まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

インフルエンザが猛威を振るっている?

2017年02月02日 | Weblog

おばの連れ添いが、介護施設に入っているのだけど。

そこが、インフルエンザに、まさに影響され、外部からのお見舞いはお断り。

なんて話を聞いた、その当のおばも、インフルエンザで一週間、寝込んだ。

そうで。

どこぞの学校が閉鎖、みたいなニュースもちらほら。

と、夕べ、油屋の大将から電話が入り、節分の日の、山での飲み会に参加できず、と。

インフルエンザだそうで。

そんな用語の似合わない御仁だったんだけど、可愛くなったもんだ、というのが、率直な感想で。

なので、節分の日の飲み会は、どうなりますやら。

中止となれば、夕方、母親を迎えに行き、施設の方々に、お世話になります、とご挨拶をし。

母親からは、あんた、よくここがわかったね、といういつもの決め台詞を聴きながら自宅へ。

という日常になるのだろうけれど。

ところで、また、OSHOの言葉ね。

《連続性のない存在があなたの中から起き出してくる。》

というものなんだけどね。

それに続いて、《過去によって汚されていない新鮮な存在だ》、と。

かなり、素敵な言葉だと、気に入ってるんだけど、いかがでしょうか。

と唐突感満載で書いちゃうけど。

毎朝、八雲風化ニシキ貝カルシウム、というのを水に溶いて飲んでいた時期があって。

末期の水、と呟きながら飲んでいた。

寝るときには、枕に向かって、今から死にます、なんて言いながら、なんだけど。

つまり、日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり、の実践型でもあるんだよね。

過去を引きづり、というのか、わたしはこれこれこういうものだ、というのね。

こんなことをやって来た、こんな信念をもち、こんなキャラクターで、なんていうのからさえ。

自由になる、とでもいうのか。

アイデンティティなんて言葉の、真逆とも言えるか。

ずいぶん前に、安岡正篤の、自分を限るな、という言葉が気に入って、ほら。

覚えたての言葉は、他人さんに言いたくなるでしょ、後輩に書き送った記憶がある。

限界づけてしまうのは自分であるから、そんな自分から自由になる、解放される、とも言えるか。

同じようなことだけど、OSHOの、連続性のない、という言葉に、ピンと来た次第。

さて、今日も、非連続の一日としますか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする