まわりで起こっていること

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2018年01月23日 | Weblog

披露宴の会場、新郎の父として、お酒を継いで、感謝の言葉を述べつつ。

の時に、長男坊の友達から、よ、大統領!的に声がかかり。

思わず、その言葉が、マイナーブロガーを育てるんだよ、って口から出てきた。

明治神宮から明治記念館という流れで、厳かな、しかし、とても考えられた演出で。

朝から参会してくださった方々もわれわれも、日常とは違った、異空間に踏み込んだような。

そんな時間の流れだった。

来賓挨拶も乾杯の挨拶も、いずれも、よんどころなき事情で、代役、ピンチヒッターということだったんだけど。

二人とも、とても素敵な挨拶で、一言一言に、涙が出てきて。

朝からね、一日中、目頭を押さえていたような、そんな感じだった。

すべての段取りは、新郎新婦の手で進められ、こちらは単に、父親という役割でいたんだけど。

過ぎてみると、こうして、代替わりはして行くのかな、という実感なんだよね。

昔の言葉、「隠居」という言葉が浮かんだ。

落語の世界ではなくてはならない人物像で、どこの部分の代が替わるのかは、わからないけれど。

何かが変わった。

今朝起きた景色から、変わったと思う。

新しい役割が、明確に始まった気がして、身の引き締まる思い、とでも書けばいいか。

ところで、今、昨日アップした表題見てみたら、なんか、おかしなことになっていたな。

今朝は「品川心中」を歩いた、と書いたつもりが、ね。

昨日の朝まだき、品川を散歩。

圓生や志ん生で聴いた「品川心中」の世界を堪能せんと、駅から南に歩いたわけだ。

ここで、表題について、お詫びをして訂正します、ってことになるね。

そうそう、品川駅の前には、高山稲荷神社があって、本殿の脇に小さな祠があり。

そこには、石灯籠(おしゃもじさま)と書かれていて、諏訪地方の、ミシャグチにもつながる。

おしゃもじさま、かな、なんて妄想がはたらいたんだ。

遊ぶものとしての、歩くものとしての人間、の面目躍如ってところだ。

そこかしこに、遊動している、と。

なんてのんきに書いてるけど、大雪に見舞われたところは、大変なことになってるんだろうな。

八王子に住むいとこは、今日は、年に一度か二度の大切な試験があるので、と昨夜から。

どうやって品川に出てきたのかわからないけど、都内にやってきているようで。

昨夜、メールグループへの発信があった。

それぞれにそれぞれの場所で、生き生きと息づいている姿が、静かな感動を呼び起こすもので。

ほんと、ガンバレ!若造!だっけ、あんなキャッチ、投げかけたい気分だよ、若造!

って言葉は、もちろん、年齢の若い云々ではなく、新しいことにチャレンジしてる。

「日々新たなり」の気分で暮らしを受け止め、味わい、楽しんでいる、という意味だけどね。

さまざまな想いの去来する朝だよ。

そんな中で、そろそろ、わがカラダとの会話を始めるか。

そうだ、昨夜のテレビ番組、題名は忘れたけど、なんとかの肉体美を誇る美しい、奈良のサンタモニカに住む。

お嬢が登場し、食事の話題になっていて、カラダは、言ってみれば、私のペットのようなものか。

なので、食べるものは、私の好み、というよりは、このペットが欲しいものをセレクトしているんです。

なんてコメントがあって、それ、ビンゴだよ、と思った次第。

ペット、という表現は誤解を生じるかも、だけど、わかりやすくいうにはナイスな表現でもあり。

彼女、なかなか、わかってる女史、と言えるかもしれないな、なんてね。

ま、ともかく、始めます。

 

 

 

コメント
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