まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

備長炭の扱いは手強い

2017年02月20日 | Weblog

昨日は、お昼、七輪にて鯵を焼いた。

うまかった。

とはいえ、網の上でひっくり返そうとしたら、皮が取れちゃって。

金網にオイルをつけとくといいですよ、とか、どこかにあったか。

なので、形は崩れ、たんだけど、遠赤外線効果なのか、文字どおり、骨の髄まで火が通り。

食べ終わった後、骨と頭に、お醤油と暑いお湯をかけ、なんていうのか、なんとか汁。

それが絶品で。

臭みがないしね。

一口飲み、母親にどう?と差し出すと、すべて飲み干した。

これは、くせになりそうな気配濃厚。

七輪購入先のブログなど読み、備長炭について、少し、お勉強などしてみむと、ってわけだ。

串打ち三年、焼き一生、という言葉があるようだけど、実感するね。

炭起こしから串打ち、挙句に焼き、ね、これは簡単ではない。

串打ちも、ただ刺せばいいってもんでもなく、焼いてるうちに、バランスが悪く、もとに戻っちゃう。

というね。

幾つになっても、知らないことへ挑む、ってのは、なかなか、楽しいもので、しかも。

生業にするんじゃない、という気楽さも手伝い、まんま、楽しさのみを味わう、と。

火おこしの準備から焼き、それから、片付け、ってのを、流れるような。

一連の所作をね、習得したい。

というのも、何年か前、江崎ホールでの、柳家花緑の噺会があり。

その時の、彼の羽織のたたみ方、見事でね。

話をしながら、さりげなく、たたむ所作、美しい、芸だった。

そのイメージが、わが七輪の炭使いに重なるんだよね。

これは、禅の心にも通じ、禅堂での修行、食事を作ること、食べること、のね。

一心不乱の境地、日常の所作に心を込めて、つまり、今ここの境地かね。

というのも、週末、妹が帰郷し、の中での会話に、このところ、忘れ物がひどくて、お母さんのこと。

言ってられないよ、みたいなのがあって。

それの根本には、何か、焦り、急かされた気持ち、みたいなのから、所作に心を込められなくなった。

あるいは、堪え性のなさ、というのか、筋力が落ちるように持続力が落ちる、なんてこともあるわけで。

それはそれで、事実として受け止めつつ、しかし、その根っこは何か、というのか。

所作の基本に立ち返り、今にチャレンジする、とでも書けるか。

そんなことを伝えたかったんだけどね。

それに加えて、何かと、もったいない、という言葉が出てきたんで、それはそれで、素敵な心持ちではあるけれど。

プラスして、自分自身がもったいない、というところに行ったら、そりゃ、なおさら素敵なことになるよ。

なんて会話をしたりしてね。

兄と妹の会話、ってやつだ。

日向神話の中で、おばさんと結婚したのは、誰だったか。

母親の妹とね。

玉依毘売(たまよりひめ)の夫は、神武天皇のおじいさんだったか、ウガヤフキアエズか。

それはともかく、わが炭道への精進の道が始まったのです。

 

コメント
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