なんて言ってる間に、今日だよ。
今から、おばを二人拾い、いつもの10人乗りに乗り換え。
自宅で、母親と長男坊夫婦を乗せ、一路、築地へ、というわけだ。
表題のようなセリフが交わされている頃なら、江戸までの道中は、どのくらいかかったのか。
江尻の宿から始まり、興津、由比、蒲原、富士川、という具合に、宿場の一里塚を見ながら。
歩きに歩く、という道程なんだろうな。
快速、だとか、新幹線、だとか、ではないからね。
そりゃ、この間の旧東海道を歩く、でもそうだったように、その土地その土地の珍しい風物にリアルに接し。
感嘆の声をあげながら、あるいは、同行の誰それは、急にお腹が痛み出し、ありゃ、水に当たったんだね。
なんて言いながら、宇津救命丸、だとか、ウイロウ、だとかを懐中から差し出し、と。
それが今では、ピューっと東名高速道路にて、一挙に、10人を運ぶ、って算段でね。
ところで、昨日は、小芝神社での節分の豆まき、年男を四年連続でこなし、直会の席で缶ビールを一本頂き。
そのまま、このところご無沙汰してしまっていた、包丁をいただいたお店にて、軽くいっぱい。
隣に座った御仁が、刃物、詳しくて。
どうやら、今はガス屋さんだけど、その昔、桶屋さんをやっていたらしく。
なので、砥石のことやら何やら、いろいろとお聞きした。
これで、わが包丁コレクションは、安泰だ。
なんて話しているうちに、どうやら、共通の友人、以前、このブログでもご紹介した、トンボのね。
ホバーリングを俳句にしたい、という御仁のポン友、とでもいうか。
そんな方で。
そこにも話の火がついて、うっかりすると、夜も更けそうになってきたので、早々に失礼した次第。
なにせ、お発ちか、の今日が待っていたんで。
左隣の御仁は、昭和4年生まれのお母様が健在だそうで、やっぱり、大腿骨頸部骨折、ってことだそうで。
それも、畳の上で転んで、というんだね。
ほんとに、まわりで起こっていることは、お年寄りの頚部骨折、なんだよね。
あそこでも、ここでも、あんなところでも、って具合だ。
そうそう、今日のテーマは、ベタに家族、ってもので。
族のつくのは、民族、だとか、暴走族、だとか、カミナリ族、だとかね、何々に族する、ともで言えるか。
白川静さんに聞いてみると、旗と矢を持っている形で。
旗は、その集団の目印、矢は、神聖なものだそうで、神に誓う時、矢を折った。
その集まりのものであることを誓った、そんな仲間が、族、あるいは氏族だ、と白川先生はおっしゃる。
それに、家がついて、家族だ。
宀は、屋根を表し、豚の右側の形は、実は、犬を表し、犠牲にして埋めた、ということらしい。
先祖を祀る神聖な建物、ということのようで。
いずれにしても、今の、この時間だけでなくご先祖様方につらなるものとしての建屋というわけだ。
って書いてくると、なんだか、物々しくなってきちゃったけど、たまには。
家族の家族たる所以を掘り起こしてみるのも、いいのかも、ということだね。
しかも、字型からすると、目に見えるものとしての、具体物としての、という家族だけど。
現代においては、見えない糸で繋がるものとしての家族、ってのが、テーマなんだよね。
先月1ヶ月、日経の「私の履歴書」は、カルロス・ゴーンさんだったんだけど、日産とルノーと三菱自動車の。
CEOだよね。
彼、生まれがブラジルだったか、レバノン杉で有名なレバノンにもいたし、フランス、日本、と各地を経巡っていて。
家族は、遠く離れた異国にいる、んだけど、夏と冬の休みには、一同に会するんだ、と書いてあって。
俺と同じこと、してるな、となんだか、うれしくなったんだよね。
離れている距離は、リアルには違うけどね、テーマはそこではなく、って。
家という文字ができた時代には、犬を埋めて浄化する、という物語があって出来上がった家族ではあるけど。
今の、この時代、どうだろう、埋めるのは、古くからの物語、とでも言おうか。
古い古い物語を埋めることで、神聖な、新生な、真性な物語を紡ぎ直す。
日々に新たなり、ってわけだ。
ということで、出発することにします。