銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

「鬼子来了」は、50年後は、中国を代表する映画となるでしょう

2009-03-11 13:47:44 | Weblog
 映画『鬼子来了』については、このブログで、ずっと、書いてきました。最後にあげたのは、2月5日のようです。はるかに昔となりました。次から次へと新しい現象に発想が移動してしまっています。

 その後、4回前の『渋谷の居酒屋』と言う項目でも、渋谷の居酒屋のスタッフさんがこの映画を知っている事を知り、嬉しくなったと簡単に触れています。
 ところで、今日上げます文章は、8回前の、3月2日にあげた『風と共に去りぬ』を描いたその、同じ日に描いておいたものなので、導入がそれに続きます。
もし、このブログに新しくお入りになった方があれば、そちらも、ご覧を頂きたく。

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 前報で、『風と共に去りぬ』がアメリカを代表する作品の一つだと述べました。で、中国を描いた映画で、その国を代表するものは何であろうと考えると、50年後は、『鬼子来了』であるような気がします。

 今、現在の中国には矛盾が一杯あります。最近、戸籍の移動が自由になったそうです。これは、大きな問題なので、別項で述べたいと思いますが、ともかく、今は、中国自身が、自信を持ち始めている最中で、この自信が真に定着したら、あの国も、鷹揚になるはずなのです。国内のクリエーターの中で、真に天才的な発想をする人間の、表現の自由を認めるようになるでしょう。

 今は、この映画『鬼子来了』が、一般庶民向けに公開されたかどうかさえ、私には判りません。中国政府が嫌がるのは、あまりにもリアルに、農村の、貧しさが描かれていたり、国共内戦の事実が、それも、リアルに描かれていて、共産党の権威確立に、マイナス要因となると、考えていることが、主な原因だと感じます。

 でも、共産党そのものの、一党独裁が、崩れたりして、思想信条の自由が確保されたら、この映画に描かれている世界など、ごく、普通のこと、又は、当たり前のこととして、政府にも国民にも、受け入れられると思います。

 日本映画で、比較すると、『七人のさむらい』に似ています。白黒映画ですし、貧しい農村を舞台にしています。そして、活劇があります。ちゃんばらではなくて、鉄砲を使う段階の白兵戦ですが、追いつ追われつの恐怖は、大きなスリルとなっていて、娯楽作品の要素も一杯あります。何よりも笑いのセンスさえあるのです。

 ボードビルではないんですよ。日本のお笑い芸人の発するお笑いでもない。ただし、真剣にうごめいている人間が、そこはかとなく、かもし出すユーモアが一杯あります。

 ところで『七人のさむらい』には、戦後の民主主義の実践的、啓蒙と言う側面もありました。今、見るとそこが、一種の『くさい』ところとなっています。今、現在の日本人はそんなに、素直ではありません。ちょっと、引いてみる姿勢で生きています。だから、貧しい庶民の味方が、ヒーローであると言うこと自体が、信じられなくなっています。ウエブ・サイト上では富裕層をもてはやす記事も、いまだに、多いですしね。

 ところで、香川照之演じるところの、敗残の日本兵(多分、二等兵で、小野田さんみたいな将校ではない)は、ヒーローではないのです。めっちゃ、くちゃに、リアルな敗残兵を演じています。そして、農民も、貧乏極まりなく、国民党と、共産党の、兵士や将校も、えげつなかったり、ずるかったりして、それも、リアルすぎる設定です。だから、中国政府が、完成当初、公開を許可しなかったのでしょう。

 でも、そこが、また、スーペリアーポイントとなっているのです。海外の映画祭で、大賞を取ったという意味では、共通していても、いきの長さと言う意味では、こちらの方が長いかもしれないと思うほどです。思想信条の押し付けがありません。観客は恐怖に震えたり、笑ったりしながら、しかも、何かを学び、感動して映画館を去ります。

 世界各国には、フィルムセンターと言う、一種の図書館があるでしょう。そういう場所に保存をされていた、フィルムから復刻をされて、50年後に再公開をされて大ヒットをするという予測を、私は立てます。そこに至るまでの時間の長短は、中国と言う国家の成熟如何で左右されるでしょうが・・・・・そこを信頼する事が、自分も創作をする人間としての、生きがいなのです。それを、信じて、私たちは苦労に耐えているのですから。

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 ところで、上のような大胆な予測を、ここで、披露してしまったわけは、私が少数ながら過去に見た、中国映画、または、中国を題材にした映画のどれよりも、感動と学びの両方を与える作品としては、『これが、上だ』と思うからです。

 作品の圧倒的なレベルの高さゆえに、この中に登場する、日本刀を使った、斬首の場面に違和感やら、反感を抱きません。文脈がちゃんとしているので、不都合なく、見ていられるのです。
 
 まあね、皆様もよくご存知であろう、『赤いコーリャン』『ラストエンペラー』、『覇王別記』『非情城市(これは、台湾映画ですが〕』ほか、結構いろいろ、映画館で見ています。でも、一番優れていました。

 ところで、最後になりましたが、この映画の製作現場で書かれた、日記〔無印良品の何の変哲も無いノートだそうですが〕をベースにした、香川照之さんの著作(キネマ旬報社刊、タイトルは『鬼子魅録』もすばらしいと、繰り返し読みながら思います。

 その中の37頁に直立不動で、「担え銃」、「捧げ銃」の訓練をしている写真があるのですが、別の日にはただ、直立不動で、微動だにしないように、八時間、炎天下で立たされたそうです。それが、日本兵のリアリティをかもし出すために必要だとされたようです。

 たしかに、最近でも、終戦記念日の前後には、戦時中を再現したドラマや、映画が企画されますが、長髪、で、演じている俳優〔大泉洋〕がいたりして、「だめよ。あなた、それではリアリティが無い。ご自分の生活優先では俳優ではないでしょう」と感じてしまいます。こちらの、『鬼子来了』は、全く違います。

 制作費は、少ないみたいです。画面は小さいと思いますし、先ほども言ったように、白黒です。制作、監督は、『赤いコーリャン』に主演した姜文〔チァン・ウェン〕。そちらの映画の成功で得た報酬をすべてつぎ込んだでしょう。偉いです。

  2009年2月28日 
送信は、3月の11日に。      雨宮 舜(川崎 千恵子)
コメント (1)
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