9日夜放映予定のNHKスペシャルについて。
主人が、昨日の土曜日に、「ペレリマン博士の再放送をNHKが予告をしていたよ」と教えてくれました。それで、ケーブルテレビの冊子を見ると、09-3-9(月)の夜10時から1チャンネルで、『100年の難問はなぜ解けたのか~天才数学者失踪の謎~』が再・放映されることがわかりました。
この番組と言うか、この天才については、既に、くどいくらいお話をさせて頂いております。だけど、もう一回、切り口を変えてお話をさせてくださいませ。
私は50年前高校一年生の頃テレビを買ってもらいました。今はその嗜癖は消えておりますが、最初はテレビを見たくて見たくてたまりませんでした。そんな50年間の視聴経験の中で、この番組を最高のものだったと考えているほどです。民放や、デジタル放送の番組すべてをあわせても、『これが、一番感銘を受けたなあ』と感じるほどです。
で、例のストレート主義で正直に言ってしまえば、まだ、ご覧になっておられない方には、見ていただきたいと願います。で、それを、妨げない文章で、書いていくつもりですが・・・・・
この番組は、ミステリー仕立てになっております。で、ネタをばらすのはルール違反です。が、お勧めしたい理由は、『数学の番組なのに、思いがけずな程度で面白い』ということと、『画面が美しい』、そして、『叙情的な意味での、深い感銘を最後にもたらす』と言う三つです。芸術家にも役に立ちます。
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私はこの番組に影響を受けて、自分の五冊目の本を、実体はエッセイなのに、順番だけをミステリー仕立てにしたほどです。<元気極まりなかった版画家が、私がニューヨークを去ったすぐ後に、孤独死してしまったのは、なぜなのだ>と言う流れで作り上げました。真実の記録、いわゆるノンフィクションでさえ、切り口によっては、ミステリーになりうるのでした。
制作サイドがどこなのかを知りませんが、二番目の『美しかった』というのは、登場される数学者のインタビュー場面と、重要な拠点の風景の画面が、静謐で、しかもカラフルだからです。
日本の学者、および有名人への最近のインタビューは、判で押したように、書棚の前でマイクに向かうという形です。しかしこの番組内では、数学者たちはご自分の普段の書斎を全方位角度で見せながら、お話をされます。窓のそとには、季節感溢れる庭木が見え、風の行方さえ画面から察せられます。
圧巻はプリンストン大学(?)の大階段教室の場面です。そこだけは画質が悪いのです。と言うのは、そこに参集した人たちは、100年にもわたる難問が、その日に完璧に解決をされることを予期していなかったからです。照明の光度は充分でなく、カメラの解像度も低いのです。ズームアップも技術力は定かではありません。
ただ、私は、その両翼四面(?)縦四段(?)の大黒(緑)板に、チョークで次々と、数式を書いていく、ペレリマン博士の、痩せた姿型と、風のような実体感の無さに打たれたのでした。神々しい領域に入ってしまった人と言うのは、そういうものなのです。人間であることを越えた領域に入ってしまった人と言うのはそういうものなのです。日本に昔からある言葉で言えば、仙人です。
~~~~~~~~~~
私は皆様も既にご存知のように、人間に大変興味を抱いております。それで、つい観察してしまいます。観察につぐ観察を重ねながら、66年間も生きてまいりました。すると、自慢ではないが(ふ、ふ、ふ)その人の神仙度・指数みたいなものが読み取れるのです。X軸の左側に、人間的欲望の深さを置き、右側に、仙人に近づいている指数を上げていくグラフを持っていて、相手と具体的な接触があったときに、<もし、違和感を感じれば>、そのグラフを、すぐさま心の中に思い浮かべ、相手が表出している指数を計ります。
特にいじめに近い失礼な処遇を受けたときなど、瞬間的に相手の指数を計り、『あ、非常に貪欲な人だ』などと感じれば、その受けた傷がさっと霧消しますので、大変便利なシステムなのです。この際の欲と言うのは、食欲、金銭欲、性欲、それから、自己存在証明への欲求など、さまざまな分野でのそれです。が、ペレリマン博士は、ここに上げたすべての欲を捨て去り、ただ、頭脳を働かせることへの快楽だけに、自らを投じた模様です。
少年時代の映像はそうではありません。普通の体格です。顔立ちも「別に」と言う感じです。しかし、この<誰もそれまで解けなかった>難問を解く過程で、彼は仙人といえるほどにまで肉体を消耗し尽くし、精神の方は昇華させ尽くしてしまったのです。ちょっと涙が溢れてくる映像です。では。
2009年3月8日 雨宮舜 (川崎 千恵子)
主人が、昨日の土曜日に、「ペレリマン博士の再放送をNHKが予告をしていたよ」と教えてくれました。それで、ケーブルテレビの冊子を見ると、09-3-9(月)の夜10時から1チャンネルで、『100年の難問はなぜ解けたのか~天才数学者失踪の謎~』が再・放映されることがわかりました。
この番組と言うか、この天才については、既に、くどいくらいお話をさせて頂いております。だけど、もう一回、切り口を変えてお話をさせてくださいませ。
私は50年前高校一年生の頃テレビを買ってもらいました。今はその嗜癖は消えておりますが、最初はテレビを見たくて見たくてたまりませんでした。そんな50年間の視聴経験の中で、この番組を最高のものだったと考えているほどです。民放や、デジタル放送の番組すべてをあわせても、『これが、一番感銘を受けたなあ』と感じるほどです。
で、例のストレート主義で正直に言ってしまえば、まだ、ご覧になっておられない方には、見ていただきたいと願います。で、それを、妨げない文章で、書いていくつもりですが・・・・・
この番組は、ミステリー仕立てになっております。で、ネタをばらすのはルール違反です。が、お勧めしたい理由は、『数学の番組なのに、思いがけずな程度で面白い』ということと、『画面が美しい』、そして、『叙情的な意味での、深い感銘を最後にもたらす』と言う三つです。芸術家にも役に立ちます。
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私はこの番組に影響を受けて、自分の五冊目の本を、実体はエッセイなのに、順番だけをミステリー仕立てにしたほどです。<元気極まりなかった版画家が、私がニューヨークを去ったすぐ後に、孤独死してしまったのは、なぜなのだ>と言う流れで作り上げました。真実の記録、いわゆるノンフィクションでさえ、切り口によっては、ミステリーになりうるのでした。
制作サイドがどこなのかを知りませんが、二番目の『美しかった』というのは、登場される数学者のインタビュー場面と、重要な拠点の風景の画面が、静謐で、しかもカラフルだからです。
日本の学者、および有名人への最近のインタビューは、判で押したように、書棚の前でマイクに向かうという形です。しかしこの番組内では、数学者たちはご自分の普段の書斎を全方位角度で見せながら、お話をされます。窓のそとには、季節感溢れる庭木が見え、風の行方さえ画面から察せられます。
圧巻はプリンストン大学(?)の大階段教室の場面です。そこだけは画質が悪いのです。と言うのは、そこに参集した人たちは、100年にもわたる難問が、その日に完璧に解決をされることを予期していなかったからです。照明の光度は充分でなく、カメラの解像度も低いのです。ズームアップも技術力は定かではありません。
ただ、私は、その両翼四面(?)縦四段(?)の大黒(緑)板に、チョークで次々と、数式を書いていく、ペレリマン博士の、痩せた姿型と、風のような実体感の無さに打たれたのでした。神々しい領域に入ってしまった人と言うのは、そういうものなのです。人間であることを越えた領域に入ってしまった人と言うのはそういうものなのです。日本に昔からある言葉で言えば、仙人です。
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私は皆様も既にご存知のように、人間に大変興味を抱いております。それで、つい観察してしまいます。観察につぐ観察を重ねながら、66年間も生きてまいりました。すると、自慢ではないが(ふ、ふ、ふ)その人の神仙度・指数みたいなものが読み取れるのです。X軸の左側に、人間的欲望の深さを置き、右側に、仙人に近づいている指数を上げていくグラフを持っていて、相手と具体的な接触があったときに、<もし、違和感を感じれば>、そのグラフを、すぐさま心の中に思い浮かべ、相手が表出している指数を計ります。
特にいじめに近い失礼な処遇を受けたときなど、瞬間的に相手の指数を計り、『あ、非常に貪欲な人だ』などと感じれば、その受けた傷がさっと霧消しますので、大変便利なシステムなのです。この際の欲と言うのは、食欲、金銭欲、性欲、それから、自己存在証明への欲求など、さまざまな分野でのそれです。が、ペレリマン博士は、ここに上げたすべての欲を捨て去り、ただ、頭脳を働かせることへの快楽だけに、自らを投じた模様です。
少年時代の映像はそうではありません。普通の体格です。顔立ちも「別に」と言う感じです。しかし、この<誰もそれまで解けなかった>難問を解く過程で、彼は仙人といえるほどにまで肉体を消耗し尽くし、精神の方は昇華させ尽くしてしまったのです。ちょっと涙が溢れてくる映像です。では。
2009年3月8日 雨宮舜 (川崎 千恵子)