いきなり、番宣みたいだけど。
母親快気祝いの初日、お昼の築地は表題の通りで。
実のところ、相当、懐疑的な気分はあって、例の、初セリのイベントでね。
商魂たくましく、というのが、頭をよぎり続けてもいて。
なんだけど、お値段はリーズナブルで、ネタもよくて、そりゃ。
未だに残る、という東京貴族の方々の行きつけのお店とは違うのかも、だけども。
当方の今まで蓄積してきた、文化としての舌ベラからすると、投資対効果はなかなかなもので。
おばたちも気分よく、築地の一部分を味わうことができた次第で、めでたい。
なにせ、このところ、寿司といえば、回る寿司なんで、半ば、あきらめとともに、だったんだけど。
その後、なんていうのか、市場をちょっと歩き、いきなりのお店で、おろし金が売っていたので、ノータイムで。
買っちゃいました。
帰宅後、妻が鍋を用意してくれていたので、長男坊夫婦とともに、生姜、ニンニクをおろし、賞味したわけだ。
おろしていて、気分がいい。
ストレスなく、かなりのスピードでおろせるんだよね。
今週は、ペーバーのヤスリというのか、キメの細かいの、と一番軽い砥石を買い求め、というのが。
一番のイベントかも。
それで、わが包丁をピッカピカにしてだね、鯵でもおろすか。
そうそう、お台場での夜は、和の夕餉で。
ベイコートの24階からの夜景を楽しみながらの、しかも、3、3、4の個室だったので。
その割り振りからしても、なかなか、面白い展開に至り。
というのも、その夕方、ホテルへ着くなり、わが母親が、今日、ここへ泊まるの?と言い出し。
そんな話は聞いてない、あたしを馬鹿にしてる、この巴川の縁を歩いて帰る、と。
おばたちは、もちろん、姉の妹なんで、長い間の、姉妹の関係から、姉さんが、声を荒げてこんなふうに怒り出す。
というのは、初めての経験で、顔はこわばり、なんてイベントがあったわけだ。
母親の、今となっての個性、ってのは、遠い過去は覚えているけど、近くの過去は覚えていない、とでも言えるか。
そんな個性な訳で、そのことに慣れずに対応しようとすると、そりゃ、こちら側の頭の中が大混乱に陥る。
どうだろう、30分くらいの間、凍りついた空気になっていたのか。
そのうち、甥っ子が遅れて到着、すると、母親の中のイベントは、久しぶりの彼との遭遇に移り。
先ほどまでの怒りは、どこかへ飛んで行ってしまい、一同、胸をなでおろしながらも唖然、という光景でね。
その夜は、一室に甥っ子たち、娘、長男坊も集まり、午前様を通り越して、の宴が続き。
アレヤコレヤの会話で盛り上がった次第で。
30年前、甥っ子たちを膝に抱え、夜が更けるまで飲んだ、そんなことも、彼らの口から。
オトナたちは、何をしていたんだったか、なんて言葉が出てきて。
そんな状態を、今ここでこうしている、ということの不思議さを味わい。
30年前とラップした夜でもあったのです。
テーマは、見えない糸で繋がった家族、なんで。
いろいろと考え深いものもあった、二日間だった。
いい旅だった、また行こう、とLINEのグループに打った次第で。
to be continued なんだよね。