日本全国、この冬一番の寒さ、という日。
なんたって、今朝の車外温度は、−2度となっていたからね。
零下という事だね。
って、こんな事で、負けず嫌い発揮しなくても、だけど。
仙台は真冬日です、ってアナウンサーの方の声に、昨夜のテレビ画面は零下4度だったかな。
昼間も零下です、ってのが、真冬日の定義なのか。
もちろん、北海道、東北はそうだけど。
わがプリウスは、2度、というのは、初体験じゃないかな。
北海道のどこだったか、零下の33.6度の中、インタビューを受けていた若い女性が。
顔だしたままだったので、そんな中でもそれでいいんだね、と夕餉の時。
目の前の次男坊に感想を述べたりもした。
彼は、なにせ、年末、積雪50センチの日々の中を外仕事してきたんで、寒さに関しては。
今までとは微妙に違っているような気もしてね。
体験、経験というのは、大きいね。
それにしても、これだけの温度差に対応できる、この人間のカラダのスーパーさを。
改めて感じもし、意識しないところで、休まずたゆまず働いている事に、ありきたりの表現かも。
だけど、感謝、感謝の一言だ。
しかし、本心から感謝するなら、せめて意識だけは、カラダの邪魔にならないように、というわけだ。
しばしも休まず槌打つ響き、って小学校唱歌の「村の鍛冶屋」のイメージ、あれでしょ、カラダって。
にもかかわらず、って。
意識というのか、思考というのか、自我というのか、ああ、だめだ、俺の人生みたいな。
俺って、ダメなんだよね、みたいな。
みたいなみたいな、だけど。
できることなら、カラダの信号を聴こうね、と。
カラダ、と一括りにいっちゃってるけど、細胞ひとつ一つ見たら、ミトコンドリアも含め。
膨大な数の、違った命の集積、とも言えるな。
それを統合しているのが、万物の霊長たる人間様、意識さま、って、おいおい、傲慢にもほどがある。
ってわけだ。
そもそも、君にできること、何がある?とね。
呼吸?
心臓を動かす?
インフルウイルスを食べちゃう白血球、なれる?
とかさ。
ほとんど、お任せ状態で、もっといえば、石見銀山の見守り鬼、手も足も出ませんから、できるのは。
見守ることだけなんです、祈るように、ってのとおんなじだよね。
そうそう、働くことが本来楽しいこと、というので、論語のいい表現に出会ったんだった。
之を知る者は之を好む者に如かず、というのね。
単に知っているだけでなく、それを好きな者には勝てないよね、に続いて。
之を好む者は之を楽しむ者には如かず、と。
さらに、単に、好む者といえども、楽しむ者には勝てないよね、というわけだ。
なかなか、素敵な文章じゃん、といつもは、論語読みの論語知らず、しかも、孔子のおっさん。
あの頃はよかったよね、なんて風情でしょ、和田アキ子の、あの頃は、はっ!みたいな。
なんてのたまってたけど、失礼しました。
いいこと、言ってたんだね、と。
楽、という文字も、旧字は、両サイドに糸が付いていて、それは、神事で使う鈴みたいなものらしく。
神への感謝、というのか、奉納、というのか、そんなカタチのようで。
ここでも、神が出てきちゃうんだけどね。
マッタク、神、という概念は、厄介なものではあるけれど、そこはひとまず置いといて。
好きな者より楽しむ者、というのは、なんか、いい表現だな。
いいとこついてるな、と思うのであります。
好きには、どうも、自我というのか、なんか、ちょっと、余計なもの、ひっついてる感じだけど。
楽しむ、となると、一体感、というのか、微妙な違いがありそうでしょ。
というわけで、今朝も、好きな骨ストレッチを楽しみにまいります。