その日の朝日新聞の投書に<<<ねずみの赤ちゃんを見つけて家へ持ち帰ったのに、『捨てなさい』と言われた>>>話がありました。
投書者によれば、『ねずみの赤ちゃんは私たち姉妹にとっては宝物だったのに、場合によってはそうは言えないときがある』事を知ったと、・・・・・
実は我が家の主人がある日、野ねずみの赤ちゃんの思い出を語ってくれた事があります。主人が小学校のころ、山へ友達と遊びに行って、野鼠をとってきたのだそうです。もちろん、大人ではなくて、子ども=赤ちゃんです。とても可愛くて、男の子特有の狩りと蒐集の本能を刺激されたのでしょうが、「今思うと、残酷なことをしてしまったなあと思う」と主人が言います。
野鼠の赤ちゃんといえども、当時(1950年代)の日本では、普通の家庭では、飼いきれない時代でした。だから、死んでしまったと思います。ハムスターを飼うかごとか、ペレットが売っている時代ではなかったからです。大人になってよく考えてみれば、野鼠は、生態系の中で、何かの昆虫を食べているわけですから天敵として、大切な一環でありました。それに、野鼠の親にとって、妊娠をして、出産をして、子育てをするというのは人間に比較しても大変な重労働であり、それを、横取りしてしまったのは、主人が今悔やむように、残念至極なことでした。
もし、その頃、既に、ペーターラビットが、日本へ導入をされていて、広島県の呉のせめて小学校の図書室にでも、置いてあれば、主人たち、悪童(?)連中も、それを見つけてもそっと、元に戻して家へ帰ったはずです。小さくて、小さくて、3~4センチでもきちんと、毛が生えていて、ちょろちょろ可愛く動くもの・・・・・魅力一杯なもの・・・・・でも、もって帰らなかったと感じます。
~~~~~~~~~~~~~
この小さな命を最上に生かすという件について、少し場面が変りますが、三十年以上前のエピソードを、ここに記させてくださいませ。
昔よこすか時代に、我が家の猫がきれいこと極まりない、モグラの一種を取ってきて、それが生きているので、困りました。人間(たとえばうちの子とその悪童仲間)がとってきたのなら、「元のところに返してきなさい」と、いえますが、猫では、それを命令することも出来ません。何とか、大切に生かしたいと思いました。で、教材として、息子に幼稚園に持って生かせたら、
先生方が、きゃあーと言って、『捨てなさい』と叫んだそうです。
西原理恵江子さんに告げ口したいほど、単純な発想だと私は思います。『男の子を、自由に育てる、長い手綱の人』と当時は言われていた私としては、残念極まりない、現象でしたが。
~~~~~~~~~~~~
今、日本では青少年が起こす新しい形の事件が頻発をしております。それの一因ですが、命、を、大切にする発想がまるでないということも問題なのじゃあないでしょうか? お葬式を家で執り行わなくなりました。ともかく、亡くなるのもたいていは、病院です。
そして、食品もスーパーできれいなパックに入れられたものを、さっと簡単に手に入れるシステムになってしまっております。
この間、農学・関係の大学生さんたちが、地方のおばあちゃん(私が若い人が、熟年である他人を、おかあさんとか、おばあちゃんと、呼ぶのは反対ですが・・・・・まあ、この場合は許すとして)たちと、連帯して都会で、形が悪くて市場に出せない落ちこぼれた野菜を東京の街中で、テントを張った臨時店舗で、売っています。小さな試みですが、正しい方向です。このグループは、田舎会社(?)東京支店と言うのですって。がんばれ、がんばれ・・・・・
2009年3月14日 雨宮舜 (川崎 千恵子)