶ、滑空する。
それを眺めて、思わず微笑みを返し、よ、大統領、ってなもんでね。
という川鵜には、今朝は、お目にかかれなかった。
なんて、こんな小さな出来事に、ストーリーを持たせ、楽しむ、というのが、楽しさの自給自足。
その実践編、ってことにもなりそうで。
今朝の車外温度、1度。
やってきました、本格的な冬、ってことだけど。
この冬、という語感、ふゆ、ね。
増える、ということなんだよね。
目の前には見えないけれど、この時期、地下で草木が春に向かい増え続けている、というイメージ。
この時代の、成果出せ!的な物言いの、まったく真逆にある。
割と、この言葉、好きでね、ふゆ、という古語の語感ね、しかも、それに含まれた意味。
そうだ、昨日の午後は、ゴッドファーザー2を観ていたんだった。
シチリアのコルレオーネ村からやってきた父親の姿と、現在のドン、マイケルの対比。
かの村は、ファミリーの意識、強かったんだよね。
ファミリー、ま、家族と訳していいのか、それを大事にする父親の姿を回想シーンとして使いながら。
現在のファミリーの統治への苦悩、とでも書けるか。
もっとも、当方も、家族、という言葉はよく使うし、今だと母親を基点とした集まりに。
おばばちゃん米寿祝い、と名付けもして。
だから、マフィアの理不尽な、暴力を使った統治に対して、単純に、馬鹿野郎、それ、ちがうだろ〜。
なんて吐き捨てられないような、そんな気分でもあるんだけど。
中国の華僑なんかもそうなんだろうしね、同郷の、というね。
わが社にこの間まで在籍した御仁も、薩摩出身だったから、当地で出会う人が。
九州人かどうか、なんてので、随分とその親しみ方、違ってたしね。
そういうものかもしれないね、異郷の民からしたら。
移民の地、人種の坩堝というアメリカで、あんな映画、作られるのも宜なるかな。
しかし、かの地、アメリカの寒波、凄まじいね。
テレビのニュース番組なんかでも、取り上げられているのかな。
空の便も1000便くらい、欠航しているというから、新年早々の暮らしへの影響、大変だろうな、と。
なんにせよ、かの大陸のスケール、ちがうね。
さて、ふゆ突入の予感のする朝、そろそろ、骨ストレッチに入るとするか。
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