朝からは、秋葉山にて、当社の安全祈願祭を執り行い。
午後からは、小梳神社(おぐしじんじゃ)。
ダブルだ。
その後は、賀詞交歓会という、早い話が、新年会というわけだ。
この週末には、NHKの大河ドラマも始まり、いよいよ、今年に突入という雰囲気が漂い。
会う人会う人と、あめでとうございます、と挨拶を交わし。
梅は咲いたか桜はまだかいな、なんてやりとりになるのは、もう少し先か。
なんだか、春めいてきたね、なんてね。
こんなこと書いてると、落語の「薮入り」のおやじ、くまさんみたいになっちゃいそうだけど。
夕べは、同級生四人で、ちょい飲み。
アレヤコレヤの話題はつきなかったけれど、キーワードの。
100歳時代、を連呼して。
宵も更けたのでした。
世間的には、定年を迎える年齢で、いやしかし、当方は、定年なし、の就業規則にしたよ、とね。
昨日も書いたかも、だけど、どうもね、楽しさの自給自足、ってやつが浮かんできて。
世間で言われる、社会の要請する、資本主義が標榜する、そんな楽しさから、ちょっと、距離を置き。
オリジナルな楽しさというものを探し求めむ、と。
美学とか、美しさを哲学は論じてきたけれど、楽学なんての、なかったね。
というのが、去年から視界に入ってきた、国分さんだ。
だから、哲学するよ、と述べていたけれど。
なにせ、暇について、10年だからね。
もっとも、暇にしても、楽しさにしても、この人間の本筋、本線でもあるんで、彼のみならず。
無意識のうちに、そんなテーマに取り巻かれての日々を過ごしている、というのが。
デフォな姿でもあるんで、それを言葉に定着せずんば止まず、という。
吉田松陰の、やむにやまれぬ大和魂、って心持ちとおんなじ、ということもできるけどね。
今朝は、珈琲が薄かったな。
南の国からのコーヒー豆の味、これもすっかり、わが列島に定着しちゃってるよね。
お茶を飲むと、長寿です、なんてウタイでもしなけりゃ、なかなか、飲み手が減少し。
緑茶ね。
なんてことを眺めると、ほんに長い年月が通り過ぎて行ったんだね、くらいの気持ちにもなるね。
だって、いつの時代だったのか、薬効があり、なんて。
とても高価で、下々の手にはなかなか入らず、たぶん、その流れが、静岡の茶町なんかの。
お茶問屋さんの大儲けにつながり、列島の各地から、そのお茶を求めて茶商がやってきた。
そんな人々の宿として栄えた、志田温泉の宿が、静かに幕を下ろしたことを聞いたのは。
去年だ。
秋田出身の、知り合いの元株屋さんの話で、静岡の街は、お金持ちが多いんだよ、というのね。
さすが株屋さん、と思って聞いたことがあって、ご多分にもれず、そういう方々は。
資産運用、で、親から子へ子から孫へ、というわけだ。
って、確認したわけじゃないけど。
類推です、妄想です、
珈琲が薄かった、からの連想ゲームです。
さて、今年の仕事初めを始めるとしますか。
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