披露宴の会場、新郎の父として、お酒を継いで、感謝の言葉を述べつつ。
の時に、長男坊の友達から、よ、大統領!的に声がかかり。
思わず、その言葉が、マイナーブロガーを育てるんだよ、って口から出てきた。
明治神宮から明治記念館という流れで、厳かな、しかし、とても考えられた演出で。
朝から参会してくださった方々もわれわれも、日常とは違った、異空間に踏み込んだような。
そんな時間の流れだった。
来賓挨拶も乾杯の挨拶も、いずれも、よんどころなき事情で、代役、ピンチヒッターということだったんだけど。
二人とも、とても素敵な挨拶で、一言一言に、涙が出てきて。
朝からね、一日中、目頭を押さえていたような、そんな感じだった。
すべての段取りは、新郎新婦の手で進められ、こちらは単に、父親という役割でいたんだけど。
過ぎてみると、こうして、代替わりはして行くのかな、という実感なんだよね。
昔の言葉、「隠居」という言葉が浮かんだ。
落語の世界ではなくてはならない人物像で、どこの部分の代が替わるのかは、わからないけれど。
何かが変わった。
今朝起きた景色から、変わったと思う。
新しい役割が、明確に始まった気がして、身の引き締まる思い、とでも書けばいいか。
ところで、今、昨日アップした表題見てみたら、なんか、おかしなことになっていたな。
今朝は「品川心中」を歩いた、と書いたつもりが、ね。
昨日の朝まだき、品川を散歩。
圓生や志ん生で聴いた「品川心中」の世界を堪能せんと、駅から南に歩いたわけだ。
ここで、表題について、お詫びをして訂正します、ってことになるね。
そうそう、品川駅の前には、高山稲荷神社があって、本殿の脇に小さな祠があり。
そこには、石灯籠(おしゃもじさま)と書かれていて、諏訪地方の、ミシャグチにもつながる。
おしゃもじさま、かな、なんて妄想がはたらいたんだ。
遊ぶものとしての、歩くものとしての人間、の面目躍如ってところだ。
そこかしこに、遊動している、と。
なんてのんきに書いてるけど、大雪に見舞われたところは、大変なことになってるんだろうな。
八王子に住むいとこは、今日は、年に一度か二度の大切な試験があるので、と昨夜から。
どうやって品川に出てきたのかわからないけど、都内にやってきているようで。
昨夜、メールグループへの発信があった。
それぞれにそれぞれの場所で、生き生きと息づいている姿が、静かな感動を呼び起こすもので。
ほんと、ガンバレ!若造!だっけ、あんなキャッチ、投げかけたい気分だよ、若造!
って言葉は、もちろん、年齢の若い云々ではなく、新しいことにチャレンジしてる。
「日々新たなり」の気分で暮らしを受け止め、味わい、楽しんでいる、という意味だけどね。
さまざまな想いの去来する朝だよ。
そんな中で、そろそろ、わがカラダとの会話を始めるか。
そうだ、昨夜のテレビ番組、題名は忘れたけど、なんとかの肉体美を誇る美しい、奈良のサンタモニカに住む。
お嬢が登場し、食事の話題になっていて、カラダは、言ってみれば、私のペットのようなものか。
なので、食べるものは、私の好み、というよりは、このペットが欲しいものをセレクトしているんです。
なんてコメントがあって、それ、ビンゴだよ、と思った次第。
ペット、という表現は誤解を生じるかも、だけど、わかりやすくいうにはナイスな表現でもあり。
彼女、なかなか、わかってる女史、と言えるかもしれないな、なんてね。
ま、ともかく、始めます。