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新年会<歓送迎会

2018年01月06日 | Weblog

年初の、賀詞交歓の会が、表題のごとき様相で。

1月1日、元旦に辞令がでた、ということで、横浜へ転任される方の。

送別の会に早変わり、同じく、豊橋からお見えの方の歓迎の会。

口々におめでとうございます、本年もよろしくお願いいたします、と同時に。

お世話になりました、というね。

なかなかに、見られない光景が、夕べの、某大手さんの安全祈願祭に続いての。

賀詞交歓会なのでした。

午前中、朝一からの当社の安全祈願祭は、秋葉山。

いつもの院主の、古い仏教というのか、神仏混淆の祝詞が、なかなか、素晴らしく。

いつだったか、初めてお願いした時に、社員さんの一人が、頭の中が空っぽになる。

というほどの、野太い、腹の底からの音が堂内に響き。

瞑目している脳裏には、なにやら、仏像のような、密教系の偶像のようなイメージが沸き起こり。

願主なんのタレべえ、謹んで、この者らの弥栄をお願い申す、だったか、そんな言葉に。

ついこちらの目頭が熱くなりそうな。

そんな時間を過ごしたのでした。

そうだ、我々のために、祈ってくださっているんだ、というね、そんな思いがこみ上げてきた。

この年も始まった、というわけだ。

古来、何千万、何億の方々が、思いを込めて、今年こそは、とか、今年は、とか。

そんな願文を、言葉にするしないに関わらず、ひそかに、宣言してきたんだろうな。

なんて考えると、そりゃ、荘厳な思いにもなるね。

思いの集積、群れ、数かぎりない、悲喜こもごもとともに。

ところで、夕べ、地震があったのかな。

夢か。

前日か、前々日かには、緊急速報が、ちょっと、バグっちゃったようだから、当方の。

感受性も感化されたのかも、だけどね。

それにしても、三が日がすぎ、松の開けるか開けないかの成人の日。

このところ、連休になっちゃっていて、仕事始めの感覚が、微妙にズレるよね。

その感覚も、たぶん、あと何年かしたら、明治は遠くなりにけり的なものになりかわり。

標準、ということになるんだろうな。

薮入り、なんて言葉が、死語になっちゃった経緯と似ているのかも。

働き方改革、とか、生産性の向上、とか、ワークライフバランス、とか。

耳慣れない言葉も、当たり前化していくんだろうね。

わが社労士さんからも、一月に一回か、ふた月に一回か、そんな頻度で、助成金の話がやってきて。

厚生労働省さんも、しゃかりき、ってことで。

人口減少、労働生産人口減少の中、アレヤコレヤと手を替え品を替えの算段でね。

なんて人ごとのように話しちゃいけないけどね、当方も当事者であるんだから。

それこそが、主体者たれ!の合言葉の眼目でもあるからね。

つまり、批判者ポジションというのは、すでに、クラシックになってるよ、というね。

神もどきに支配された暗黒の中世から、知性を糧とした近代、なんていう解釈からすると、ずっと。

長い間、批判者たれ!みたいな言説が流行していたので、すっかり、それに馴染んじゃって。

インテリは批判するんだ、正反合、ま、弁証法だね、そこから新しい何かが生まれるんだ。

みたいな、言ってみれば、勘違いが蔓延し、当事者にならず、主体者にならず、なんて立ち位置が。

どうやら、資本主義とともに終焉を迎えている、とも言えるかも。

さて、今日も主体者として一日を過ごすか、当たり前だけど。

 

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