夕べの月を思い出しながら、今朝は、随分とクラシックなフレーズが。
表題へ飛んできて。
青い、という形容には至らなかった月だったけど。
見事でね。
まさに、遠回りして、という気分で。
ついでに、保育園の頃、幼馴染のつーくんと通った小道を思いながらでもあった。
田んぼ道の真ん中を、のたりのたりと歩いていく。
朝は、だいたい、遅刻しちゃうくらいのんびりとした道中だったように記憶している。
夕べは、事務所から、家まで歩いて帰るか、それとも、どこかへ寄り道して、なんて思いながら、歩いている。
その斜め後方には、月がわが道を照らしているようなシチュエーション。
これほどまでの文明の明かりがなければ、月影、なんて言葉も生まれそうな。
そんな月。
この時期の月を見ると、中原中也の、寒月の下を行きながら、だったか。
そんなフレーズが浮かび、寒い夜の自画像、なんてのもね。
なんてこと、思いながら歩き、得したような気分。
ウキウキしながら、寒風吹き抜ける巴川沿いの道を歩き。
なにか得したような、自由を満喫、という時間だった。
切り取り方によっては、そこかしこに、そんな気分が落ちてもいて。
巴川のそぞろ歩きは、案の定、途中の戸田書店で道草を食った。
戸田書店で出している月刊なのか、清水、という冊子を買い求め、というのも。
清水の宗教の歴史、みたいなの、特集で。
PL教の本部があったり、大本教につながる三五教(あなないきょう)があったりで、気にはなっていて。
清水湊と呼ばれてもいたわけで、交易都市だったんだから、いろんな方々がこの地を訪れ、富士山にも触発され。
ということだったのかね。
何れにしても、人の蝟集するところに、何事かが生まれる。
そんな具合のデキで、コラボレーション、なんて流行りの言葉もその類で。
二、三日前に、こんな言葉に出会った。
《人がコラボレーションして、ある人のポテンシャルとある人のポテンシャルがちゃんと溶けあったとき、
宇宙からの叡智が舞いおりる》
これ、面白いし、実感できるな、と。
どうも、最近気がつくのは、点と点がつながる、とでも言えるか。
心してみれば万物皆、わが師なり、とも言うか。
さて、この週末は、日の本の黎明期について、思いを馳せながら、日向、薩摩への旅をしようか。