銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

書評を頂きました。

2009-03-27 23:22:43 | Weblog
書評を頂きました。

 個人的な話なのですが、私は本を作るのがすごく好きなのです。
 昨日五冊目の本『黄色いさくらんぼ』へ神奈川新聞で書評を頂きました。今まで五冊作って一冊目は雑誌『月刊ギャラリー』、三冊目は雑誌『月刊美術』、そして、五冊目で初めて新聞です。

 それは、確率、60%だから、こどもみたいに手放しですが嬉しいです。特に書店には全くおろしていない少部数ですので、嬉しいです。ミツバチのようなシゴトです。でも、5冊も作ったのですから、その数千冊を、配り終えるまでの労働も、本を作り上げる前までの労働と同じく強大なものです。すっごい労働を重ねております。また、世の中では結構行われているらしいプロモーション(一種の宣伝)の類を一切しておりませんので、書評が出るたびに、純粋に嬉しいです。

 実際には22日にその書評欄に載ったのですが、昨日新聞の実物が、我が家へ届きました。

 この本は私が、12年近く、続けてきたAOLのメルマガで、飛び飛びに書いてきた話題を、ある一つのテーマだけ選んで一冊の本へと仕上げたものです。

 そのテーマとは、ニューヨークの二〇〇〇年に滞在した版画工房を舞台として、いろいろな人との交流の諸相です。エッセイ集でありながら、小説体で、仕上げたものです。と言うのは際立った、個性を持つ人が多く、しかも重要な登場人物が二人も亡くなってしまうからです。

 でも、心の中では、ここまで来る事ができたのは、AOLで12年続けてきた閉鎖されているメルマガの読者のお陰でもありますので、心の中で、その間、メルマガを読み続けてきてくださった読者に深く感謝しております。

 どうか、こちらの、ブログの読者の皆様にも、こういう飛び飛びの話題を読んでいただくことを、ご面倒でしょうが、宜しくお願いを申し上げます。と言うのも、こちらで、書いたものをまた、新しい一冊へ纏め上げる日が来るはずだからです。


 ところで、その書評を頂いたことに鼓舞されたといってはあまりにも単純ですが、急に新しいシゴトの課題を思いつきました。それは、最近休んでいた、編集の仕事です。と言っても、自分のエッセイを編集するので、お金には何にもなりませんが、新しいものを書くと言うことと同じか、それ以上にこちらにも、頭を使います。

 特に一冊の本を印刷機へかける直前までのパソコン上のデータとする、この世界での技術用語・いわゆる・制作も同時にやってしまうので、それは、本当に頭を使う作業となります。普通の場合は、その部分は、印刷会社のデザイナーがしてくださるシステムになっているのですが、今までの5冊では、すべて、私がやってきました。

 印刷会社の方で、「こちらに、任せなさい」とも仰るのですが、この一冊が、256頁になるかどうかを考えながら、エッセイを選んで行くので、結局は、その制作までやらないと、自分の本がまとまりません。既に手元にあるたくさんのエッセイを、テーマごとに選ぶ作業と、それが、どれほどの頁数になるかは、フォント(字のサイズ)なども含めた、考えたり選んだり、文章を直したりするシゴトとなります。本とは、256頁で仕上げるのが、一番経済効率がよい、印刷が出来るからなのですが。

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 二年ぐらい前までは、鬼神のごとき、意欲があって、同時進行的に、4つぐらいのシゴトが出来ました
 五年ぐらい前までは、さらに絵や版画の仕事も、特に発表と言うこと(これが、神経を使い疲労困憊するシゴトです)もやっていましたので、「躁病じゃあないの?」と皆様から言われましたが、・・・・・そう、疑われても仕方がないよね・・・・・と自分でも思うぐらい、きりきりとした生活をしていました。だけど、急に体力の衰えも感じています。『普通の意味での66歳だなあ、やっぱり』と思ったり、それ以上に『本当の事を言えば、平均以下の体力だったのよね。しばらく忘れていたけれど』と思い出させられたりしています。

 どうしてそうなったかといえば、ありがたいことに、書評を頂く前から、皆様から個人的に、『黄色いさくらんぼ』へ、よい感想を頂いていて、それが、『ほっとした、感じ』を与えてくれて、肩の荷を降ろしたという現象が起こっていたのでしょう。

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 『黄色いさくらんぼ』は、5冊目であるからこそ、随分と、思い切った表現を採用しています。『主人公、百合子は、お金持ちだ』なんていう設定は、嫌われること必定の設定で、そのAOLメルマガの読者(そちらは、このブログとは違って、顔、名前、住所等を知っている相手へ送っている)で、「貰ったけれど、最後までは読んではいない」と仰る方もあるでしょう。いや、そちらの方が多いかもしれません。

 物を書くプロの方が、「あなた、少しぐらいはフィクションを入れなさい。でないと、読者が感情移入できませんよ」とよく仰るのですが、どうしてか、馬鹿みたいに頭の硬い私は、少しでも、フィクションが入ると、書く意欲をなくすので、あの本もそれ以外の4冊もすべて、事実の羅列です。ただ、登場人物の名前だけは、4冊目(銀座の画廊を中心に新しい形の美術評論として書いた)以外は仮名としております。

 でも、それでも、そこを乗り越えて読了してくださった方から、好評であった事が、・・・・・生涯で、初めて味わったぐらいの・・・・・安堵感を与えてくれました。・・・・・つまり、どうして、自分の私生活をさらけ出し切ったものを書くかと言う点で、・・・・・登場するニューヨークの版画家・エドゥアルドの悲しさ、秘められた高貴さを、表すためには、それが、避けられない表現方法だったのです。・・・・・・が、その自己犠牲が、何人かの、誠実な読者に通じました。そして書評までいただけました。

 昨日、銀座に行って、懇意な画廊主さんにその書評を、お見せしたところ、「よく書けているじゃあない。こう言う短い文章で、ここまで書くのは大変でしょうね」と言って頂きました。そちらは、私の本も既に読了してくださっておられる方なので、その言葉は私の心に、特に響きました。確かに今まで五種類の本を出して、そのうち、一冊目と三冊目には、既に書評を頂いておりますが、今回のものが、切り口が一番、鋭く、また、文章としての、内容も深かったです。本の方も、一冊目や三冊目に比べれば、より、深みがあったということだと思いますけれど・・・・・

 その喜びが、クリエーターの端くれとして、私に新たなシゴトへ向かう、意欲を掻き立ててくれたのです。

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 最近、このブログでは、非常に長い、しかも政治的な、分野での文章を書いていたと思います。しかし、少しペースを落とします。どうしても、気がついたことは書くのだという形ですが、短くなるでしょう。今までの、特に最近、二ヶ月の、あの見かけは柔らかい、しかし、実体は硬い、文章に我慢をしてくださった皆様には、深く感謝申し上げます。

 なお、今日の図版は、その本の表紙に使ったものの、別ヴァージョンの版画です。ヘイター方式と言うものです。よろしく。

    2009年3月27日     雨宮舜 (川崎 千恵子)
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