まわりで起こっていること

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400年は生きるよ

2014年05月08日 | Weblog
これね、ボスニア・ヘルツェゴビナの人が言った言葉なんだね。

W杯へ、初出場なる、という。

かの国出身の、イビチャ・オシムに対する地元民の、でね。

ムスリムとセルビアとクロアチア、という三つの民族からなる国で。

各民族間の戦いが、凄まじいものがあったわけだ。

内戦終結後も、各民族間での抗争は続き、サッカー協会にも。

三人の会長さんがいる状態だったそうで、FIFAからは、そのなりが容認されず。

いついっかまでに、会長を一人にしぼらなければ、W杯予選にも出場はできません。

ということで。

そこへ、もと日本代表監督のオシムさんに、白羽の矢がたったわけだ。

会長一本化へ。

日本でいう、関西人と関東人でも、かなりの違いがあるのだけど、それどころの話ではなくね。

ついこの間まで、銃撃戦を繰り広げ、そのため、多くのボスニア人が国外へ難民になり。

という状態だったわけで。

そこを、彼が、サッカーと数学者で稼いできた、というほどの、サッカーへの愛と。

数学者的な、理知的な頭脳で。

サッカー協会を一本にまとめ、今回の予選を勝ち抜き。

見事、W杯への切符をてにいれるまでのドキュメント番組をね、録画でみたのでした。

オシムの言葉やボスニアの人々の言葉が、凄まじくて、iPhoneのAtok Padへ。

メモしまくら千代子、ってわけで。

内戦が終わっても、残されたものは、貧困しかなく、なんてオシムの言葉をきくとね。

失業率30%だとか、そんな中での、今回の快挙で。

親を失い、あるいは子を失い、仕事を失い、命からがら国外へ逃げのびた人たちが。

予選通過を決める最終戦に、続々とやってくるんだね。

一日もボスニアのことを忘れたことがない、なんていいながら。

日本代表が、初めてW杯出場を決めた、ジョホールバルを思い出したけれど。

サッカーの代表チームは祖国そのもの、なんていうボスニア人とは比べようもないね。

何千年も祖国をもたず、世界を流れ歩いた、というユダヤ民族の。

われわれからすると、異様にも、エキセントリックにもみえる、さまざまなことごとも。

そうなんだ、と一旦、受け止めて見たい、という気にもなる。

そんな番組だったけどね。

オシムのみならず、地元民たちの口から出る言葉が、いいんだね。

ずしんずしんと、こころにしみ込むようで。

とかく、政治に翻弄され、一般ピープルからも、NHKなんてぇのは、と罵倒されがちな。

かの局も、キュレーターとしての目で見ると、いい番組、作っているんだね。

ついでに言っちゃえば、マスにかぎらず、メディアなんてぇのは、もともと、時代に翻弄されるもので。

というようなネタにふっちゃうと、これまた、きりがなくなっちゃうので。

やっぱり、やめにしときます。

さて、今日は5月の8日、別になんの記念日というわけでもないけれど。

そう、何十年前だったか、わが結納の日、5月5日から三日たった日なんだね。

あれから40年、もたたないけれど、最初に、妻の実家へ行き。

かくかくしかじかで、娘さんと結婚させていただきたい。

と申し述べたら、どこの馬の骨かわからないから、それなりの人をたてて。

と今はなき義父に玄関口で言われたっけな。

なので、おじに同行していただいて、という次第で、結納の前の、あれなんていうのか。

事前準備の宴を開いていただいたわけだ。

これがまた、妻の義父もわがおじも、なにやら、古い家というものを特筆するのが。

どうも、そんな時のしきたりなのか、困ってしまうんですよ、古くて。

みたいなノリで、何代前がどうしてこうして、みたいなね。

だって、わが父方でいえば、祖父より先は、わかりません、なんてことなんだけど。

そこはそれ、メディアってのは、時の話題に翻弄されるもので。

そもそも、仲人なんてのも、メディアっていえば、メディアとも言えるしね。

媒体って訳すでしょ、媒酌人だもんね。

というわけで、本日のブログは、このへんで。



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