ダンテ & ハードボイルド・クマたん
「ダンテの活躍で、マッハの市長狙撃は失敗に終わりました。でも、『トライデント』の暗殺計画にはまだ続きがあるようです。刑事特捜班は、市長暗殺を阻止できるのでしょうか」
「その水鉄砲、終わったらちゃんとしまっといてやー」
「はーい」
ジャックは頭上で響いた二発の銃声を聞き逃さなかった。
市長は無事スピーチを終え、拍手に包まれて演壇を降りるところだ。マッハは失敗したのだ。次はジャックの出番だ。
ジャックはウェイターになりすまして会場を歩き回っていた。
スピーチを終えた市長は、二人の女を両脇にはべらせて鼻の下を伸ばしている。絹糸のような髪のマゼンタのドレスの女と、妖艶な白いドレスの女だ。ジャックはごくりと唾を飲み込んだ。白いドレスの女は稀に見る上玉だった。つややかな漆黒の髪。エキゾチックな褐色の肌。
黒いバックル一つであやうく留められているようなドレスから、豊満な胸がいまにもこぼれそうだ。柔らかく丸みを帯びた肩から二の腕がすらりと伸び、深く入ったスリットからは、なめらかに脂肪ののった太股がのぞいている。こんないい女をあたりまえのように独占する市長に、ジャックは激しい憎しみを覚えた。スラムで育った成り上がりが、当選した途端にいい気になりやがって。この上、自分の同類を不当に厚遇するつもりか。
「Quos ego」 組織の合い言葉を、ジャックは小さく呟いた。
ラテン語の意味は「おまえ達を私は」。ポセイドンが、女神ヘラと風の神アイオロスの起こした嵐に向けて放った怒りの言葉だ。おまえ達を私はやっつけてやる。
教養のない市長には、この言葉も、トライデントの意味もわかるまい。自分はもう安全だと信じ切っているようだ。
カクテルの載ったトレイを掲げて、ジャックは三人のところへ滑るように歩み寄った。
「お飲み物を」と、トレイを市長に差し出す。トレイの下でナイフに手をかけた瞬間、手首が下から突き上げられてトレイに叩き付けられた。トレイと一緒にナイフが床に落ちる。白いドレスの女に膝蹴りを食らわされたのだ。こいつ、ボディ・ガードだったのか。スリットはセクシーさを演出するためではなく、こういう動作がしやすいように入っていたのだ。
まだ痺れている手で、それでもジャックはすかさず二本目のナイフを市長に投げつけた。ナイフは市長の胸に吸い込まれる寸前、黒い物体に当たって方向を変えた。女が素早くサッシュベルトを抜いてバックルを投げつけたのだ。ドレスはきちんと縫い止められており、ジャックが予想したようにはだけたりはしなかった。
市長の周りには既に黒服の男達が集まって盾を作っていた。ジャックは出口に向かって走り出した。二、三歩走ったところで、足首に何かが絡まって、ジャックは床に倒れた。
「動かないで」 女の声が飛ぶ。 「動くと、足首が切断される」
ジャックは自分の足首と女の頭に交互に目を遣った。あきれた女だ。ワイヤーカッターで髪をまとめていやがったのか。
マゼンタのドレスの女が彼に手錠をかけ、ジャックは警官らしい男達に両脇を抱えられた。こうなったら、トライデントの三本目の槍、ゼノに全てを託すしかない。
奥歯に仕込んだカプセルを噛み割ろうとした時、何かが生き物のように口の中に飛び込んできた。白いサッシュベルトの先が間一髪歯の間にはさまって、カプセルが割れるのをふせいだ。サッシュベルトをくわえたまま振り向くと、白いドレスの女が言った。
「おまえのボスは任務に失敗したら死ねと言ったのか?」
警官が素早く口の中に指を入れてきたので、ジャックは答えることができなかった。女は語を継いだ。
「そんなボスなら切り捨ててしまえ」
「すごいわ。一体、いくつ武器を隠してるの?」
ジャックが連れ去られると、エンジェルは言った。
妖艶な肉体を持つエルシードが露出度の高い服装をすると、誰もが素手だと思い込んでしまう。しかし、実際には、ナイフのように先端の尖った靴、ガーターベルトにしのばせたナイフ、指輪に仕込んだ薬液と、実に多彩な武器を隠し持っている。
―おまえは、わたしと同じ女女した体に生まれたようだから。
と、母親が教えてくれた技だった。
―もう少ししたら、おまえは男達の欲望の対象になるわ。こういう体に生まれついた女は、ほとんどが娼婦として生きていくことになる。娼婦として、というのは男に媚びを売ってということ。
母親は言った。
―母さんはそれができなかったから、暗殺者(アサシン)になった。おまえがどう生きようと自由だけれど、わたしが身につけた技は教えといてあげるわ。
母親は自分の仕事について、エルシードに詳しくは語らなかった。一度仕事に出かけると、長期間留守にすることが多かった。ケガをして帰ってきたこともある。そして、ある時とうとう、仕事に出たきり戻らなかった。
たった一人で世の中に放り出されたエルシードは、生きていく手段を見つけねばならなかった。娼婦になるのは嫌だったが、アサシンも気が進まなかった。近所の老人にアドバイスを求めると、「ライセンスを取得しろ」と教えられた。誰もができるわけではない技能を身につければ、身を落とさずとも生きていける。
エルシードは運転免許を取って、ありとあらゆるものを運んだ。レースにも出場した。成長した彼女は、常に欲望の視線にさらされた。
―今夜おれの相手をしてくれれば、一番いいタイヤを回してやるぜ。
レーシングチームにいた頃、こう声をかけられたことがある。断ると、翌日のレースで最低のタイヤを履かされた。娼婦になるか、アサシンになるか。母親の言葉が身にしみた。
「おれが手伝う必要なんかなかったじゃないか」
タキシードに着替えて、ナイトと共に会場に入っていたダンテは言った。
「だが、残業代は請求するからな」
「待って下さい。まだ終わったと決まったわけじゃありません」
「第3弾があるってのか?」
ナイトが気になるのは、マッハの狙撃地点があまりにあっさり割り出せたことだ。組織が意図的に情報をリークし、彼をおとりに使った可能性がある。警備をマッハに集中させ、彼を逮捕して警戒が緩んだところへ次の刺客を放つ。警備する側の心理を巧みについた作戦だ。
「だが、そいつもあのスーパー・レディがやっつけた。いくら何でも、もう一度というのはないんじゃないか?」
「『トライデント』という組織名が気になるんです。ポセイドンの三つ又の槍。彼らのやり方を表しているのかもしれない」
「だとしたら、今頃、あの女が聞き出してるんじゃないか?」
ダンテに言われて会場を見回すと、エンジェルの姿がいつのまにか消えている。二番目の男を尋問しに行ったのだろうか。
彼女にかかると、どんなに頑強な被疑者もあっという間に落ちてしまう。三人目の刺客がいるなら、彼から情報を引き出してくるかもしれない。ナイトは、戸口で私服警官が手招きしているのに気づいた。足早に廊下へ出ると、
「エンジェル捜査官から伝言です」と、耳打ちされた。
「会場で逮捕された男はジャック。自分は三本の槍の二本目だと言ってます」
やはりそうか。ナイトの顔に緊張が走った。
「彼らは自分のすぐ前の実行犯の襲撃方法とタイミングを教えられ、それが失敗に終わると行動を起こすという形で連携を取っているそうです。しかし、自分が失敗した場合、次の実行犯がどうやって目的を遂げるかは知らないと言っています」
ジャックが知っているのは、三番目の刺客がいること、そのコードネームはゼノであることだけだった。
「あ、もう一つ。首領は、三人の襲撃方法がそれぞれ異なるような組み合わせでメンバーを選んでいるということです」
「わかりました。よく聞き出してくれました。ありがとう」
「おたくのエンジェルさんですよ」 私服警官は言った。
「一部始終を聞いていましたが、何であいつが白状する気になったのか、さっぱりわかりませんでしたね」
「それは永遠の謎ですよ」 ナイトは笑った。
「マッハ、ジャックに続く三番目の刺客、ゼノはどんな方法で市長を狙うのでしょう。長い夜はまだ つ・づ・く」
「ダンテの活躍で、マッハの市長狙撃は失敗に終わりました。でも、『トライデント』の暗殺計画にはまだ続きがあるようです。刑事特捜班は、市長暗殺を阻止できるのでしょうか」
「その水鉄砲、終わったらちゃんとしまっといてやー」
「はーい」
ジャックは頭上で響いた二発の銃声を聞き逃さなかった。
市長は無事スピーチを終え、拍手に包まれて演壇を降りるところだ。マッハは失敗したのだ。次はジャックの出番だ。
ジャックはウェイターになりすまして会場を歩き回っていた。
スピーチを終えた市長は、二人の女を両脇にはべらせて鼻の下を伸ばしている。絹糸のような髪のマゼンタのドレスの女と、妖艶な白いドレスの女だ。ジャックはごくりと唾を飲み込んだ。白いドレスの女は稀に見る上玉だった。つややかな漆黒の髪。エキゾチックな褐色の肌。
黒いバックル一つであやうく留められているようなドレスから、豊満な胸がいまにもこぼれそうだ。柔らかく丸みを帯びた肩から二の腕がすらりと伸び、深く入ったスリットからは、なめらかに脂肪ののった太股がのぞいている。こんないい女をあたりまえのように独占する市長に、ジャックは激しい憎しみを覚えた。スラムで育った成り上がりが、当選した途端にいい気になりやがって。この上、自分の同類を不当に厚遇するつもりか。
「Quos ego」 組織の合い言葉を、ジャックは小さく呟いた。
ラテン語の意味は「おまえ達を私は」。ポセイドンが、女神ヘラと風の神アイオロスの起こした嵐に向けて放った怒りの言葉だ。おまえ達を私はやっつけてやる。
教養のない市長には、この言葉も、トライデントの意味もわかるまい。自分はもう安全だと信じ切っているようだ。
カクテルの載ったトレイを掲げて、ジャックは三人のところへ滑るように歩み寄った。
「お飲み物を」と、トレイを市長に差し出す。トレイの下でナイフに手をかけた瞬間、手首が下から突き上げられてトレイに叩き付けられた。トレイと一緒にナイフが床に落ちる。白いドレスの女に膝蹴りを食らわされたのだ。こいつ、ボディ・ガードだったのか。スリットはセクシーさを演出するためではなく、こういう動作がしやすいように入っていたのだ。
まだ痺れている手で、それでもジャックはすかさず二本目のナイフを市長に投げつけた。ナイフは市長の胸に吸い込まれる寸前、黒い物体に当たって方向を変えた。女が素早くサッシュベルトを抜いてバックルを投げつけたのだ。ドレスはきちんと縫い止められており、ジャックが予想したようにはだけたりはしなかった。
市長の周りには既に黒服の男達が集まって盾を作っていた。ジャックは出口に向かって走り出した。二、三歩走ったところで、足首に何かが絡まって、ジャックは床に倒れた。
「動かないで」 女の声が飛ぶ。 「動くと、足首が切断される」
ジャックは自分の足首と女の頭に交互に目を遣った。あきれた女だ。ワイヤーカッターで髪をまとめていやがったのか。
マゼンタのドレスの女が彼に手錠をかけ、ジャックは警官らしい男達に両脇を抱えられた。こうなったら、トライデントの三本目の槍、ゼノに全てを託すしかない。
奥歯に仕込んだカプセルを噛み割ろうとした時、何かが生き物のように口の中に飛び込んできた。白いサッシュベルトの先が間一髪歯の間にはさまって、カプセルが割れるのをふせいだ。サッシュベルトをくわえたまま振り向くと、白いドレスの女が言った。
「おまえのボスは任務に失敗したら死ねと言ったのか?」
警官が素早く口の中に指を入れてきたので、ジャックは答えることができなかった。女は語を継いだ。
「そんなボスなら切り捨ててしまえ」
「すごいわ。一体、いくつ武器を隠してるの?」
ジャックが連れ去られると、エンジェルは言った。
妖艶な肉体を持つエルシードが露出度の高い服装をすると、誰もが素手だと思い込んでしまう。しかし、実際には、ナイフのように先端の尖った靴、ガーターベルトにしのばせたナイフ、指輪に仕込んだ薬液と、実に多彩な武器を隠し持っている。
―おまえは、わたしと同じ女女した体に生まれたようだから。
と、母親が教えてくれた技だった。
―もう少ししたら、おまえは男達の欲望の対象になるわ。こういう体に生まれついた女は、ほとんどが娼婦として生きていくことになる。娼婦として、というのは男に媚びを売ってということ。
母親は言った。
―母さんはそれができなかったから、暗殺者(アサシン)になった。おまえがどう生きようと自由だけれど、わたしが身につけた技は教えといてあげるわ。
母親は自分の仕事について、エルシードに詳しくは語らなかった。一度仕事に出かけると、長期間留守にすることが多かった。ケガをして帰ってきたこともある。そして、ある時とうとう、仕事に出たきり戻らなかった。
たった一人で世の中に放り出されたエルシードは、生きていく手段を見つけねばならなかった。娼婦になるのは嫌だったが、アサシンも気が進まなかった。近所の老人にアドバイスを求めると、「ライセンスを取得しろ」と教えられた。誰もができるわけではない技能を身につければ、身を落とさずとも生きていける。
エルシードは運転免許を取って、ありとあらゆるものを運んだ。レースにも出場した。成長した彼女は、常に欲望の視線にさらされた。
―今夜おれの相手をしてくれれば、一番いいタイヤを回してやるぜ。
レーシングチームにいた頃、こう声をかけられたことがある。断ると、翌日のレースで最低のタイヤを履かされた。娼婦になるか、アサシンになるか。母親の言葉が身にしみた。
「おれが手伝う必要なんかなかったじゃないか」
タキシードに着替えて、ナイトと共に会場に入っていたダンテは言った。
「だが、残業代は請求するからな」
「待って下さい。まだ終わったと決まったわけじゃありません」
「第3弾があるってのか?」
ナイトが気になるのは、マッハの狙撃地点があまりにあっさり割り出せたことだ。組織が意図的に情報をリークし、彼をおとりに使った可能性がある。警備をマッハに集中させ、彼を逮捕して警戒が緩んだところへ次の刺客を放つ。警備する側の心理を巧みについた作戦だ。
「だが、そいつもあのスーパー・レディがやっつけた。いくら何でも、もう一度というのはないんじゃないか?」
「『トライデント』という組織名が気になるんです。ポセイドンの三つ又の槍。彼らのやり方を表しているのかもしれない」
「だとしたら、今頃、あの女が聞き出してるんじゃないか?」
ダンテに言われて会場を見回すと、エンジェルの姿がいつのまにか消えている。二番目の男を尋問しに行ったのだろうか。
彼女にかかると、どんなに頑強な被疑者もあっという間に落ちてしまう。三人目の刺客がいるなら、彼から情報を引き出してくるかもしれない。ナイトは、戸口で私服警官が手招きしているのに気づいた。足早に廊下へ出ると、
「エンジェル捜査官から伝言です」と、耳打ちされた。
「会場で逮捕された男はジャック。自分は三本の槍の二本目だと言ってます」
やはりそうか。ナイトの顔に緊張が走った。
「彼らは自分のすぐ前の実行犯の襲撃方法とタイミングを教えられ、それが失敗に終わると行動を起こすという形で連携を取っているそうです。しかし、自分が失敗した場合、次の実行犯がどうやって目的を遂げるかは知らないと言っています」
ジャックが知っているのは、三番目の刺客がいること、そのコードネームはゼノであることだけだった。
「あ、もう一つ。首領は、三人の襲撃方法がそれぞれ異なるような組み合わせでメンバーを選んでいるということです」
「わかりました。よく聞き出してくれました。ありがとう」
「おたくのエンジェルさんですよ」 私服警官は言った。
「一部始終を聞いていましたが、何であいつが白状する気になったのか、さっぱりわかりませんでしたね」
「それは永遠の謎ですよ」 ナイトは笑った。
「マッハ、ジャックに続く三番目の刺客、ゼノはどんな方法で市長を狙うのでしょう。長い夜はまだ つ・づ・く」